下積みで好き勝手暴れつつ、創作との上手い付き合いも探っていこうな

焦っている。
焦って焦って、描きたいものもないくせに絵を描こうとしてしまう。

絵に、創作行為に依存しているから。自分自身の内側を表現するのは気持ちいい。快感がある。
その快感をもっと摂取したくて、描きたいものも無いのにペンをとってしまう。



私は歌も好きで、長期間カラオケアプリで歌う趣味が続いている。
たぶん5年~7年以上。

最初こそ承認欲求で上手く歌おうともがいていた時期があったけれど、そのうち交流に時間を使うよりも、のびのび好きな歌を歌うほうを優先したいと思うようになった。
だんだんと交流を減らして、壁打ちでただ楽しく歌うようになっていった。

たまにコラボを出すけど、交流が皆無でもひとりふたりは一緒に歌ってくれる。
私はそれを聴くのが好きだ。

フォロワーもコメントも何も考えず日々好きなものを歌っていたら、いつの間にか上手い上手いと勝手に言われるようになった。
それもただ上手いだけじゃなくて、声や歌い方にも魅力を持つようになったみたいだ。

楽しいのチカラは偉大だ。本当に。



創作は「楽しい」が原動力のほうが、スルスルと上手くなっていきやすいと思う。自分の場合なんかは特に。
人生のイベントで躓かないほうが、早く自立して働けるようになるのと同じ、ような感じだと思う。


ただじゃあ苦しみが時間の無駄かというと、そうでも無いんだろうと思う。


アイドルやアーティストで、下積み期間が長いところほど長く活動を続けている、という内容を先日目にした気がする。

流行りや波であっという間に上へ行っちゃうと、自力で上へ這い上がる気力とか、しんどい時期にじっくり腰を据えて耐える力とかは得られない。


見向きもされない経験から来る見て貰える有り難さとか、そういう一生物の財産を経られないのかもしれない。
下積み時代に培われたしんどい時に持ちこたえる力があるから、活動を途絶えさせずに続けられる、のではないかなって。


つい、出来るだけ早く熟したい、若いうちに花が咲いたほうが凄いと思ってしまうけど、遅咲きで人に表現を届けている人は沢山いる。


そもそも早咲きに見えても、積み上げてきたものが早い時期から膨大かもしれない。
その努力の期間と量が見えないだけかもしれない。

あまり見て貰えない時期は、無名という準備期間と言えるんじゃないか。贅沢な時期だ。いっぱい色んなものを蓄えておくのもいい。

考えてみれば、見つかってないうちのほうが好き勝手やりたい放題やりやすい。
無名ならいっぱい失敗しても、キャラの身体が少しくらい骨折してても平気だ。
いろんな試行錯誤をしても、活動方針を変えまくってもまったく問題ない。


……なーんて、そう自分に言い聞かせる必要があるほど、私は焦っている。

自分自身がこの世にとって価値のある存在であると、創作行為で快感を得ながら証明したくて仕方ない。
創作行為は、娯楽であるとともに不足を埋めるための杖であり、人に心の痛みを届けるための伝書鳩でもある。


でも何事もこうだ。「程々がいい」。



絵への情熱も、距離感も、認められたい感情も、過剰すぎては身を滅ぼす。無さすぎても
見ている人に届かないし、つまらない。

私はただ絵を楽しく描けるだけでいい。そう思って絵を描かずに過ごしても、何かそれを使って人に伝えたい苦しみがある。

それが私の生きたい生き方ではない。まあ、そんな誰から見ても立派な規模のものでは無いけれど。



絵は超ロングランだ。
絵や創作とは一生の付き合いって考えるなら、距離感を間違えないのが大事だ。人間関係と同じ。
依存したり、距離が近すぎると破綻して上手くいかない。必要以上の衝突や苦しみが生まれてしまう。
焦る時期もきっと必要だけど、焦ったっていいものなんか出来ない。



きっと私が良い絵を描けるようになるのは、他人の存在が良い意味でどうでも良くなった後か、その感情自体が消えずとも上手く付き合えるようになった時、だろう。

苦しい時期は成長を目前にしたサイン、もがいてみるしかない。
気楽にゆっくりじっくりやっていこう。
真面目な性格だから、たびたび考えこんだりはしてしまうだろうけど。

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