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ルーツに誇りをもって

【NHK取材アーカイブ】

2020年12月21日(日)公開記事アーカイブ

ことし4月、アイヌ文化のツアーを手がける会社を起業し、自らガイドを務める男性がいます。
米澤諒(よねざわ・りょう)さん(27)。
北海道出身の父とソマリア人の母のあいだに生まれ、19歳のとき、アイヌにもルーツがあると知りました。
「自分は何者なのか?」。
悩み抜いた末にたどりついたのがガイドという仕事でした。
言葉にこめる思いとは。
(取材 札幌放送局アナウンサー 堀菜保子)

〈アイヌ文化を伝えるガイド、その遍歴は〉
ことし7月にオープンしたアイヌ文化の発信拠点・ウポポイ。
10月末、その中でガイドをする男性の姿がありました。
米澤諒さん(27)。

ことし、アイヌ文化のツアーを手がける会社を起業しました。
米澤諒さん
「すごいって喜んでもらえると、自分たちの先祖が残してきた文化が感動してもらえるってことで、うれしいです」

北海道出身の父と、ソマリア人の母のあいだに生まれた米澤さん。
父の仕事で、10歳までカンボジアで過ごしました。
多国籍の子どもに囲まれ、「みんな違うのが当たり前」という環境で過ごした米澤さん。2つの国にルーツを持つ自分が好きでした。

米澤諒さん
「自分はソマリア人と日本人であって、どちらにも誇りを持っていました」


〈日本で味わった苦しみ〉

しかしその”誇り”は、日本に帰国すると揺らぎ始めます。
"見た目がみんなと違う" "日本語が話せない" そんな理由で「外国人」として扱われたのです。

米澤諒さん
「初めて会った人にいきなり英語で話しかけられたり、アフリカに帰れとかカンボジアに帰れとかしょっちゅう言われたりしていました。 日本人として見られなかったらじゃあ自分は何人なんだろう、自分は何なんだろうって いう不安がありました」

”違う 日本の文化のこと ちゃんと知っているし 言葉も話せるよ”
そうした思いで米澤さんは、日本語と日本の文化を懸命に学び、自分が日本人だと必死に証明しようとしてきました。

そんななか、19歳のとき、父が思いもよらない告白をします。
米澤さんの祖母が、アイヌだというのです。
当時、米澤さんは大学に進みたいという思いがあり、新聞配達のアルバイトをしていました。 そんな息子の姿を見ていた父が、札幌大学にアイヌ文化を学ぶアイヌの若者に奨学金を出すプロジェクトがあるのを知っての告白だったといいます。

米澤諒さん
「突然言われたときは、え?って感じで。もっと複雑なんだ、自分って、もっと複雑なんだって、びっくりしました」

自身のルーツを改めて考えた米澤さん。
頭に浮かんだのは、母親の顔でした。

米澤諒さん
「自分が日本に来てからの行動を思い返すと悲しくなりました。”みんな一緒だよね”っていう周りの空気感から、自分は日本人として見られたい意識が強くなっていて、 母親のルーツのソマリア人として見られたいという思いが自分の行動にはなかったと振り返りました」

どのルーツを"誇る"べきなのだろう…
悩んだ末に至った結論は「すべて」でした。

米澤諒さん
「悩みに悩んで、もう、自分としては、自分がこうだっていう思いを伝えようと、自分は日本人でもあるし、ソマリア人でもあるし、アイヌでもあるって言おうと。もし言うんだったらしっかりアイヌ文化について知っておこうと思って、札幌大学に入ろうと思いました」

〈"誇り"は育てるもの〉
米澤さんは札幌大学に進学して、アイヌ文化を本格的に学び始めます。
自分の先祖が築いてきた文化を学ぶことは、とても楽しかったといいます。

一方で、気づいたこともありました。
出会った仲間の中には、自分と同じような悩みを抱えている人が多くいました。自分がアイヌであることを最近まで知らなかったり、差別をおそれてアイヌであることを隠してきたりしていました。

そんな米澤さんの将来を決定づける出会いがありました。
大学4年生のとき、ハワイの先住民を訪ねる機会があり、民族の言語を楽しそうに学ぶ子どもたちを目の当たりにしたのです。

"誇り"は育てるもの ———
米澤さんは一生をかけて取り組みたいことを見つけたといいます。

米澤諒さん
「自分たちの文化に誇りを持っているんだなとすごく伝わってきました。子どもたちは周りの目とか空気にすごく敏感になっているので、誇りを持つには、アイヌとして生きていても差別されないよっていう安全な空間が必要だと思うんですよね。ライフワークとしてそういう環境が作れるような取り組みをしていきたいなと思いました」

東京での就職を考えていた米澤さんは、ハワイからの帰りの空港で、進路変更を決断。
北海道でアイヌ文化を学び続けたいと、大学を卒業してから3年間、旧アイヌ民族博物館の「伝承者育成事業」に参加すると決めました。

〈"誇り"を提供する場を求めて〉
この事業に参加した3年間を終え、ことし、米澤さんが起こしたのが、アイヌの文化を紹介する会社でした。

ガイドの仕事は、アイヌにルーツを持つ大学の後輩にも担ってもらうといいます。アイヌの文化を人に語ることで、自分のルーツを大切にしてほしいと考えているからです。

この日は、自然の中でアイヌ文化を伝えるための研修を行いました。
アイヌの人たちが樹木を生活の中でどう利用してきたのか、さらに、アイヌの人たちが語り継いできた木にまつわる物語とその教えについても話します。
後輩たちは、真剣にメモを取り、お客さんに伝えるためには何が必要か積極的にアイデアを出していました。アイヌ文化への向き合い方も変わってきていました。

大学3年生の岩谷実咲さんです。
勉強してきたアイヌ文化の知識を、ガイドという仕事を通して、より自分のものにしたいと思い参加しています。

岩谷実咲さん
「ガイドをやり初めて、自分にとってアイヌ文化は切ってはいけないものなんだなと思うようになりました。将来の道もまだ迷っていますが、アイヌ文化から絶対に離れることはしたくないなって思います」

そして、アイヌ文化の歌と踊りが大好きだという、木村梨乃さん。
2年前に札幌大学を卒業しました。
木村梨乃さん
「悩むときはありますけど、自分はどう生きててもどこで生きててもアイヌなので、せっかくならそれを生かして、ゆくゆくは米澤先輩みたいに自分のやりたいことが見つかったらいいなと思います」

米澤さんは後輩に対し、「一番の理想は、アイヌ文化に関わり続けることだけど、それを仕事にして生きていくのは簡単なことではない。それでも、どんな道に進んでも、アイヌ民族だということに誇りを持ち続けて欲しい」と話します。

その上で、ルーツに”誇り”を持つことは、国と民族を超えて結ばれた父と母の子である自分を大切にすることでもあると話します。

米澤諒さん
「私は、いろいろな文化があって、いろいろな宗教があって、いろいろな人がいてこそ人間ってすばらしいと思っている。お客さんには、アイヌ文化を残すのは大事だということを伝えるのではなく、お客さん自身の文化も大事なので、それを大事に生活して、自分が後世に残せるようなことをやってみませんかっていうことを伝えられたら良いなって思います。 誇れるものはそれぞれ必ずあると思うので、自分らしさを大事に生きていってほしいです」
2020年12月16日放送

【取材を終えて】
米澤さんと初めてお話したのはことしの春。自身のルーツやアイヌ文化について語ってくれる米澤さんの声は、迷いのない、覚悟を決めたような、力強いものでした。その「強さ」の訳を知りたいと取材を始めました。その中で分かってきたのは、「強さ」の裏に「自分は何者なのか?」と悩み抜いた経験があるということでした。苦しみを乗り越えた米澤さんの語る、「人それぞれ誇れるものは身近にある。自分らしさを大事に生きていってほしい」という言葉。ルーツを大切にする、つまり、自分を大切にする、ということは、隣にいる人の文化も大切にすることにつながるんだということに気づかされました。
米澤さんは、ガイドを通してそれぞれが自身のルーツに誇りを持って応援しあえる社会を作り、ゆくゆくはアイヌの子どもたちの”誇り”を育てられるような、アイヌ語で教育を受けられる学校を作ることが目標だと話します。今回の取材で、米澤さんの”誇り”が大学の後輩に受け継がれていくのを目の当たりにすることができました。将来は学校が、そんなバトンをつなぐ場所になるのかもしれません。

最後に、後輩の1人、岩谷さんの言葉です。
「アイヌを尊敬してほしいわけではありません。ただ、“いなかった”、存在しなかったと思われたくないんです。昔から住んでいる人たちがいて、その人たちがその土地にある自然の恵みだけで生活していたということを知ってほしい」
米澤さんは、海外からの観光客が戻ってきたら、両親から教わったネイティブの英語を使って、世界中の人にアイヌ文化のガイドをしていきたいと話していました。
札幌放送局アナウンサー 堀菜保子
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n712d7df74391

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