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BRICSについて【7次元以上の情報】

7次元以上の情報を提供できる立場では、BRICSについて別の見え方を教えていただけましたのでシェアします。

7次元以上と言う目安はゲームマスターの視座だと言えると思います。3次元が物理世界に表れる物達で、5次元がその物理世界に表れるものの設計図を決める段階(設計士)です。では7次元は?と言えば、その設計図をどうしてその設計図に収めたのかを明白に区別決定できる価値観を醸造したレイヤーだと言えます。その設計図群を指揮した存在ですね。3次元存在を一口に言えないのと同様に、7次元存在もこれ以外もいらっしゃると思いますが。

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まず、第二次世界大戦に代表されうる試合の時代を経て今の社会が構築されました。
その時代をリードしてきた方々達は敗戦国や勝利国の方々です。

次に、二極化のあおりを受けて上と下に分裂しました。それがBRICSになります。
上は今までの世界大戦後の勝利国と敗者国の相互作用で、
下は、これから発展するであろう大国の相互作用を目指していきます。
そのリーダー格、主軸が次のリーダー候補であったロシアと中国という構図ですね。

つまり、戦後50年以上かけて構築された社会からの離脱と新規勢力の隆起と言うお題目に沿う2極方向への分離点になります。

そこに良いも悪いもなく、ただそうなったと言うことができます。

思い出してほしいのはロシアは戦争を仕掛けた国であったということ、中国もそれに加担しているということ。

何が言いたいのかと言いますと、まだ学ぶべきことが足りていません。

上下に分かれたところの下方グループの筆頭として他をまとめ上げ、分かち合うことでリーダーらしい振る舞いと考え方の模範を学び取りたいと申しておられるのだろうとうかがえます。

7次元と5次元の視座のポイントの大きな違いには多様性の排除があるかないかで問われます。無限性ですね。

無限性(多様性を完全に自己の中に見つけたこと)と言うのは争いと言うベクトルの終焉を迎えたと同義なので、対立できないとなります。

対立と言う方向性、ベクトルの消滅です。

対立できる、対立したい。対立と言うベクトルで切磋琢磨していきたいというモチベーションの土台にあるのは5次元以下だけになっています。

対立には競争も含まれますが、協力要素としても、グループ単位か、もしくは個人、国、地域社会単位であっても対立の意図が生じえるのであればそれは5次元以下の価値観となります。何も焦ることもなくその次元の中でできうる学びを個々に深めて楽しんでいければいいと思います。

国民全員が5次元以下だと言う事でもありません。日本と同じで適切なバランスでブレンドして配置されます。(つまりその閉じた系の中でリーダー格が生まれて教師と生徒の関係で教え合い学び合っていける)

なお、5次元が良くて7次元が良くないだとか、その逆もありません。優れているとか劣るという概念は意味を成していきませんのでありません。

無限性だというのは無限の価値観の事なので、何があってもなくても構わなくなってきています。それがあればそれがあるのです。こだわりが皆無とでも言いましょうか。

話を戻しまして、BRICSという構想自体はフェアで新しい発展の礎となる大いに期待の持てる構想と言えるのではなかろうか。と、存じています。

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ぼくはブリックスと言うのを聞いたことが無いので何のことか始めわかりませんでしたがBingAIチャットとGoogle Bardに聞いてみてわかったことは、それがスピリチュアルの一部の界隈(陰謀論派)の中で世紀末的な話題とうまくブレンドされてストーリーを楽しんでいるという印象を受けます。一言でいえば「打倒!西側諸国!」的なことで一致団結をしたストーリーラインをみんなで構築!です。

上にも書いてありますがそこには対立の意図があり、排除の目的があります。それは全部を含んで愛しているという構図ではなくて、これまでのが嫌だから壊して新しい方を選びたいということです。その気持ちはぼくもわかります。

ぼくは、というか全員多次元的なのでいろいろな引っ掛かり(とっかかり)を追っていると思うんですよね。そのとっかかりを目印としてシンボルとして自分をよく見て知っていくということ。

精神性の再発現と言うのはそういうことなので、日常の普段の何気ない暮らしの中でのやり取りでのみブラッシュアップできることです。

スピリチュアル(精神性の顕現)オカルトに属する陰謀説(※)の違いには、自己研鑽のベクトルがあるかないかでも違いは明白だろうと感じています。

※(オカルトは本屋ではスピリチュアルとか宗教と棚が隣または同じ棚の上下にあるから内容が間違えてブレンドされやすい印象をうけます)

個々に区切って見るとわかりやすいのですが、混ぜると何が何やらわかりずらくなるので、区切る目を養うというのがスピ系の中では常に要求されるエッセンスかなと思っています。回りくどい説明をしましたが、何を言いたかったのかと言うと、

陰謀論派はめぼしいストーリーをくみ上げることで話題を楽しんでいる(節が散見される)

それに対して、
スピリチュアルだということの本質は、

日常の中で自分に起こってきたことを真に受け止めてそこから大事なエッセンスを受け取っていこうという真摯な姿勢に表れます。

(右肩の後ろあたりに常に霊(ハイアーセルフ)がいて、今何が自分に起こったのか?何に躊躇しているのか?何を見て(聞いて)怖れているのか?を逐一確認を取ってその信念を溶かしていく作業をすること)

つまり、似て非なるものだということですね。

本棚で隣に置かれている現状から、内容が近い物とか、同類と思われやすいかもしれませんけど、そんなことは無くて大根とニンジンぐらいの違いはありますよね。

陰謀論派をけなす必要はぼくにはありませんので、したい人が一つの話題の追求として楽しめばそれでいいんじゃないかと思います。

スピリチュアルを日々生きている方も、陰謀論に興味を持たないかもしれませんが、金本位制だとか、経済崩壊、食糧危機、AIで雇用を失う、UBIで年金終了とかのセンセーショナルな話題に対する反応をヒントに自分が何に怖れたりつまづきやすいかを見れる良いチャンスが来ているだけととらえなおせば一歩前進できますよ。試しててみてください。

そういう出来事が起こってどうこうという所ではなくて、そういうテーマを聞いてどう心が動いたのかをつぶさに見てみる機会を得られたということですよ。それは3から5次元的なつまづきだと思います。まだ先があるということです。早いとこちゃちゃっと済ませて次に進んだ方がいいこともありますけどいかがですか?

結論:混ぜない。ちゃんと分けてとらえましょう。

情報発信をしている方の怖がっていることを見抜き、それを自分のものとしないという感じですね。自分も相手の怖がっていることを持っていて一緒に怖がっているのであれば、そのまま怖がっているのも構いませんが、ストーリーラインは別にしないと解決しませんよ。

あるテーマを自己解釈にのっとり自分の都合の良い展開を期待してストーリーラインをくみ上げていってないか確認すると良いと思います。スピリチュアリティーの本質的には何が起こっても大丈夫ですよね。その経験からエッセンスを抽出でき、学びを得られ、体験に感謝できるからですね。自己研磨とはそういうスタイルでしょう。

伝え忘れていたことを思い出しましたので書きますと、

同じ人類とひとくくりにとらえてしまいがちですが、戦後50年以上かけて学んだ来た方々と、これから発展する中で学び教え合っていきたい方々進歩進展具合が違うというところがポイントで、

ロシアと中国はまだ学びが足りていなかったので新興国と一緒になりもう一度学ぶチャンスが到来という感じです。しかし、単に一緒に輪になって同列で学ぶのではなくて、リーダー格として引っ張り上げていく(以前のアメリカの立場)ような立場と言う見え方があります。他の先進国と一緒に次のステージにはいけなかった、ある意味強くてニューゲーム的な、テストで追試的なもう一度再挑戦的なやり直しだと感じます。やり直すからと言ってそこに特段悪い意味付けはありません。学びのペースやこだわっていることは様々にあると思われるからです。

逆に日本とかアメリカとかは一定の学ぶべきことを以前の経済成長を通して学び終えたか何かで次のステージに移行するのだろうと感じます。それがどういう形なのかはまだ分かりませんが、何かしら変化しているのだろうとぼくは見ています。
2極化のあおりを受けた上側のグループのことです。

こういうことはなったようにしかならないからどんな会話をしてもそれはただの会話なので楽しく自分の観点を述べてお互いの観点の違いと多様さを感じて新たな進歩・発見をすればいいだけの気もしますね。それが地球と言ういろんな次元を体現している方がサラダボウルの中に一緒くたに混ざり合っていることの意義ですね。価値観の情報交換です。

以上がぼくが教えていただいたことと、このテーマに対するぼくの意見です。

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