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Pastorale

 社会人生活も二年が経とうとしている。
 一応この仕事を続けている内は年に1度くらいは振り返ろうと思う。相変わらずドタバタとした毎日を過ごしている。

 私の今年度の大きなテーマは「縦の旅行」だったように思う。カズオイシグロの言葉であるが、私も似たようなことを学生時代の頃からずっと言っていた。ものすごく簡素に言えば似た人とばかりつるんでないで(横の旅行)、社会的背景も人間性も思想宗教も違う人と出会うべきだ(縦の旅行)という話である。自分のことをインテリゲンツィヤだとは思わないが、学生の頃はリベラル気取りだったように思う。

 会社の都合で鹿児島に居るのでどうしても仕事の比重が大きくなるのだが、今年は所属店舗も変わり、一緒に働くスタッフさん達に対して、去年よりももっと深いところ、仕事だけでなくより根本的な、働く理由だとか、家庭など仕事以外の部分だとか、その人たちの未来や将来だとかに大きく関わった一年だった。まぁそれが私の仕事であった。当たり前だけれど人によって生きる理由も働くモチベーションも違うし、それを伝えるためのコミュニケーションの取り方も違う。

 率直に言ってかなり苦しい一年間だった。
 この社会は当事者意識のある人間が勝つようになっている。勝ちたいと思って勝つまで実行する人間が勝つ、まぁ当たり前の話だ。地頭の良さや見た目、コミュニケーション能力、言語能力なんかは二の次である、というよりも、当事者意識があるならばそれらは自然と伴ってくる。
 課題に対して何か実行をする、その実行のミスの原因を特定してそれをしないよう別の行動を起こすと次の結果が返ってくる、そこに対して改善のサイクルを回す。トライアンドエラーという実に当たり前なものではあるが、そのサイクルを回すことができるのは当事者意識のある人間だけだ。全ての課題を自分ごととして捉え、その解決のために周囲を説得して巻き込み、チームで勝っていく。その際必要だと感じたスキルは鍛錬してモノにする、清潔感だろうが言語能力だろうがコミュ力だろうが、である。

 そういう人を評価することはかなり容易いことではある。やる気のある人、主体的に動いてくれる人は実行の結果がどうであれ評価しやすい。
 しかしこの一年間ずっと考えていたことは、当事者意識を持つ、ということそれすらも環境要因にひどく左右されるということだ。噛み砕いていうなら、「努力が出来ること」とは、とても整備されたインフラがあって初めて成り立つということだ。体調やメンタル、家庭やプライベート、挑戦しやすい上司や職場環境、またその人の人生が今どういうシーンか、というのも重要だ。多くの人は安寧を求めているし、何かを犠牲に自分の挑戦を、大袈裟に言えば人生を諦めている。
 そして生憎、社会で評価されるにあたり、そもそも「努力をしていること」は当然であるし、さらに「その努力が正しく効率的であること」、そして「その努力で結果を残すこと」が必須となる。いやまぁ、どの企業も最終的にはそのはずなのだが、実際これを評価できる会社は希少であるし、中でも特に私の企業はその毛色が強いと思う。そして実際の現場で働く人の多くは主婦さんなどであり、この職場以外にも努力しなければならない場所が多いのである。

 仕事は結構頑張ったと思う、もう一度同じように配属されても同じように仕事をすると思う。会社のやり方というか方針に則ってやっているわけなんだけど、というかそうしないと私の店舗の存在価値がなくなってしまうんだけど、色々努力出来ない環境にいる人たちがいることも知って、その人たちに指針を出して理念教育をすればするほど、その人たちは努力が出来てない私のせいだ、と自分を追いめていて、そんな姿を横で見ていた。

 成長ってなんだろうな。報酬を支払っている以上要求をしないといけない、そうでなければ真面目に努力している人すら報われない、いやでもさ、この片田舎でゆっくり生きていたいであろう人たちを、私は何故こんなに急がせているんだろうな。努力出来ない人は環境にあってないから仕方ないと切り捨てて、仕事が出来る人間たちだけで優秀な会社を作っていくんだよな。すごく正しいんだよ、正しいんだけど、嫌いなんだよな、そういうの。
 私の上司に言わせれば、「そういう人はウチに向いてない、その人のためにも良くないから一刻も早くウチを離れて貰った方がお互いのため」。それくらい割り切れた方がいいのだろうか。
 まぁ結局はそういう人たちを全て包み込めるくらい利益を残せなかった私の責任だし、正しい努力が出来なかったのは正しく期待役割を伝えられなかった私の責任である。恨まれても仕方ないと思うし、むしろ恨んでくれた方が楽だなと思う。


 つくづく自分は資本主義とは相容れないのだなと感じる。
 縦の旅といえば、私の妹は精神障害者であるわけだが、妹も世間一般的には大学生の年齢になる。夏頃に縁あってB型障害者就労支援施設に行かせてもらった。驚いたことは、店長として私が普段やっている仕事と施設の館長の仕事がほとんど同じだったことだ。
 施設の運営が成り立つかという経営的な側面から、スタッフの方々への仕事の分配、対外施設や行政機関とのつながり、どれも私の仕事と重なる部分が多かった。

 違うことといえば(もっとも、ここが根本的であり決定的に違うのだが)自分は顧客満足と営業利益を最大化させるために働いていること、施設は障害者のスタッフの方々を社会に参画させるために働いているかということだった。
 私の根本の仕事のモチベーションは別に利益を上げたいとか、正直そういうのはどうでも良くて、店を潰してはいけない、一緒に働いている目の前の人たちが働くこのコミュニティを守らなければならないという、そういうかなり個人的なものであり、施設長の言葉一つ一つにとても共感することが多かった。

  人は何の為に働いているのだろう。自分の仕事と自分の信念に大きすぎる矛盾を感じた一年だった。
 じゃあ転職すれば良いと思うかも知れないが、まだ早いような気もする。ゲームのルールを変えるにはまず今のゲームで勝つ必要がある。自分は将来どうなっていくのだろうか。実力主義の快感に傾いていくのか、福祉的で再分配的な信念を貫くのだろうか。 


 興味深い一年だった。プカプカと流れるような、流されるような日々の途中で、縦の旅行の中で、他人を見つめることで自分を見つめ直すことが出来た。伏見稲荷神社で写真を撮ってあげた人とそのまま一緒に京都旅行したり、屋台で会った製薬会社勤務のおじさんと美大志望の娘の将来について2時間ほど話したり、恋人に連れられて鹿児島に来たがフラれてしまい来月地元に戻るという居酒屋の店員と飲んだり、そういう偶然の出会いが多かった。

 今月、卒業から2年住んだ鹿児島を離れるが、本当に暖かくて良い場所だったように思う。色んな人に出会い、ここに住まなければ漢字すら読めなかったような土地で暮らして、東京育ちの私はかなりギャップを感じたこともあったし、どこだろうが変わらないなと思ったこともあった。また知識以上に住まなければわからないようなリアル、情報の濃度や文化、歴史、うっすらと共有しているような価値観、また出会ったひと個人個人の物語、出会えたものの全てが私の一部になっていることを嬉しく思う。


2024/02/04

1年目:energy flow


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