親子関係という欺瞞:強産魔について

動物が交わるのは子孫を産むことができるときだけでしょう。ところが罪深き自然の王者は、快楽さえ得られるならばいつでも交わろうとするのです。それどころか、このサル並みの営みを、造化の妙と呼び、愛と呼んで崇め奉っているのですよ。(『クロイツェル・ソナタ』トルストイ)

 朝のニュースを見る。子供が交通事故で死んだそうだ。次は虐待を行った父親が逮捕されたニュース。

 そもそも矛盾している。この世界は苦しみに満ちていて、自分の子供がその苦しみを受けないことはまずない。生まれついての難病にかかっていたりとか、殺人事件で殺されたりとかは、そんなに多くもないかもしれないけど、それでも、病気にかかったりとか、交通事故で死ぬ可能性が0だなんて絶対に言えないはずだ。この世界は苦しみに満ちている。病気、貧困、飢餓、暴力、犯罪、憎しみ、孤独、絶望、事故、悲しみ、嘘、裏切り。そういったものに対して無縁である可能性が、一体どこにあるのだろう。あまりにも想像力が不足しているのか?他人が悲しんだら一緒に悲しめと教えたのはどこ誰だったか。どうしてそれが将来にも拡張されえないのか?

 本当に子供のことを思うのであれば、そもそも子供を産むべきではない。親が子供に対してできるもっとも良いことは、教育を整備することでも、良き模範となることでもなく、子供を生まないことだ。子供を産まないこと以外は全て偽善だ。森に火をつけて、火を消さなきゃとアタフタ消火器を探し、消防に連絡しているようなものだろう。「マッチポンプ」の典型例にもっともふさわしいだろう。Wikipediaの「マッチポンプ」の項目に付け足すべきだ、「親の子供に対する犯罪」の項目を。

 親子関係は欺瞞の最たるものだ。出生という子供にとって選択の余地のない出来事の結果を、子供に対して一方的に押しつける。子供は親を選べない。その一方で、親は子を産むかどうかは選択できる(少なくとも、現代日本においては)。ここに大きな非対称性が存在する。

一個の人間存在をこの世に生み出すこと 、それは人生のうちでもっとも責任を伴う行為である 。この責任を引き受けること──親にとって災難にも祝福にもなりうるものに生命を授けること──は 、生まれてくる子どもの人生が望ましいものになる見込み 、少なくとも人並みになる見込みがないのであれば 、まさしく子どもにたいする犯罪である 。(『自由論』、ミル)

ミルは、生まれてくる子供の人生が望ましいものになる見込みがない状態で子供を出生させることは、「子供に対する犯罪である」と述べた。

 「ビッグダディ」は、子供に対する最大の犯罪者だ。彼らは、経済的な保証があきらかに存在しない状態で、子供に出生を強要する。経済的な保証などないから、子供はアルバイトをして勉強の時間を削らなくてはならず、大学にも通えず、場合によっては中卒で就職したりする。そんな状況を「親子愛」などという便利な言葉で正当化する。子供の可能性を奪っていることなど全く思いもよらない。まさしく「出生を利用した、子供に対する犯罪者」だ。快楽殺人鬼と大して変わらないだろう。快楽殺人鬼は快楽で人を殺すが、強産魔どもは快楽で人を産み出す。しかも、両者ともになんの反省もない。なんの違いがあるのだろう。

 この世界は苦しみで溢れているのだから、本当に子供のことを思うのなら出生は控えるべきだ。それでも産まれるのは、子供が単なるセックスの結果に過ぎないからだ。それを後から「愛」などという、初心者のDIYのような後付け感たっぷりの言葉で理由付けしているにすぎない。それならもう、人類など滅びればいい。こんな多少生命力が強いだけのサルが、生物史の法則から逃れられる理由なんてないだろう。

 産んだ後にだって問題は残る。現代においては、経済的な面において、子供は親に服従せざるをえない。例えば大学の学費でも、国立大学においてさえ、子どものみで賄うことは、大きな犠牲の元でしか達成できないことになっている。子供が親と対立すれば、親は経済的な支援をひっこめてしまう。つまり、親は、子供の経済的な独立不可能性を利用して、自分の判断に従うよう子供を強制することが可能だ。これが親子関係が欺瞞であるとする二つ目の理由だ。経済的な独立が確保されるのであれば、親などという偽善者どもと一緒にいようなどとは思わない。

 自分で産んでおきながら、言うことを聞かなければ経済的な締め付けを行う(勘当する)。もし選択ができれば、産まれなかった。選択ができなかったから生まれたに過ぎない。

 以上をまとめると、子供からみた親子関係というのは、「親が出生という選択不可能な出来事の結果を子供に押しつけ、経済的に子供を支配して言うことをきかせる」関係に他ならない。まさしく欺瞞そのものだろう。

「子どもは敵」と端的に表現したウェルベックは正しかった。親が私の出生以来行ってきたこと全てを私は否定したい。私にとっての最大の敵は親だ。彼らには、なるべく苦しんで死んでもらいたい。呪詛と怨恨の果てるまで、呪い殺してやりたい。いつか彼らの死ぬ日まで。20歳の誕生日を迎えたら、彼らが死ぬ日に開けるための酒を買いに行こう。