【吐き出し】他人の心と共鳴し合いたい。だから絵というメッセージボトルを、ネットの海に流す

私は、自分と感性の近い、生きづらさを共有できる友達が欲しいと思っている。

というか、絵に乗せたメッセージを誰かに受けとって貰うことで、孤独感や苦しみを癒したいと思っている。
共鳴し合い、心を震わせて喜びを感じたいと思っている。
絵を、そのための道具として使っている節がある。


pixivで、ネットで発表することで、自分の感性に共鳴してくれた人が、
込めたメッセージに、何かしら感情を抱いて反応を返してくれる。こだまのように。

それを願って、評価に心を掻き乱されても発表が辞められなかった。

萌え絵やエロを押し出してガンガン描いていた頃は、人と繋がったり絵描き友達を作る憧れからどんどん交流した。
結果フォロワーも増えたし友達も出来たのに、最終的に自分でそれを破壊してしまった。
「鬱で働けてない、性格諸々の破綻した自分を知ったら、みんな手のひら返しで離れていく」という不安感を、抱えきれなくなったから。
私は、自分の醜い部分、嫌われがちな暗がりを隠して振舞っていた。



いまは、萌え絵の創作BLのうちの子たちを使った、苦しみともがきを表現するダークな作風に移行しつつある。
ある意味、ネットに絵を発信し始めた頃に帰ってきた。


アカウントのリセット癖があり、作風も変化してきたので0からスタートになってしまった。
受け取られたい受け取られ方から遠ざかってくると、ギャップの苦しさから孤独感や怒りを感じて耐えられなくなり、消してしまってきたから。


他人のおすすめや関連に載るには時間がかかるし、その間ずっと孤独だ。
そして苦しい。
いつの間にか、絵を描き続けて苦しみを昇華する行為に依存している。
仕事をしていないので、絵を描いて上げるのが仕事の代わりみたいになっている。


純粋に自分のために描けばいいじゃないと発信を断ってみると、確かに人目を気にせず自己満足出来て、楽しい。
ただ、「描く行為を楽しむ絵」と「自分の中のものを外に出して、メッセージとして海に流したい絵」があって、後者は自己完結では満たされない。


ああそうだ、私は感性の近い友達、同士に存在を見つけてもらいたくて発信をしているのだったと思い出す。
ネットの海にメッセージボトルを流して、誰かに受け取られて、そして自分はここに居ると、あなたの苦しみと同じものを持って、共鳴しているよと、お返事を貰いたいのだ、きっと。

誰かに、ただ話を聞いて共鳴して貰えたら、この気持ちは収まるのだろうか。

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