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20220111 我々はどこから来てどこへ行くのか

思えば去年は「命」について「生きる」ことについて、向き合った1年だった。

お姉さんのような大切な存在だった女性を突然の事故で亡くし、
私自身も、別のタイミングで死にかけた。

去年は必死に彼女への思いを昇華させること、立ち直るのにずいぶん苦労した。

そして旧暦ではまだ2021年ともいえる、2022年1月8日。

この日、再び「命」について突きつけられる出来事があった。

まだきちんと事実を知らなかった1月9日の朝、

霊感があると言いながら、面白くないこと以外全く信じず無視する私が、
起き抜けに強く、無視できないほど強いメッセージをもらった気がした。
要約すると、こんな感じの内容だ(エネルギーなので言語化が難しい)

「生まれてきてよかった。

 生きてるだけで、人は尊い。

 そして人生を、楽しむために、生まれてきた。」

なんのこっちゃ?っと思い、

でもあまりにも脳裏にこびりつくのでメモをして、友人や家族に話したりした。

その後、数時間経ったお昼頃、

毎年の恒例としてた大切な方へのお誕生日のお祝い連絡をした。

「現在、使われておりません」

嫌な予感がした。

去年まで繋がっていたはずだ。
すぐに共通の友人や知人に連絡をした。

不安を忘れようとソワソワと落ち着かなくすごしてた夕方頃、事実を知った。

コロナの世の中になり、ご高齢だったこともあり感染が怖く、
会えなくなって何年にもなっていた。
電話で定期的に連絡は取っていたので入退院をされたりしたことも聞いていた。
とても体が痛いこと、注射を自分で打っている話なども。

本当に痛そうで、ものが握れない、仕事が出来ないことが辛いと話してた。
話すこと自体も後半は辛そうで、
電話で聞いていて、会いにいけない事がつらく、涙が止まらなかった。
魂は継ぐからと、涙ながらに約束をしたのが精一杯だった。

走馬灯の様に20年以上の月日の中で
一緒に体験した出来事が浮かんでは消えていった。
色々あったけど、思い出すものはどれも感謝しかない温かい思い出だった。

2021年、2022年と精神的支柱だった大切な人を次々亡くした喪失感の中、
9日朝のメッセージを思い出した。

これがあの人からの最後のメッセージなら。
そうではないかもしれない。
でも仮に、もしメッセージならば。
もうあんなにつらそうだった苦痛からも解放されて今は、
生まれて、生きて、楽しかったんだな。と。

「生まれてきてよかった。

 生きてるだけで、人は尊い。

 そして人生を、楽しむために、生まれてきた。」

これからは観た人がこんな風に思ってくれたり、
なにより私自身がそう思えるような表現活動を社会の中でしていくこと、
約束した通りに、これからも描き続けること。
自分の表現のスタンスを決めた日として、書いておこうと思う。

ずっと応援してくれていた人だから、
深い敬愛と感謝、供養の気持ちを込めて。



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