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頑張らねーよ

今日、日本人観光客に会った。

基本的に山道を練り歩くカミーノ道中だが、今日は昼時に珍しく大きな街に出たので、スペインギャルが有名なタコのレストランに行こうと提案し、レストランの前でバックパックをおろしてたむろしてたら、目の前にデカいバスが止まって、アジア人のおじさんおばさんがぞろぞろと出てきた。はじめ韓国人だと思った。でも韓国人の腐女子が「ゼイアーノットコリアン」と言ったので、じゃあチャイニーズだろうという話になった。にしてはちょっと静かだなと思ったけど。

スペインギャルが、観光客にウェアーアーユーフロム? と聞いたら日本人だという答えが返ってきた。私は、日本人を一瞬で日本人だと見分ける能力が自分には備わっているという自信があったので、とても驚いた。とにかく2週間ぶりに日本人に会った。スペインギャルが、彼女も日本人なんですよーと私を指したので会話することになった。

彼らはカミーノを知っているようだった。私の周りにいる、スペインギャルや韓国の腐女子、辛ラーメン大好きコリアンボーイズ、ガンジャの話ばかりするギョロ目のドイツ哲学青年などを見回して「お友達ですか?」と聞いてきた。「ハイ」「一緒に来たの?」「いえ、私は日本からひとりできて、道で仲良くなったんですよ」「あら、素敵ですね」「二週間ぶりに日本語喋るんで下手だったらすんませんー」

彼らは、日本語が通じるバスで移動している。日本の空気を四角いハコに詰めて、安全に移動している。
8キロ以上あるバックパックを背負い、杖をもち、よれよれのウインドブレーカーを着た私は、でも、その観光客たちに対して優越感を持っていたと思う。
だから、異国の地にひとりで向かい過酷な巡礼路を歩く女の子(彼らにとっちゃ30歳だってまだ女の子だ)に優しげな視線をおくる、定年直後と思われるおじさんおばさんに対して、そんな自虐的かつ皮肉な物言いをしたんだと思う。

「日本人に会うと安心するでしょ?」と、上品なおばさんのひとりが聞いてきた。ハア、とか言った(と思う)けど、実際はノーだった。単にウザかった。
「頑張ってね!」と手を振りながら、おじさんおばさんたちはタコのレストランに吸い込まれていった。心の中で「頑張らねーよ」と思った。

日本には、こういう時にかける「頑張ってね」以外の良い言葉がない。「グッドラック」や「ハヴアナイストリップ」、「エンジョイユアトリップ」は、すごく良い。カミーノ道中のおきまりのあいさつ「ブエンカミーノ」(ブエン、は良いの意味)もすごくいい。当人の努力でなく、神のご加護や幸運を祈ってるよ、楽しい時間になるといいね、と言うのって最高。
日本語には次点で「気をつけてね」という言葉もあるが、私は「気をつけねーよ」と思ってしまう。
日本人観光客が去ってから、私はほっと胸をなでおろし、韓国の腐女子に「君の気持ちがわかったよ」と言った。彼女はカミーノにあまりにも韓国人が多いことにうんざりしていた。一瞬観光客に遭遇した私でもこんなに疲れるのだ、日本人以上に上下関係や絆の複雑さがある韓国人なら、なおさらだろう。

とにかく、せっかく日本語を使わずにいる楽しい旅の道中に水を差された感じがして、すごく嫌だった。
セックス中に親が部屋に入って来るくらい嫌だった。

日本語と日本人そして日本人のメンタリティは本当に強く結びついている。敬語を使うか使わないかという選択肢は、日本語話者が日本語を話す以上絶対に避けられない。し、挨拶で「お早う」(あなたはこんなに朝早く起きて本当に勤勉ですね、素晴らしいです)「お疲れ」(あなたはいつも疲れるほど頑張ってますね、本当に素晴らしいです)と言い合う努力文化からは絶対に逃れられない。

その後私たちは、スペインギャルが教えてくれた、観光客たちの入った店から数軒先にあるレストランに入り、名物のタコを食べた。鬼旨かった。

日本語の通じる安全快適な箱で自動的にレストランに向かい、日本の甘えが通じない道路で車に轢かれそうになることや、読めないメニューに戸惑うことも小銭を間違えてレジの後ろの客に睨まられることもない彼らより、私たちの食べたタコの方が絶対に旨い。味の問題じゃない。

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