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キリスト教は、心の健康を支えてくれないのか

 聖書には、イエス様が病気を癒してくださる描写がいくつもありますね。私が幼い頃、祈りによって病気が癒やされる奇跡がもてはやされたことがありました。私も、中耳炎が癒やされた経験があります。それで、病院で治療を受けることが不信仰のように言われてしまったり、祈れば良いと病院に行かないでいる間に悪化するといった害も出ました。キリスト教も一歩間違えばカルトです。

 さすがに今は、そこまで極端なことを言う人は減って(いないとは言いません)、病気になったら、ケガをしたら、病院で治療を受けるのが当たり前になっていますね。しかし今度は、心の分野で同じことを言う人がいるようです。
 神様に愛されていることを受け入れて、日々感謝して生きているのに、精神疾患にかかるわけがないだろう。罹っても、祈りと御言葉で治るはずだ、と。歴史を学べと言われる理由が少し分かった気がしますね。
 では、キリスト教とは何なのでしょう。体も心も癒せないのに、信仰し続ける理由があるでしょうか。今回はその辺りを考えてみましょう。

【目次】
◇医学の役割
◇心理療法や自助会の働き
◇教会文化と聖書の乖離
◇それでも、最終的な解決は聖書にある
◇羊の群れの中にいることで守られる

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