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絵を描く、とは。徒然。

私の趣味は主に2つ。

ひとつは音楽鑑賞。
ハードロック、ヘヴィメタル、シティポップ、昭和歌謡、ミュージカルナンバー等々。気に入った音楽は何でも貪欲に聴く。

2つ目は、描画。
THE ALFEEのファンになり、SNSで素敵なファンアートを目にするうち自分も描きたくなって始めたのだ。何かに没頭出来る時間は貴重であり贅沢。気持ちを込めて丁寧に、時にはケント紙に衝動を打ちつけるような気持ちで描く。時間はかかれど完成した喜びは大きく、この喜びを一度でも味わうと人は描画の魅力に取り憑かれるのだと思う。

インプットの趣味(音楽鑑賞)、アウトプットの趣味(描画)。どちらも私にとっては大事だが、どちらが楽かというと圧倒的に前者であるし、一番の趣味はと問われたらやはり前者と答える。

だが、描画も自分の中で大事な趣味になりつつある。私は写真ありきで推しの絵を描いている。なんとか描けそう、或いは挑戦したい写真を隙間時間などに探し求める日々が続く。筆を取り、実際に描き始めるまでの準備期間がけっこう長いのだ。そして描くための時間、体力、気力が整うこと。写真を手本とするため印刷しておくことも大事だ。ここまで揃ってやっと、描き始めることが出来るのである。

我ながらなかなか面倒くさい奴である。

(面倒と言えば、描いた絵をSNSに投稿することで感情をこじらせた時期があった。今思えば全く意味のないジレンマであった。人間らしいと言えばそうかもしれないが、猛反しその後自分なりに解消できた…と思う。)

私は2年前、突如描き始めた素人であるので、技術的・理論的なことは分からない。鉛筆画、デジタル画、どちらも自分なりに試行錯誤しながら描いてきた。結構中身の濃い2年間であった。途中、4ヶ月とか2ヶ月の休止期間があったが、家や仕事にかかりっきりになる時期は誰しもあるだろうし、この先もまたいつか描けない時期がやって来るだろうから今を大切にしようと思っている。

私にとって描くこと、とは。推しの写真をひたすら眺められる至福の時間である。非日常を味わえ、今に没頭できる貴重な時間でもある。

それと同時に、完成するまでの過程はまるで修行のようでもある。細部まで根気強く描くには精神の強さが要る。自分自身に打ち勝つ強さ。だが待て、これは楽しむための趣味なのだ。もっと気楽に描けばよいではないか。いやいや、ここで踏ん張れば推し絵が仕上がった暁にはとてつもない達成感を得られる。ひと休みしたらもう少し描き進めようではないか。しかしそろそろ尻痛が限界、これでは体に良くないし明日に響く。いい加減寝るべきでは…などと脳内で孤独な葛藤が生まれるのである。自分の持てるパワーを絞り出して描いているので、疲労を感じた際はいつも「鶴の恩返し」が脳裏に浮かぶ。それだけのパワーを出し切ったとて、決して痩せることはないのだが。自分の魂だか何だかをめちゃくちゃ消耗してやっと1枚、仕上がるのである。所要時間も挫折期間を含めひと月なんてことも。このことから、私は「描くのが楽しくてしょうがない!どんどん描くわ!」というタイプではないとわかる。サッと仕上げられるものならそうしたいのはマウンテンマウンテン、しかしその才能は無いみたい。

私にとって推しを描くとはいったい何なのであろうか。
単純に、自分なりの愛を込めた推し活であり、自分のための有意義な(多少体を張った)時間活用法なのかなと思う。

それゆえ、例えばSNSに「もっと絵が上手くなりたい」と投稿したことは無かったように思う。いや、私にも向上心はあるのかもしれないが、「ファッションのデザイン画のように描いてみたい」とか「ソフトの使い方、レイヤー効果のそれぞれの特徴を知りたい」など、わりと具体的である気がする。ピンタレストやインスタグラムで描画についての参考動画を見たり、自分なりに実践で工夫したりなど、ちまちまと思いついたことを試している。鉛筆画ではメイクブラシを使い、鉛筆の粉で影を描くのが好きである。デジタル画では、塗りと線画のレイヤーを分けたり、顔と体のレイヤーも出来れば分けたほうがよいと失敗から習得した。亀の歩みの進歩具合だが、そんな些細なことの積み重ねで今に至ったことはけっこう貴重な経験かもしれない。

ファンアートとして似せることに苦心した時期もあるが、完成後は必ず違和感が見えてくるものである。以前はその度に修正していたが、今はそのままにしている。絵を描いた日の状況、心境、それらと一緒に絵日記のように思いを残しておきたいのだ。自分なりに描けていればそれでよい。やっとそんな境地になれた。

自分にプレッシャーをかけず自然体でいるため、あえてプロフィール欄に「趣味は絵を描くこと」とは載せずゲリラ絵描きとしてのんびり描いていこうと思っている。多少天邪鬼な自分にはこれが丁度よいのである。

余談だが私は子供時代の7年間、書道教室に通っていた。今でも筆ペンで宛名書きをするのが好きである。そして絵を描く作業は書道に通ずるものがあるように思う。角度を決めて筆を運ぶ緊張感。手本(推しの麗しい写真!)をよくよく眺め研究すること。ひとつの手本から、その方なりの味わいが自由に表現されたいくつもの作品が生み出されること。描画と書道は自分の中で繋がっているのである。

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最後になりますが、このようにつらつらと長~い文章をお読みくださった皆様、心より感謝申し上げます。


ひと月かかって完成した高見沢さん。

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