紙で書くかスマホで書くか
最近気づきました。
日記を書く時、紙で書くのとスマホで書くのとでは思いつく内容が違ってくる…
なんというか、紙で書くときは純粋に思っていることを連続して書き出す事ができるのですが、スマホになった途端、なぜか自分を取り繕うような内容に限定されてしまいます。
スマホで文字を打つと、なぜか、うまく良い言葉が見つからない事が多いのです。
原因はなんだろうと考えたとき、決定的な違いはこれだろうというのが一つ思いつきました。
まず、紙で書くとき。
いつもノートにシャープペンを使って書いていますが、やはりペンで文字を書くには一文字に結構な時間を要するのでその間に頭の中の思考を整理する時間が稼げる。
一方でスマホ。
一文字1秒すらかからずに文字が打ててしまう。そのせいで次の文章を考える時間が短くなって文章がまとまらない。文字を打っている間に焦って焦って、「あぁ、次は一体どんな文章が適切だろうか!!」と軽いパニックを起こしてしまい、文の流れに整合性が取れなくなってしまう。
そして何度も何度も全体の流れを読み返して、おかしなところはないか探りすぎて、結果取り繕ったような文章の出来上がり。
こういうことかなと思います。
スマホに関しては、今現在進行形でその現象が起きているので実証済みです。読み返して「ん…?」となった文章を脚色・改変とかするという行為をもはや全行で行う勢い。
一方紙の日記はというと…
(↓以下昨日紙に書いた日記です)
私は一体何が書きたいんだろう。ふと自問自答する。悲劇?
喜劇?それとも別の…何か目新しいもの?
正直まだよくわかっていない。
みんなに求められるものはなに?
私は彼らにそれを提供する人間として適切?
これもまた分からない。最近はそういう事が多い。上辺だけ
じゃなくて、本気でこれをやりたいと、人生を賭してでもこ
れをやりたいと言えるのか?私は今、その質問に答えられな
い。答えを出すのが怖いのだ。早かれ遅かれ、どうせ死ぬの
に、人生を彩る必要があるのだろうか。私も、みんなも、あ
の広大な宇宙からしたら、塵以下の存在に過ぎないというの
に、どうして足掻く?
どうして必死に生きることを望む?
…分からない。理解できない。
…それでも私はモノを書き続けるし、これからも生き続ける
のだろう。時間の許す限り、いつまでも。
なぜなら、息を故意に止めるのはあまりにも苦しく、辛い
から。私が切望する死までに辿り着く間、いったいどれほ
どの苦痛を味わわねばならないのだろうか。それを考える
だけで恐ろしい。
だからきっと、私はまだ生きてて良いのだろう。
そういう感覚が、まだ残っているから。
………????😅😅😅😅😅😅
ゴロリが「ん゛ン゛⁉︎ナニコレ⁉︎」と叫ぶレベルの謎韻文。
書いた本人ですら「記憶にございません」と主張したくなるほどの怪文書。
これぞ躁鬱限界人間の限界クリエイティビティ!!!!!!!!!!!!
面白いのが、やっぱりこういう文章はスマホで書くときはどうしても思いつかないというところ。
文の整合性はともかく、紙で書くときのほうが、数百倍は感情的に、理性的に書けるんです。
訴えたいところは筆圧を強くして殴り書きしたり、やる気のないときは緩い線で文字を綴ったり、とにかく起伏が楽しめる。
そこで思いました。
あれ、もしかしてこれ、紙に書いてプロットを考えたほうが漫画はより面白くなるんじゃ……!?
って。
今までプロットは全部、めんどくさいという理由から全てスマホで書いていました。
でもこの事実を知ってしまってはもう紙に書かざるを得ない。紙に書くことで、もしかしたら奇想天外なアイデアがふと舞い降りてくるかも知れないから!!
いやーnoteとかやってる場合じゃねえよほんと。とりあえず日記は紙に書こうね……
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