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能力と個性

 能力を個性にしてはいけない。

 大切な人たちへ、親友たちへ、同期たちへ、能力を個性にすることは本当にお勧めしない。

 私の周りには基本的になんでもできるような人が多いと思う。なんでもできるとまでは行かないけど、何かチャレンジをしたいとき、そのチャレンジができるような環境にある人が結構多いと思う。

 社会的に見て君たちはすごく強いんだ、かなり強いんだ。そういうある意味恵まれた土壌の元に生まれてきて、その土壌をうまく活用して成長してきて、今では生まれ持った環境以上に、能力的にも優れている人が多いと思うんだ。規模や程度の差はあれど、色んな競争の中で、ある程度勝ってきた人の方が多いと思うんだ。もちろんそういう競争の中で挫折や敗北、妥協を経験して、そうやって心身ともに鍛えてきたと思う。そうやってみんな強くなってきたんだと思う。でもそれって今まではなんだかんだ色んな加護の中にあった経験だと思う。誰か命を落としたり、関わった全員の生活が危ぶまれるような不幸に合わせたり、そういうものではなかった人が多いと思う。

 特に同じ時期に社会人になった友人たち、会社で出会った同期たち。早い人はそろそろ仕事ができるようになってきて、仕事が楽しくなってきたんじゃないかと思う。自分の一声で何千万という金が動いたり、特殊な仕事がこなせるようになったり、リーダーとしてチームを引っ張れたりすることに面白さを感じて自信が出てきた人もいると思う。自信を持つのは大切だけど、その自信を個性にしては絶対にダメだ。

 ひとえに、能力を個性にするのは辛い。能力があるという個性を保ち続けるには、その能力の研鑽(成長)が欠かせない。重要なことではあるが、勝ち続けないといけないのは、圧倒的に辛い。それを生き続ける信念にするのはやめた方がいい。今までの人生の何かに全て勝ってきて、そしてこれからも絶対に勝ち続けるだろう人にだって、それを個性にするのは勧めない。それは呪いでしかない。今は能力を得ることで幸福を得えているかもしれないが、そのうちその能力が当たり前に求められるようになり、それを失わないように、不幸にならないように必死に能力を磨く(成長する)というルーティンになるだろう。タバコみたいなものだ。

 「成長する(能力を得る)のが楽しい」素晴らしいと思う。「仕事ができるようになって楽しい」素晴らしいと思う。でも「自分にはこの能力しかない」そう思ってはいけない。理由はいくらでもある。何より自分より全てにおける能力が優れている人なんてごまんといる。能力は良くも悪くも簡単に肯定/否定されるし、そしてそういう感情のない評価に晒される機会が多すぎる。

 個性とはどちらかと言えば「〇〇ができる」ではなくて「〇〇ができない」であるべきだ。「〇〇ができない」のにその人だからなんか良い、怒りが湧かないどころか笑えてしまう、それこそが個性だ。なぜそれでいいのか説明ができないのが個性だ。勝ったときではなく負けたときにこそ自分という人間は現れる。「〇〇ができる」を個性にする以上、それに関してはずっとでき続けないといけない。そしてそんな強くも脆い芯が折れたときに立ち直るのは難しい。今まではそれでもなんだかんだ周りに何か加護があったかもしれないけど、これからはそうはいかない。「〇〇ができる」という強みによって誰かと繋がってきたのなら、それが否定されたとき、周りには誰もいない。自分すらもいない。こんな自分など自分ではないと、自分の味方すらもできない。辛いとき、それでも側にいてくれるのは「〇〇ができない」ことを許してくれる人だけだ。しかしこれから、例えば親のような存在は自分より早く死ぬ。

 能力を個性にしてはいけない。頭では誰しもがわかってると思うが、実際にそう思うのはなかなか難しい。就職活動中や社会人数年目くらいの若い間、目まぐるしく環境が移り変わるような間は特に「成長」それ自体が目標になっている人がほとんどだからだ。就活サイトで働いていたから就活相談を受けることが多かったが、「将来何がしたいの」と聞いたとき、よく返ってくる答えは「若いうちに早く成長したい」「20代のうちに1000万プレイヤーになりたい」のようなものだった。成長したい、という欲は特に私の大学の後輩に多かった、勝ち続けてきた人、勝ち慣れている人は大変だなと思う。私はよく「いやそうじゃない、それは手段であって目的ではないよ」と言っていた。成長して何がしたい、お金を手に入れて何がしたい、それが君の目的だろう。手段と目的を見誤るなとはよく言うけど、実際それを自分で判断することはメチャクチャ難しい。問う、君は何がしたい。

 成長して何がしたい、能力を手に入れてその能力で何をしたい?誰かを守りたい?好き放題贅沢して暮らしたい?モテたい?自分の時間を作りたい?成長するのが楽しいのは素晴らしいが、目的を失ってはいけない。そうは言っても、まだ目的なんてない人が大半かもしれない。だからこそ、その目的を「成長」や「能力の獲得」に設定してはいけない。それは何かもっと他のことをするための便利な道具にしかすぎない。私の大切な人たちにはそんな道具でしかないものに振り回されて欲しくない。そして何より、自分という人間を能力で測るようになれば他人の能力の欠落を許すことができなくなる、苛立ってしまうようになるだろう。もちろん(金を貰っている以上)仕事において相手に能力の要求をすることは当然だが、それが習慣化されてしまったら仕事以外にもその矛先を向けてしまうようになるし、弱い人の気持ちがわからなくなる。

 そんなくだらない人間にはならないで欲しい。誰よりも強いからこそ、誰よりも弱い人に寄り添える人であって欲しい。能力は個性ではない。




2022/10/08



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