[ネタバレ感想]シン・ウルトラマン

遅くなりましたが昨日と今日シン・ウルトラマンを観ました。
観た翌日すぐに二周目を観にいったのは生まれて初めてです。
それくらい揺さぶられてしまいました。

素晴らしい作品に触れると、自分の初動の感情を大事にして感想に臨みます。
今回は二人の友人とは少し感想を擦り合わせましたが、それ以外では他者の考察や感想などはいっさい見ずこれを書いています。

私は正解を見つけたいのではなく、自分自身や観た人それぞれがどう感じたかを大切にしたいと思っています。
なのでこれから書くことは考察ではなく、個人的解釈に基づいたただの感想に過ぎません。
さんざん既出だったり、てんで的外れだったり、作中のヒントを見逃し間違ったことを記載するかもしれません。
台詞等の言い回しも正確ではなく、ニュアンスを誤っている可能性あります。
また、本文のいかなる部分にも「異なる解釈や意見に対する否定の意図」は一切ありません。
諸々予めご了承のうえ、ご容赦頂きたく思います。


序盤~中盤はここでは割愛して、唐突にラストの話からします。
私は最後にゼットンを倒しに行くあたりからラストにかけて鳥肌と涙が止まりませんでした。それを語りたいのです。

<自己犠牲の男・神永とそれを理解したリピア>
ウルトラマン(リピア)は自分が地球に降り立った衝撃で神永を死なせてしまったことへの責任感と、子供を庇い死亡した神永に「自らの命を犠牲に他者を救った彼が興味深く、彼を理解したい」と思い彼と融合したことをゾーフィに告げていました。

なので最後の戦いで、自分がどっかのプランクブレーンにぶっ飛ばされる(曖昧)ことを覚悟のうえで、自己犠牲を厭わず地球を救うためゼットンのもとへ向かう姿を観ながら「ウルトラマンであり、もはや神永そのものである」というような心持ちでした。
そして(多分これ地球には帰ってこれんだろ……)と感じてたので、見届けるのはとても辛かったです。
ウルトラマンが必死に地球に帰ろうとする姿、力及ばず回転しながら吸い込まれていく姿を思い出して今また泣いています。

<リピアの望んだ終わり>
ゾーフィは叡智の力でゼットンを制した人類を見直しこのまま生かし続けてくれることを約束し、リピアを光の星に戻そうとします。
ですが神永と融合しているリピアが光の星に戻れば、神永は死んでしまいます。
それに、これから次々に狙われるであろう地球を守るためにも、リピアは神永と共にウルトラマンとして地球に留まりたいと告げました。
しかし光の星の掟に厳しいゾーフィはそれを許しません。

(余談ですが神永を死なせることに関してゾーフィは「彼も理解してくれる」と発言しますが、私はこれにより「ウルトラマンとして戦っていた間やリピアの記憶は神永にも共有されている」と解釈してます)

そこでリピアは、提案を変えます。
「私の命は神永に授け、私の体の処遇は未来の人類に委ねたい」
私はこれを「分離した後の命を神永にあげて自分は死ぬ。身体はこのままプランクブレーンに残す。未来の人類がここにたどり着いて、再び“ウルトラマン”が地球に帰る日が来るかもしれない」と願っているように感じました。
でも、リピアの命は神永に与えられるため、そこに残るのはウルトラマンの身体という素材だけであって地球に帰る日が来てもそれはリピア本人ではない……とも感じました。

なんにしても、劇中の最後に目覚めた神永の中にリピアはいない。
あの神永はもうウルトラマンではない。
そう思うと、浅見の「おかえりなさい」は温かくもつらくなります。
本当は帰ってきてないウルトラマン……
帰ってきてないことにも気づかれないウルトラマン……
あえて皆に真実を語らず、リピアを失った痛みをひとりだけで抱えて生きていくかもしれない神永……
妄想ばかりが膨らみ情緒と涙腺は崩壊です。

あと泣きながら言いたい。
「真のバディはリピアと神永!!」

<ラストは様々な捉えかたができる>
私は前述したように「リピアは自分の命を神永に与えて死んだ。人類がプランクブレーンにたどり着けてウルトラマンが復活しても、リピアは帰ってこない」と捉えました。

同行した友人は「今後も人類を守るためリピアはまだ神永の中にいてこれからもウルトラマンとして戦い続ける」と捉えました。
実際ゾーフィは気を利かせてひそかに光の星の掟を破り、ふたりとも助けてあげてる可能性もあると思います。

先に観ていた別の友人は「いつか人類がβシステムを理解してプランクブレーンにたどり着けたら神永&リピアのウルトラマンが復活する」と捉えていたようです。
βシステムについてはヒントが残されているし、滝くんはじめ人類の叡智は既に粒ぞろいなので、遠くない未来(神永が存命中)にリピア復活の可能性もあると思います。

三者三様に受け取っていて、どれもあり得る。
それだけ観た人に委ねるだけの余白と奥行きをうまく残された、本当に最高の幕引きでした。

リピアの「私の体の処遇は未来の人類に~」の台詞は、メタ的な意味で「今後のウルトラマンがどうなっていくのかは観た者の解釈(=処遇)に任せたい」という意味も含まれているのでは?などとも考えました。

たとえ続編などで明確な答えがでたとして、今回のシン・ウルトラマンを観た人が感じたことも、それはそれで正解なのだと私は思います。

<本家ウルトラマンとシン・ウルトラマン>
私は本家の初代ウルトラマンをよく知りません。
ウルトラマン好きの友人によると、本家ラストのゾーフィは命を二つくれて、神永もウルトラマンも生き延びることができるらしいですね。
「ゾーフィ実は二人とも生かしてる説」がシン・ウルトラマンで叶えばハッピーですが、私は「今作のラストでそうなってない」と感じた理由のひとつとして、

  • シン・ゴジラではそもそも人類の叡智のみで勝った。

  • シン・エヴァンゲリオンは『エヴァの無い世界』として終わった。

だからシン・ウルトラマンも「神(絶対的ヒーロー)に依存するのではなく、人類の未来は人類で守れ」というメッセージなのかなと思ったからです。

ちなみに友人から「本家の『帰ってきたウルトラマン』はジャックという名で初代ウルトラマンとは別人」と聞き、改めて「もしシン・ウルトラマンが帰ってきたとしてもそれはリピアじゃない」が濃厚な気がしてきました。

<M八七(主題歌)について>
個人的には「M八七」は、あの映画のラスト以降の
・AメロとCメロ→神永視点のリピアへの思い
・Bメロとサビ→リピア視点の神永への思い
なのかな~と感じました。
とりわけ「今は全てに恐れるな痛みを知るただ一人であれ」は遠くから見守っているリピアから神永へのメッセージだと思うと、しっくりくる気がします。
なんにせよ米津玄師さんの楽曲は歌詞が特に素晴らしいので、タイアップしてくれてありがたいです。

<ウルトラマンの生と死>
「死ぬ覚悟と生きたいという渇望」を持ったリピアは「人間になったのだなあ……」と、このあたりは個人的に大好きな仮面ライダーオーズを彷彿とさせる意味でも感じ入るものがありました。ただの無機物だった存在が人と触れ合い、思い出を重ね、「死ねる」ことにより命を得られたアンク……涙

ただウルトラマンは高次元の存在なので、死の概念も普通とは違うかもしれません。
ちょっと寝てるだけ……とか。
まどマギのまどかのように存在そのものが概念となり高次元に残留してるかもしれませんし。
(ところで船縁さんのマグカップかな?あの柄……キュウべえ?まさか『シン・まどかマギカ』もやるの!?と思っちゃいました)

<追記:斎藤工さんスゲェ>
少しだけ序盤に触れますが、子供を助けに行った本物の神永からは人間味や温度を感じるのに、初対面の浅見とやりとりするリピア神永はやけに無機質に見えました。
この斎藤工さんの演技の絶妙な温度差で、初見の段階でも別人を見てるような違和感をおぼえたわけです。
「神永て平常時はこんな風なんだ~?」くらいのものでまさかあの段階で中身が違ってるとまでは思わなかったものの、改めて二周目を観た際に演技でこの違和感を出せるなんて斎藤さんすごい役者さんだなあ……と感服しました。

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