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東日本大震災から復興に向けて

皆さんこんにちは、Ray-GlittersコミュニティアピアランスメンバーのAYANEです。
今回は、東日本大震災について私の経験談を踏まえて思ったことや感じたことをお話しさせていただきます。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。

東日本大震災

12年前のあの日は、学校で社会のテストが終わった直後でした。
チャイムが鳴り終わった後すぐに、とても大きな揺れが始まりました。
 
急いで机の下に隠れて頭を守っても、大きな横揺れで机ごと動いてしまい、机の脚を掴んでいるのがやっとでした。鉛筆も消しゴムも床に落ち、本も雪崩のように落ちてきたのです。
 
薄暗い校庭に恐怖を煽るような春雪は、今までになく冷たく感じました。
 
私は当時、川俣町に住んでいました。
地震があった2日後、停電により何一つ情報がないまま人伝に聞いた「外に出るな。」という警告。そしてすぐに、もう着なくなった服を学校に寄付するように呼びかけがありました。
 
母と一緒に洋服を箱に詰め、学校へ向かうと、いつも元気いっぱいに遊んでいた体育館には、双葉から避難されてきた多くの人が溢れていました。
 
校庭には、簡易トイレが並べてあり、私が知っている学校ではなくなっていたのです。
 
 
私の住む地域は、半分が避難区域で、私は幸い避難せずにすみました。
しかし、放射線と隣り合わせであり、目に見えない恐怖と闘う日々が始まりました。
 
学校では1人1個、ガラスバッチ(個人被ばく線量の測定線量計)が渡され、外に出る際は必ず身につけるように言われ、出欠確認の際に線量計を持ってきたかどうかの確認がありました。
半年に1回ほど、保健センターにて甲状腺検査と放射線についての授業があり、外ではマスク着用で、もちろん外遊びや運動会などの屋外行事は一切できませんでした。

そして、この制限された日々は、除染作業が終了する2014年まで3年に渡って続きました。
その間に心無いことを言われたり、差別を受けることもありました。
言葉は、目に見えない一番恐ろしい凶器にもなると身を持って学びました。

福島と向き合う

高校卒業後、私は上京しました。
最初は、自分が福島県出身であることを言うのが怖く、人前で自己紹介をする時に出身地を伏せていました。しかし、周りは案外気にしておらず、「あの時は大変だったよね。」と心配する言葉をかけてくれたのです。その時、自分が現状から逃げていたことに気づき、福島と向き合うきっかけになりました。
 
どうすれば福島の現状を正しく理解することができるだろう。
福島のために自分ができることは何だろう。
 
福島といえば美味しい果物が最初に思い浮かび、風評被害に苦しんでいた現状を払拭したいと思いました。そこで、福島のくだものをPRするミスピーチキャンペーンクルーに応募し、まず自分が福島のことを学び、全国各地に福島の現状をしっかり伝えていこうと決心しました。
 
実際に果樹園の方に風評被害のお話や皆様の努力と果物に対する思いを聞き、より一層福島のために頑張ろうと思いました。
活動中、県外の多くの方にお会いしましたが、多くの方は福島に対する良いイメージ( どの果物を食べても美味しい、温かく優しい人が多いなど)を持っている一方で、一部の方は線量を気にして食べないなど厳しい意見もありました。後者の方に安全性をお伝えしても、納得していただくことは難しいので、少しずつ着実にメディアなどを通してご理解いただく必要があると思いました。
ただ、震災から12年経った今、福島のイメージが良い方向であると感じていますし、今後もそのために活動を続けていきたいと思います。
 

311ボンズアップバスツアー

震災から12年後の3月11日、震災を契機に生まれた福島ファイヤーボンズの企画として「3.11BONDS UP バスツアーwith Ray-Glitters」に参加させていただきました。
震災後、被災地を訪れたのは、今回のバスツアーが初めてでした。

このツアーでは、「東日本大震災・原子力災害派遣伝承館」「震災遺構・請戸小学校見学」をしたほか、語り部による講話もお聞きしました。
バスの中では、参加されたブースターの皆さんがそれぞれの思いと当時のことをお話ししてくださり、これまで孤独に感じていた震災の記憶が和らいだ感覚になりました。

伝承館では、地震や津波の被害や原発事故の映像など多くの資料が展示されており、語り部さんのお話では、感情や思いが直に伝わり、今ある生活が当たり前ではないということを改めて感じました。

震災遺構の請戸小学校では、天井も崩れ落ちている教室や床が歪んだ体育館など大地震と大津波の脅威を感じました。請戸小元生徒の皆さんの被災体験のお手紙もあり、復興に向けての大切なメッセージが書かれているので、多くの方に訪れていただきたいと思いました。

実際に足を運ぶと様々な感情や記憶が溢れてしまい、胸が締め付けられましたが、請戸小学校で黙祷した場所から見えたのは、あの時を1ミリも感じさせないほど青く光る海と清々しい空でした。

今思うこと

たった1日で日常がなくなってしまうこと、いつこの暗闇から抜け出せるのかわからない状況が、誰にでも起こりうるのが改めて恐ろしいと思いました。
 
自然災害とはいえ、誰にもぶつけられないそれぞれの怒り、この災害がなければと思う人がどれほど多いでしょうか。
自分もその1人として、この出来事は決して忘れてはいけないし、私も自分にできることを見つけて少しでも行動していけたらと思っています。
 
人の悲しみ苦しみを知った者は、本当の強さと優しさを与えることができると信じて、これからも前を向いて頑張っていきます。

Ray-Glitters コミュニティアピアランスメンバー AYANE


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