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コワクラ通信2017⑦ 幸せのコンセプトが

善行を重ねれば、その対価が、幸せとなって戻ってくる。

たとえそれが、本人に戻らなくとも、誰か、関係者に、と。

そんな定義というか、教えを今まで聞いてきた。

だから、反対に、悪行を積んでると、不幸が、と。

 ある元お坊さんに問うと、因果応報、というのは

仏教では教えていない、と言われた。

 つい最近、読んだ実話では、ほんとに、生まれつき

可哀そうなほどの境遇で、頑張るが、いつも、お金が出来ては、

タイミングよく、ご主人や兄弟や知り合いに、見事に持って

ゆかれてしまう。そんなことの繰り返しで、いっこうに

普通の幸せというものには縁がない。

 こういうのを見ていると、なんだか、一体どうなってんだ、

偉い人たちが言っていることは、って思ってくる。

 今のところ、結論としては、

世間一般でいう幸せのコンセプトは、一通りではない。

いろんな形があり、その中には、一見、不幸せの範疇に

入ることでも、あきらめずに、歯を食いしばって、日々

頑張っている存在も、それはそれで、幸せなんだ、と

いうことにしよう。

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