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飲み込んでおくれ 巨大な鯨のように#335

おはようございます)
(こんにちは)
(こんばんは)

自分には、もうすぐ2歳になる娘がいます。

その娘の成長が最近すごく様々な場面で見られるのですが、すごく嬉しくもある反面、何だか寂しさを感じることもあります。

もはや、完全に自分のエゴでしかないのですが、この成長スピードだと、すぐに大きくなって自分から離れていっちゃうんじゃないかってところから来る寂しさなんでしょう。

「ぎゅー」って言うとハグしてくれたり、お家の中でも一緒に手を繋いで歩いてくれたりする今ある日常をすごく大切にしなきゃいけませんよね。

これらは、未来に二度とは帰ってこない貴重な時間ですので。


さて、今日は上に書いた話からも繋がって、「今の自分は、当たり前にある目の前のことに感謝できているか?」という視点で記事を書いてみたいと思います。

この問いに、答えようとしてみるんですが、ややはり「感謝できている」と断言できません。

「感謝できていない」の側に自分はいるでしょう。

当たり前に感じていることって、言い換えるならば日常的なことだと思います。

日常的なことは、特に大きく変化しないことでもあり、人は慣れていきます。

その慣れが感謝の気持ちを薄めてしまう、もしくは、何も意識せずにいると、感謝するという選択肢すら無くしてしまうのではないかと思います。

いや、たしかに日々の生活の全てに感謝の気持ちをもって過ごそうとしたら、少ししんどいですよね。たくさん気持ちも持っていかれるし、逆に気を張って過ごすことで心も疲れてしまいそうです。

ただ、自分の中で一つ思っていることがあります。

それは、その当たり前にあることの中で、家族や友人など大切な人と過ごす時間に関しては、都度都度、その当たり前に感謝する気持ちを持った方がいいと思いますし、いつまでも当たり前にあると思わない方がいいということ。

こんなことを書くのも理由があって、実は、今日は母親の誕生日なんですね。

ちょうど10年前に父が急に亡くなり、自分の親は母親だけになりました。

そこから、今まで母親は長崎で一人暮らしています。

毎年、夏休みやお正月に帰っていたのですが、コロナの時期があり、また娘が生まれてバタバタしていたのもあって、ここ数年はあまり帰れていません。

しかし、時間は常に流れています。
自分を40代で出産した母は、既にかなり高齢です。

長生きしてほしいと思っていても、これから何があるか分からない。

長崎に帰れば、実家には母親がいて、迎えてくれることが常に当たり前でしたが、それが当たり前でなくなる日も、遅くない未来にいつかはきます。

父親や祖父が亡くなった時には、そんな思考に至ることができませんでした。

しかし、今はこのような当たり前に感謝しようといる自分がいます。

仕事の関係で、今回の夏休みには帰れませんが、9月の三連休に帰省の予定を入れました。

この当たり前で、いつかは当たり前でなくなる時間に感謝して大切にしたいと思います。

孫の成長もたくさん見せられるといいなぁ。

プレゼントは送ったので、今夜は電話したいと思います。

では、最後にこの歌詞を。

あって当然と思ってたことも
実は奇跡で
数えきれない偶然が重なって
今の君と僕がいる

『here comes my love』Mr.Children 桜井和寿


というわけで、今日の記事はここまで。

それでは、ご機嫌スイッチを入れての1日を✨



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