三叉路-5
前話:すれ違う人の中で-4
8月、九州の片田舎、盆で父親の実家に来ていた。まさか社会人になってこんなに家族と過ごすことになるとは思わなかった。
元々行くつもりはなかったが、親父と妹が来れなくなり、盆休みだった俺が着いていくことになった、長男に拒否権はない。会社のバーベキューやら何やらを体よく断れるのはラッキーだった。
久しぶりの実家はカンカンに日差しが照りつけていて、田んぼを挟んだ向こうの家の輪郭が蜃気楼でぐわんぐわんと揺れていた。まぁそれでも東京特有の嫌な湿気がないだけマシかもしれない。
ジブリに出てきそうなバカでかい家で、やることもないからひたすらテレビを見る。忙しそうな母を見て何か手伝おうかと言ったが何もしないでと返された。母親は祖母や叔母と一緒に大量の食事を仕込んでいる。
嫁、姑なんて血も繋がっていないのに親子みたいな関係として扱われるのが不思議だ。そもそも父方の実家に母だけ帰るという状態もよくわからない。母は実家に帰らなくて良いのだろうか。まぁ祖母と仲が良さそうなだけいいか。
5年ほど前に亡くなった祖父は小さな建設会社をやっていたらしい。この辺の家は全部おじいちゃんが作ったんだぞ、というのが祖父の自慢だった。俺がテストで良い点を取ったり、徒競走で一位になったり、自慢にもならないような話を母がするたびに、〇〇は本当にすごいな、親父に似たんだな、といって褒めるのが口癖だった。
俺は親父を例えに出されてあまり嬉しくなかったが、祖父はいつも誇らしげだった。
墓参りやら会食やらの作法は全然わからなかったが、分からないままでもつつがなく終わった。全く覚えていない大勢の親戚に囲まれ、親父さんは元気か、大きくなったなぁ、東京で働くなんて大変だ、こっちで働く気はないか、結婚はまだか、相手はいないのか、と色んなことを聞かれた。
大体はぐらかしていると母が俺をいじるようにオーバーなリアクションで答えた。
「この子ったら全然なんですよ!けど最近の子達ってこういうのが普通らしいわ、わからないもんですよねぇ、、」
来なけりゃ良かった。頻繁に席を立ち、タバコを取り出して玄関に向かった。コンビニが遠いからと溜めていたアメスピも吸い切った。
夜。食事が終わって親戚たちも帰り、ひとり縁側で涼んでいた。蚊取り線香の煙と蛙の音。
大量の片付けから解放された母が一口サイズに切られた西瓜を持って横に座る、カシュとビールの空く音がする。母は酒が好きでも強くもないが、疲れた時たまにビールを飲んでいる。
「やっと一息つけるわ。アンタもお疲れさま、はい乾杯」
「そういえば、香織結婚したんだって」
「あら、香織ちゃんなら最近離婚したわよ」
えっ、と声が出た。
「なんで」
「さぁねぇ、色々あるんでしょう。ひとさまの事情に突っ込むもんじゃないわよ」
なんで言ってくれないんだよ、というか、結婚してたことも知ってたのか。
まぁよく考えれば、あんなに親同士仲良いんだから知らないわけないか。
母は大学生の頃に上京し、親父と出会った。卒業と同時に結婚し、しばらくは実家にいたが俺の妊娠がわかって東京に引っ越した。
普通逆のような感じもするが、とにかくそうだった。引っ越したときにお隣だったのが香織の両親だった。
どちらも似たタイミングで子供が産まれたのもあって、お互い一緒に遊んだり面倒を見てもらったりというのが多かった。特に母親同士仲が良く、働いている母の代わりに保育園の迎えに香織の母親が来たこともあった。
「この前偶然香織ちゃんのママに会ってね、もう懐かしくなっちゃって」
母は香織の話題を逸らすように香織の母との話を始めた。酔い始めたみたいで、そのまま昔話が始まった。
地元から戻ってきた手前、親父はプライドが邪魔して大学の友人を頼れず彼らに世話になったこと、香織の父親の紹介で就職氷河期の時代に親父が正社員になれたこと、そもそも東京に引っ越すとなったとき、元々親父が家業を継ぐ予定だったから祖父と大揉めしたこと、半分勘当のような形でここを出ていったこと、俺が産まれてから祖父の態度が変わったこと、親父がタバコをやめたこと。
ひといきで堰を切ったように話した後、母は西瓜を口に入れてビールで流し込む。それは食べ合わせ悪いだろ。
「なんでそこまでして東京に戻ったの」
「さぁねぇ、、」
盆もすっかり落ち着き、祖母に別れを告げ、俺と母は東京に戻った。荷物が多いので一度実家に帰る。
俺にとっては東京が地元なんだよなぁ。帰る田舎がないのは寂しい気もするけど、この東京特有の距離感が楽な気もする。
荷物のついでに部屋を整理していると、本棚のアルバムがふと目に止まった。
この家にはちゃんとした本棚が俺の勉強机にセットで付いてきたこの一つしかない、妹が小学生になってからも本棚は共用だ。親父の資格本も母の家庭菜園の本も妹の使わない教科書も全部俺の本棚に入っている。
一番下の段に自分の名前が書かれたアルバムを見つけて、なんとなくめくってみる。赤ん坊の俺を親父が抱き抱えている。
マザー牧場、満開の芝桜でいっぱいの公園、ディズニーじゃない少し田舎っぽい遊園地、動物園。幼い頃の俺と、抱き抱える親父。
パラパラとめくりながら、母の写真が全然無いことに気づく。卒園式とか入学式みたいな、そういう家族全員で写っている写真くらいにしか母親は写っていなかった。
思い返してみれば、たしかに俺にシャッターを向けていたのはいつも母だった。
俺のアルバムは三つ目まであって、そのほとんどが小学生までの写真だった。妹のアルバムは一つだけだった。中学生になったあたりから確かに写真を撮ることも家族で出かけることも減ったし、そもそもそこら辺からスマホが出始めたんだっけ。
アルバムの最後の写真は大学の卒業式だった、律儀に現像したのか。親父が来なかったから、母と二人で卒業式に出た。道ゆく人に母が声をかけ撮ってもらった。三つもあるアルバムに母とのツーショットはその一枚しかなかった。もっと笑えば良かった。
荷物をまとめ終わり、実家を後にする。夏の日差しはカンカンに降り注いでいる。
家まで歩いて20分もかからないのにものすごく遠い距離に思える。ものすごく人が多くて、むせ返るような熱気がその大勢の人間を包んでいる。
香織は元気にしてるだろうか。去年会ったとき、嬉しそうだったような、そうでもなかったような。ぶかぶかのパーカーとジーンズを着てたことくらいしか思い出せない。
気になるけど、自分から聞きに行く勇気はない。結婚も分からなければ離婚なんて分かるはずもない。
保育園から一緒だったはずなのに、いつの間にこんなに違う人間になったんだろう。
早く家に帰ってタバコを吸いたい。実家では母が激怒するから外で吸わなければならないが、この暑さの中では5分も立っていられない。
滴った汗はアスファルトに落ちていったが、一瞬で蒸発して元のグレーに戻った。駅の反対側に向かって、歩き出す。
2023年9月17日
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