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ひみつのなっちゃん

映画が好きです。

《ひみつのなっちゃん》を池袋シネマロサで鑑賞して参りました。

このお話は滝藤賢一さん扮するドラァグクイーンのバージンと、その仲間のモリリン(渡部秀)、ズブ子(前野朋哉)が先輩ドラァグクイーンと慕っていたなっちゃん(カンニング竹山)の急死によって、なっちゃんを弔う為に奮闘する物語であります。

一体「弔う為の奮闘とは何なのか?」

なっちゃんは、新宿二丁目で食事処を営むママでした。そこで雇われていたモリリンは、「なっちゃんは家族にオネエであることをカミングアウトしていなかった」とバージンとズブ子に伝えます。
「なっちゃんの名誉の為に、なっちゃんの自宅のオネエ関連の物を両親が来る前に片付けなくては!」
 しかし、3人はなっちゃんと親しくしては居たものの、プライベートな事は何1つ知りません。そこで、新宿の街でなっちゃんの情報を求め、聞き込みをすることになりました。
 すると、あるドラァグクイーン(アンジェリカ)から以前なっちゃんが勤めていたお店を紹介され、無事に自宅の住所を突き止め侵入し、そこでなっちゃんの女装に関する物を探していると、なっちゃんのお母さんと鉢合わせしてしまいました。
 「並木さん(なっちゃん)とシェアハウスしているものです。」
3人はそう言ってなんとかその場を切り抜けました。
するとお母さんは納得して、「だったら実家の郡上八幡まで、息子の葬儀に是非いらして下さい」と3人を誘います。

「葬儀どうするの?行くの?行かないの?」

悩んだ末に、3人は葬儀に出席する為、郡上八幡へのロングドライブへ出掛けました。

「どうしてなっちゃんの葬儀に出席する気になったの?」
とモリリンに訊かれたバージンは、
「昔なっちゃんに言われたの、『どんなに着飾ってメイクをしても、素の人間性が1番人の目を惹く』んだって。だから、なっちゃんの素の人間としての最後の舞台(葬儀)を見たくなったの」
と答えました。

この映画のドラァグクイーン監修をエスムラルダさんが行っているのですが、エスムラルダさんとは日本のドラァグクイーンの第一人者と言われる程のカリスマクィーンで、そのエスムラルダさんから教わったこととして、滝藤さんが主題歌を歌う渋谷すばるさんとの対談の中で、
「ドラァグクイーンって女性に見られたら負けなんだって。中身は男でも女でもどっちでも良いんだけど、誇張したメイクで笑いをとることがドラァグクイーンの使命であり、定義なんだって」
と仰っていて、何だか胸に熱いものを感じて泣けそうになりました。

滝藤さんのバージンは、化粧品会社の経理として働く社会人です。しかし、バージンは職場でも淑やかに振る舞い、周りの女性社員もそんなバージンを受け入れ慕っているとても和やかな職場です。
滝藤さんの所作の1つ1つがとても美しく、女性として見習うべきことが多く、反省することばかりでした😓
 
美しさとは何か?

これがこの物語のもう1つのテーマでもあります。

日中は会社員として働き、夜はドラァグクイーンとしてSHOWのステージに立っていたバージンは、自分の年齢と、若いドラァグクイーンとを比べ、世代交代を痛感します。家で1人、ステージ衣装と派手なメイクで踊りながら、人前で踊ることを躊躇していたのでした。
そんなバージンが、郡上八幡への旅、そして郡上の人々との出会い、郡上踊りとの出会い、その出会いがバージンの中で踊ることへの考え方を変えていくのか?それもこの作品の見所となっています。

私は、マツコさんやミッツさんといったドラァグクイーンの方々が大好きです。
ダイアナさんやナジャさん等、お名前を挙げたらキリがありません。
そんなおネェ様達が、テレビやYou Tubeなどで時折話す、恋愛話に興味津々です。
 そして、そんなおネェ様方のお話を聞きながら、勝手に私の中で偏見を持ってしまっていました。
 『この方たちは、ドラァグクイーン同士で恋愛をする訳では無く、あくまで恋愛対象は女性のことが好きな一般男性を求めているのであろうならば、相当に出会いのチャンスは少なくて大変であろうな~』と。
本当に大きなお世話な事を思っておりました。
ミッツさんに知られたならば、大いにお叱りを受ける覚悟でございます😓(笑)
 しかし、物語の中のモリリン、バージンはモテることモテること。
 GO!GO!系にも爽やかスポーツ系にも。
そのモテている時のモリリン、バージンは女装をしている訳でもなく、おじさん(モリリンは青年)としての普段着なのです。

やっぱり最後は『素の人間性』が1番大事ってことなんですね。

ね?なっちゃん。


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