見出し画像

お餅の国の王子さま

とあるメイドさんが橙幻郷というメイド喫茶を卒業されたので、それに合わせて書いた小説です。写真は、昔、コミティアで買った青い鳥のブローチです。

『この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ねえねえ、あいちゃん、何の本を読んでいるの?」
 橙幻郷でお給仕中、休憩で控え室に入ると、あいが文庫本を読んでいた。
「あぁ、これ? 星の王子さま、だよ?」
 あいは文庫本にかかっていた書店名の入った紙カバーを外すと、表紙を見せてくれた。私は、文庫本に巻かれていた帯を見て、クスッと笑ってしまう。
「なによ、私が読書してるのがそんなに珍しい?」
 帯には男性声優の写真と推薦文と共に、今度朗読劇が行われることが記載されていた。
「だって、気になるじゃない」
 あいは、文庫本をバックに仕舞うと、立ち上がった。だが、控え室から出ようとして振り返る。
「つかさちゃんは、もう決めた?」
 私は首を横に振った。すると、制服の胸元に付けていた青い鳥のブローチを外して渡してくる。
「これは?」
「昔、知らないお姉さんにもらったの。でも、もう私には必要ないからあげる」
 おまじないか何かなのだろうか。その理由を聞く暇も無く、あいは控え室を出て行ってしまった。

 私は、橙幻郷を卒業するかどうか迷っていた。色々考えた末に決めたことのはずなのだが、いざそれを確定させる段階に至って、躊躇してしまったのだ。
 知り合いに相談したりもしたのだが、最終的には「それは貴女自身が決めることだと思うよ」と言われてしまっていた。確かにその通りだ。自分の進む道は自分で決める他ない。
 時間のあった私は、翌日行きつけの美容院に出かけた。
「あら、突然どうしたの?」
 いつもヘアカットを頼んでいる美容師さんに声を掛けられる。
「予約してないけど、大丈夫ですか?」
 美容師は予約状況を手帳で確認して言った。
「今日だけ特別よ」
 私は礼を言い、美容師に案内されるまま椅子に座った。

 思い切った行動に出れば何か変わるかと思ったが、余計に頭が混乱するだけだった。短く切ってさっぱりした髪の毛を指で触り、晴れか曇りかはっきりしない空模様の下を歩いて行く。
 ふと、小さな公園の前に差し掛かった。公園にはこれといった遊具は無く、小さなベンチがあるだけだった。特に理由は無かったが、私は公園のベンチに腰を下ろした。疲れがたまっていたのかウトウトとしてしまう。
 首を左右に振って眠気を振り払うと、私は立ち上がった。
「ひゃっ!」
 目の前で少女の悲鳴が聞こえた。見ると、黒髪ロングヘアの少女が尻餅をついていた。
「だ、大丈夫?」
 手を差し伸べると、少女は不満そうな表情でそっぽを向いた。
「自分だけで立てるから大丈夫。あと、そこは私の席です」
「えっ?」
 目を見開いて見つめると、少女は再び同じ言葉を言い放った。三度目でようやく意味に気付いて横にどいた。
 少女はついさっきまで私が座っていた場所に腰を下ろす。私もその隣に腰を下ろした。
「ねえ、貴女、お名前はなんていうの?」
 気分転換になるかも知れないと思って話しかけると、少女は不満そうな表情のまま前を向いて言う。
「知らない人には個人情報はできるだけ教えないようにって、親に言われてますから。そうじゃなくても、ついさっき出会ったばかりの人に教える義理なんて無いと思いますけど」
『うわっ、めんどくさい』
 あともう少しでそんな言葉が口から出てしまいそうだったのをどうにか抑えられたのは、それなりに人生経験を積んできたからだろうか。
「それに……」
「それに?」
 少女は私を上目遣いで真っ直ぐに見つめると、言った。
「もし名乗るなら、自分から名乗るのが筋だと思います」
「そうだね、うーん、お餅の国の王子さま、かな」
 そのまま名前を名乗っても良かったのだが、ちょっとしたボケのつもりだった。だが、少女は少しも笑ってはくれない。逆に人を馬鹿にしたような表情で見つめてくる。
「お姉さんが私にどんなつもりで話しかけているのか分かりませんが、私はお姉さんが思うほど子供じゃありません」
 言葉ではそう言うものの、不満を露わにしている姿は、子供のそれにしか見えなかった。別に馬鹿にしているわけではない。純粋に可愛いと思っているのだ。
「お姉さんは……」
 少女はしかし、そこまで言って黙ってしまう。
「私がどうしたの?」
 話の先を促すと、少女は恥ずかしそうに話を続けた。
「お姉さんは、判断に迷ったときはどうするのですか?」
 少女は顔を赤くして視線だけを時折こちらに向けてくる。
「うーん、分かんない」
 何か答えが聞けると思っていた少女は、大きな溜息をついた。
「大人のお姉さんなら、何も迷ったりしないって思っていたのに」
 その言葉を聞き、少しムッとしたが、怒りを鎮めて言った。
「分かんないけど……、あっ、じゃあ、これあげる!」
 昨日、あいにもらったばかりのブローチを少女の胸元に付けてあげた。
「じゃあ、私が迷わないところを見せてあげるから、それで良い?」
 少女は、鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情をして困惑し、笑った。
「どういう意図で言っているのか全然分かりません。でも、そうですね、お姉さんが迷わないなら、私も迷いません」
 少女は突然立ち上がると、深々と私に向かって頭を下げた。
「いえいえ、私は何も」
 恥ずかしくなってしまって顔を赤くしている私に向かって、少女は再びお礼を言った。公園に出入り口に向かって歩いて行く少女の後ろ姿に手を振って見送っていると、少女は振り返って言った。
「じゃあ、大人になったら、私のことをお姫さまにしてくれますか?」
「う、うん、もちろん!」
 質問の意図もよく分からないまま肯定すると、少女は再び礼を言って立ち去ってしまう。
「なんだったんだろう……」
 少しの間ぼーっとしていて、私は立ち上がった。少女に迷わないと言った手前、覚悟を決めようと思ったのだ。一度、そう思うと、もう迷うことは無かった。

 その翌日、橙幻郷に行くと、みんなに驚かれた。最初は理由が分からなかったが、あいに「髪切った?」と言われて気付いた。
 あいは、私の髪型を見て驚いた様子だったが、直ぐに妙に納得したような表情になった。
「ちょっと良い?」
 急に手を引かれたかと思うと、入り口前まで連れて行かれてしまう。あいが顔を近づけてくるので、後ずさりしようとして背後が壁であることに気付いた。
「どうしたの?」
 恐る恐る、言葉を口にすると、あいはニヤリと笑って片手のひらを壁に突いた。ドンッと音が鳴り、目と鼻の先まであいの顔が近づいてくる。
 唾をゴクリと飲み込んだ。
「ねぇ、つかさちゃん、私、もう大人になったからお姫さまにしてくれるんでしょ?」
 突然の求愛の言葉に、戸惑って言葉を失っていると、あいは言葉を続けた。
「忘れたなんて言わせないわよ。だって、言ったでしょ? お餅の国の王子さま?」
「えっ、あ、うん……うん?」
 それを肯定と受け取られたのか、あいは私の体を引き寄せると、抱きしめた。
「ありがとう、つかさちゃん」
「それは、その、そういうこと?」
 私の意思が伝わっているか甚だ疑問であったが、あいは笑顔で何度も頷いた。
「ねぇ、あいちゃん、私決めたんだけど、それで良いのかな?」
 思ったことを口にすると、あいは素っ気ない様子で返答した。
「知らないわよ、そんなこと。もう子供じゃ無いんだから、自分で考えなさいよ」
 あいは、私をその場に置き去りにしたままカウンターの方に向かってしまった。
 私は、頬をぷくーっと膨らませた後、口をとんがらせて言った。
「あいちゃんなんて、だいっきらい!」
 そう言って、視線だけカウンターの方に向けると、直ぐ近くにあいの姿があった。
 あいはニヤニヤして言う。
「それって本当?」
 どれだけ首を左右に速く振れるか選手権があったら、ギネスに載るに違いないと思うほど、私は首を横に振って否定した。
「私は、つかさちゃんのこと、大好きだよ?」
 あいは、私に抱きついて、顔を近づけた。
 私は妙に体が火照って何も考えられなくなってしまった。
「あいちゃんのいじわる!」
 そう言うと、あいは私を再び強く抱きしめた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?