いまのデジモンには、もう過去の信念はほとんど残っていない

これはお気持ちを吐き出す記事だ。
作品を好きな方は読まないことをおすすめする。



こういうことをTwitterで書くのはあまり精神衛生上良くなかったので、ここで吐き出すことにする。

(自分は無印のリアタイ世代で、2016あたりから見直したファン。
近年の作品であるtri.は1章序盤で脱落したが、ラスエボは劇場に足を運んだし、とても良かったと思っている。



デジモン02の映画がまさに公開されるらしい。
大衆のいくらかは、このリメイク祭りに喜べるのだろう。
でも私には、もう死者を墓場から掘り起こすのを辞めてくれ、そっとしておいてくれ、そういう気持ちでいる。


公開に沸くファンを見ていると、ああ、この人達の見ているデジモンと私の見ていたデジモンは全く違うものなのだ、と思わされる。
可愛いモンスターと可愛い女の子、かっこいい男の子が愛らしく微笑む。
そんなフォトジェニックな彼らが、画面上で華やかに活躍していればもうそれで満足だ、そんな様子で。

キャラデザインの中鶴さんの絵は、もはや当時の情熱や時代の影響を受けた温もりは残っておらず、カチカチに硬くなってしまっている。
実力があろうと、彼の絵はもうくすんでしまった。
彼の当時の絵が大好きだったから、心酔していたからこそ、今の枯れきったあの絵を肯定することは出来ない。


中身については、当時の脚本家の方がやられており、こちらはまだ魂を失っていないようには思う。
けれども、大人の事情なのか、それとも時代なのか、アニメ業界に余裕が無いせいなのか、何処か薄っぺらく、体裁を整えただけの過去のミームの残骸と成り果てている。

玩具を売り上げるための販促コンテンツ、という意味合いで、掘り起こされているだけで、作り手の情熱などもはやほとんど無いのかもしれない。
伝統芸能なのだ、もはや。無くさないように、後世に名作を語り継いで居るだけ。最も、それはもう酷い有り様で目も当てられない。


当時玩具をなかなか買ってもらえ無かった子供が、懐かしい作品の大人ターゲットの玩具を買う。
大人をターゲットにすれば、それはもう儲かるであろうし、ファン側も熟した技術を享受できて万々歳であろう。
プラモデルは本当に良い出来で、作り手の拘りや情熱を感じる。

私も、デジモンの新しい、そしてよく出来たグッズを手にとれるのは本当に嬉しい。
デジモンのプライズと、ウォーグレイモンのプラモデル、ダイナモーションは資料に出来ることもあり、幾らか持っている。


自分とは相容れなさそうなファンばかりが目につく。私が好きだったデジモンは、世間の幾らかの人達とは大きく違うようだ。
なんというか、あの「暗闇の洞窟」回の脚本に感動し、その魂から揺さぶられる、あの価値に重きを置くファンと、私は繋がりたいと願うばかりだ。

デジモンは、「目に見えない、世俗の向こう側と通じる、ある意味スピリチュアルなものを内包した作品」
だった。

細田さんの関わった21話のように。
吉田玲子さんなんかは、東京ミュウミュウでも驚かされたけれども、どう思って居られるんだろうなあ。

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