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文化の勃興と栄枯盛衰

半年くらい本棚で沈黙してた山下泰平氏の『「舞姫」の主人公がバンカラとアフリカ人をボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』を少し読み進めた。ざっと説明しておくと、文学をはじめとした文化史には、夏目漱石や芥川龍之介など有名な文豪が沢山出てくるが、それ以外の歴史の授業で扱わないような文学を紹介していく本だ。ほぼ本の題名そのままになってしまったが、まさにそのままの本だ。

この本を読んでいると、歴史の表舞台に出てこないが、とても面白い文学が沢山あることを思い知る。また、授業では解説されないような当時主流だった文学のストーリー展開なども扱っていて、本のアウトラインでも非常に興味深いものがあることを知る。
…それっぽい感じで書こうと思ったけど、本の題名が全てを解説してくれているから結局題名そのままになってしまう。やめよう。


現代日本には伝統文化の継承問題がある。高度経済成長期から、都市部に出て会社に勤めることが主流になったことで、東京をはじめとした一部の地域は人口が集中する超過密地域になり、その他の地方にカテゴライズされる地域は人口流出が絶えない超過疎地域になっている。そのために、その土地その土地で発展してきた文化が衰退を始めている。もしくは見かけ上衰退していないが、しばらく経つと絶滅する雰囲気を醸し出している文化もある。

やはり文化には栄枯盛衰が存在し、時代の流れに巻き込まれるように入れ替わっていく。200年前は大衆が楽しむものといったら歌舞伎や落語などの演芸だった。それが映像が現れ映画という文化が勃興し、今ではNETFLIXなどのサブスクリプションサービスに主導権を渡し始めている。だからといって演芸が消滅したかというとそうではなく、確かに日本の文化の軸に存在し続けている。
文化の主導権を渡し、主流ではなくなった文化のすべてがなくなっていくのではなく、優れた文化はアンダーグラウンドで確かに存在している。もちろんそこには、その文化に携わる人たちの努力あってこそだが、努力だけでは文化の衰退を避けることは困難だろう。文化の持つポテンシャルが少なからず関わっている。

伝統的文化を残そうという文脈の中には、包括的に守り継承していくということが含まれている。そこには、文化のアンチエイジングを目指していることが現れているが、それはそれでもったいない気がする。
赤色超巨星は最後に超新星爆発を起こし、中性子星やブラックホールを残すが、そこにアンチエイジングを持ち込めば起こることはない。確かに、赤色超巨星の状態で存在し続ければ永遠に明るく照らしてくれるが、超新星爆発のような刹那的な輝きを見ることはできず、また中性子星のような新しい星が生まれたり、ブラックホールのようなさらに求心力の優れた星が生まれたるすることはない。


文化の継承を行い存在させ続けることは確かに素晴らしい。しかし、栄枯盛衰が魅せる輝きもまた素晴らしいことも確かだ。流れを否定することが必ずしも良いわけではないことを頭に入れて過ごしていきたい。〆の言葉が見つからずすごいテキトーな感じになってしまったけど、たまにはこんなのでもいいよね。

僕の生活の一部になります。