情報の透明性ではなく、非透明な情報の透過性


ゆめみでは、三実主義にあるように、情報というものを事実だけではなく、現実(と理想)・真実も含めて捉えています。

したがって、客観だけでなく主観も入り混じるものであり、情報は透明というよりは、色がついていて非透明として捉えています。

一方で、「情報は、取りに行く」という考えもあります。

これは、会社の変化の頻度が多い中で、その内容を発信はしますが、一方で、本人が必要なタイミングで、必要な情報を必要な分だけ取りに行けば良いというスタンスで考えています。

つまり、必ずしも変化に常に着いて行く必要は何と考えています。

例えば、iPhoneなどのスマートフォンにおいて、OSのアップデートなどのたびに、ユーザーインターフェースなどの使い勝手が大きく変わったりすることがありますが、OSのアップデートをするタイミングは個人のタイミングに任されていると思います。

したがって、会社のアップデートに対して、自らがアップデートするタイミングを選べれば良いと考えています。

しかしながら、それは、事実を元にした客観的な情報や制度といったものに対してです。

非透明な情報については、主観の情報です。

特に、意見の衝突や、仕事をする中での考え方の違いから生じるコンフリクトについては、それを解消できるのは本人同士のみだと考えています。

また、意見の衝突などから相手に対して沸き起こる感情がこじれの原因になることもありますが、その感情は、本人が感じていることであって、その感情を解消することは本人しかできないと考えています。

したがって、そのコンフリクトを解消する方法としては、本人しか解消できないことは、自責という考えに沿って、本人が相手に対して、真実を伝える形で解消をしていくいうことを大事にしています。

それは、「非透明な情報は取りに行くもの」ではなく、対面できっちりと相手に対して「非透明な情報は届ける」という意味で、「透過性」と呼んでいます。

つまり、情報の透明性は、もちろんのこと、非透明な情報の透過性もより大事に考えています。


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