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「推す」

アイドルのオタクをしていると耳にする機会が増える、「繋がり」という言葉。
ファンと繋がること、恋愛関係になったことを意味する。
恋愛禁止のアイドルにとって「繋がり」は禁止行為であり、運営にバレれば、活動休止、最悪の場合解雇となる。それによりSNS上が燃えあがる。
これが「炎上」である。
私自身、「推しが炎上する」といった経験をしたことがないが、推しが繋がりで炎上し、結局アイドルをやめてしまったという経験をしたオタクを何人も見てきた。

「推し、燃ゆ」
題名を見た瞬間、「推しが炎上する話か、、、」とすぐにわかった。アイドルの炎上が多少は身近な私にとって非常に興味をそそられる題名。ページを開いた。一行目「推しが炎上した。ファンを殴ったらしい」やはり、、、。買うしかない。迷うことなく手に取り、すかさずレジに並んだ。久々に単行本を買ってしまった。

本の主人公は、皆が当たり前のようにやっていることが出来ない、何をやっても上手くいかない(軽いADHDかな?と思うような描写が多かった)、それでも推しがいるから毎日を強く生きていた。しかし、ある日突然推しが炎上、それでもなお自分の身を削ってまで推し続ける。

この小説で一番衝撃を受けたのは、あまりにもオタクのリアルが鮮明に描かれて過ぎていたことだ。それはライブに行く、グッズを買う、番組を見るなどというようなオタク特有の行動面のことではない。実際に「推しごと」をしている人にしか分からない複雑な感情。それをリアルに描いていた。
例えば「好きすぎて辛い」という言葉があるが、その感情に陥った際の繊細な心情を見事に表現してくれたような気がして、個人的に救われた気持ちになった。(とにかく読めば伝わると思う)

そして「推す」という行為について深く考えさせられた。
10年以上何かしらの「オタク」をしている私からしてみると、「オタク」に対する世間からの目は寛容になったと思える。しかし、それでも非オタにとってオタクの行為は理解しきれないことも多いのではないだろうか。
同じグッズをいくつも買い、同じセトリのライブに足を運び、届いているかも分からないメッセージをSNSに綴る。
どんなに推しのことが好きで、大切で、自分の人生の全てだったとしても、推しにとってはただの1ファンに過ぎないのだ。
それでもオタクは推しメンを「推す」

人はなぜ「推す」のか。
その答えの一つがこの本に書かれていた気がする。

推しに何度裏切られても、それでも主人公が「推し」続けた理由。
それは「推しのため」ではなく、「自分のため」だった。
主人公にとって「推す」という行為は生きがいだった。推しの言動から推しを分析たり、推しが好きなものを自分もマネして試してみたり、、、「推しごと」をしているときだけは自分らしくいられたからかもしれない。

自分が生きるために「推す」
実に自己中心的な感情であるが、オタク誰しもそのような感情はあるのでは?と私は思う。

自分の心を満たすために大量のグッズを買い、何度も同じライブに足を運び、届いているかも分からない言葉をSNSに綴る。「推し」ている自分に酔っているといってもいいかもしれない。
だからこそ見返りを求めないのがオタクだ。実に一方的な感情を推しに受け止めてもらう必要などないのだから。

私はこの小説を推しがいない人にほど強く「推し」たい。
オタクが人生を削ってまで「推す」理由が少しは分かるようになるのではないだろうか。

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