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僕にとってのカニ

カニは思い入れのある生き物だ。

幼いころに生き物や自然と触れ合った経験は誰にでもある。僕の記憶に最も残っているのは、父に連れられて行ったサワガニ釣りだ。岸壁の端にしゃがみこみ、テトラポットの隙間を覗き込むとたくさんのサワガニが見える。割りばしに糸を結び、糸の先にスルメイカを結んだだけの簡単な釣り竿で、小一時間もあれば大量に獲れる。でも、大きなカニはとりわけ警戒心が強く、なかなか釣れない。怪しまれないように糸を垂らすにはどうすればよいか、試行錯誤したものだ。引き上げた糸の先にカニの姿がはっきりと映るとき、驚きとうれしさがドッと押し寄せる。

それから10年以上経ち、大学生になったときに、海や河口の生態系を研究することになった。その研究の野外調査で、再び彼らに会うことができた。野生の生き物と対峙すること自体が久しぶりだったかもしれない。生き物の姿をこの目ではっきりと捉えた瞬間、その姿が自分にとって新しいものだったとき、興奮が光の速さで体を巡る。その感覚を思い出した。部活に勉強に忙しく過ごした学生生活。その間に忘れられていた感覚が戻ってきた。研究では、サワガニ以外のたくさんのカニと出会うことができた。カラフルなカニ、巣穴を掘るカニ、砂の上を瞬足で移動するカニ、攻撃的なカニ、臆病なカニ、不思議な形をしたカニ。普段見られないカニをたくさん観た。思い返してみると、当時の僕は、新たなカニと出会う度に、ある不思議な高揚感に包まれていた。心も体も成長し、好きなことを追い求めて、世の中へ出ていこうとする自分がいる。まさにいま、広い世界に飛び出し、外の世界をこの目で見ている。カニを通じて、そんな緊張感や手ごたえを感じていた。それだけ刺激的な出会いの連続だった。カニと出会う度に、大きくなった自分を誇らしく思い、父の顔が浮かぶ。カニ釣りは、僕が幼いころの父との思い出でもある。こんなカニがいたんだと、撮った写真を自慢げに父に見せる。


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