矢野絢子さんのライブに行ってきました2

会場のBGMと客席側の照明が小さくなっていきました。
高鳴る心臓の音が自分で聞こえて、居住まいを正しました。

ステージの右手側から登場された矢野さんはとても小柄な方でした。
ドラムセットとグランドピアノの間のステージ中央でお辞儀をされて、客席側から拍手が起こりました。
僕も一瞬拍手を忘れてしまいましたが、ワンテンポ遅れて大きく強く拍手しました。

ああ、矢野絢子さんだ。こんなに近くにいらっしゃる。
僕が中学生ぐらいの頃から好きだった方です。
たしか初めて知ったときは、矢野さんは25歳くらいだったと思います。
現在は40歳になられているとおっしゃっていました。
オレンジに染めたショートヘアが似合っていらっしゃいます。

客席とステージに段差はなく、本当にそのままそこにおられるように感じて嬉しくなりました。
登場された瞬間のその嬉しさは数秒後に感動や感激に変わり、思春期の頃を思い出したりしていろんな感情が押し寄せて早くも泣きそうでした。

拍手が鳴り止んでから、矢野さんはステージのやや左側に移動されました。
そしてピアノの椅子にまず腰掛けて椅子の位置を調整して、立ち上がって身の回りもの、マイクであるとか、楽譜かメモのようなものや、水筒なども置いて調整します。
その際一度、なんだったかわかりませんが、何かを落とされました。
無音の会場にその音が響いて、矢野さんの「あっ」という声も聞こえました。
初めて聞く肉声がそれでした。
矢野さんは肩を竦めて「落っことしちゃった」というようなおどけた顔をこちらに見せて、会場には笑い声が洩れました。
僕も笑いました。

それ以外は一言も言葉を発さずに、わりと長い数十秒間、何も始まらない時間が流れました。
プロのピアニストにしかわからないような、人前で演奏を始める前の空気を読む時間だったのでしょう。
深呼吸をしたり、目を閉じて首を傾けたり、指や腕や身体の節々を緩ますようなしぐさをしていらっしゃいました。

描写が細かいですね、僕。
そんなに注視して見てたのかって感じですけど、まあその通りです。
一挙手一投足をじっと見つめていました。
だって憧れの方が目の前にいるんですもの。
純粋なファン心理として受け止めてください。

最初の曲は『唄の舟』という曲でした。
静かで穏やかな前奏から始まり、後半は力強く声を張り上げて壮大なメッセージを歌い上げる曲でした。
この最初の1曲の5分間が、この日一番僕の心が乱れた時間でした。
なぜ、どうしてと、疑問に思ってしまうくらい今の僕に、タイムリーに響くメッセージを与えてくれる曲だったのです。

今回の矢野さんの「アルバムめぐりvol.8『いちばん小さな海』」というライブは、矢野さんがこれまでに出されたアルバムを、一つひとつ巡っていく企画ライブの第8回目、つまり8枚目に出された『いちばん小さな海』というアルバムを、収録順に披露するライブでした。

僕は『いちばん小さな海』のアルバムを持っていませんでした。
配信もされていないようなので予習していくことができなかったのです。
だからこのライブで演奏される曲は一曲も知らない状態だったのです。

でもだからこそ最初の一曲は新鮮に僕の心に響いて、最近落ち込んでいた僕の精神状態を力強く揺り動かす作用がありました。
曲の良さもそうだし、初めて見る矢野さんの演奏と、歌っている時の表情や身体の動きを生で見て、激しく動揺させられました。
ああ、そんな表情で歌うんですね、そんな身体の動きで演奏されるんですねと、大袈裟ではなく全てが神々しく眩しく僕の目に映りました。
同時に、今この方から目を逸らしてはいけない、演奏と歌声を全身全霊で浴びるために一瞬も目を離さず見つめ続けるぞ、という気持ちにもなりました。
いつもスピーカーやイヤホンを通して聴いていた矢野さんの歌声。
いま自分の耳に届いているのは間違い無く、この場であの人の喉から発せられている歌声なのだと意識させられました。

『漕いで漕いで漕いで漕いで漕いで漕いで漕いで 歌うんだよ
漕いで漕いで漕いで漕いで漕いで漕いで漕いで 生きるんだ
夢の島は見えたかい 愛の陸は見えたかい』

当然のように目に涙を浮かべて、演奏する矢野さんの顔を見つめ続けていると、何度も矢野さんと目が合ってしまいました。
この位置は目が合うかも、という予想はやはり当たっていました。
一瞬目が合って離れる、という感じでは無く、向こうもこちらを見つめ続けてくれているように感じました。
僕に向かって、僕だけに向かって歌ってくれている、などと本気で思い込むミーハー心丸出しで恥ずかしいくらいに純粋に感動しました。

最初の一曲目でこんなに感動して感情を乱していたらやばいな、いつか泣き崩れて身体が痙攣を起こして白目を向いてぶっ倒れてしまうぞと心配になりました。
曲に浸りすぎず冷静に見つめることも大事だと思い直したぐらいのところで演奏が終わり、大きな拍手が起こりました。
僕も「好きだ、あなたが大好きだ」という気持ちを込めて大きく手を打ちました。
大きな音を立てるほどこの気持ちが伝わるような気がしていました。

一曲目を終えて拍手を浴び、矢野さんの表情が柔和なものになりました。
座ったままこちらに体勢を向けて、最初の挨拶をされました。
いま新型コロナウイルスの影響で公演を中止するライブハウスが多い中、このライブは決行することになり、たくさんお客さんが集まったことに感謝されていました。
その中で「巷で噂の悪の巣窟、ライブハウスへようこそ」「愛の濃厚接触をしましょう」などと皮肉る言葉も飛び出し、お客さんを笑わせました。

シンガーソングライターとして一人ピアノの弾き語りをする矢野さんの姿は、ファンになり始めた頃の僕からすると、凄く孤独な人に見えていました。
一人で何かと闘っているというか。
創る曲から受ける印象からしてもそうで、寂しい曲はとことん寂しいし、明るい曲調でもどこか影を纏っている印象でした。
愛に溢れた前向きで美しい曲でも、それが永遠では無いことを確信してしまっているかのような。
それが他のアーティストには無い矢野さんの魅力で、その孤独感こそが当時の僕の胸に突き刺さったのです。

でも今この場にいる矢野さんは、緊張している様子もなくMCで上手にお話されていました。
もちろんどんなお人柄の方かはお会いしてみないとわからないと思っていましたが、上手い冗談を言ってお客さんを笑わせていることはとても新鮮でした。
むしろMCの時間はほとんどなく、淡々と演奏だけをしていく感じなのかと思っていました。

その後も、一曲演奏するごとに間にMCを入れて、この間までアフリカに旅行へ行っていたというお話をされたり、このアルバムが作られた経緯は、などと世間話をするようにごく普通な調子で楽しくお話されました。
その様子には親しみがあって、僕の目にはとてもチャーミングに映りました。
今まで持っていたイメージと違ったことが、こんなに心地良く感じられるんだなぁと嬉しくなりました。

一曲一曲の感想を書いていったらとても長くなるので割愛しますが、初めて聴く矢野さんの一曲一曲が僕の心に深く染み渡りました。
ピアノの演奏というのはこれほど表情豊かなのかと感じました。
叙情的な歌詞と力強い歌声、優しいピアノの音色、一曲ごとにそれぞれ違う背景を見せる照明、それによってさらに神々しく見える矢野さんの歌う姿、それらが渾然一体となって会場を包み込みました。

最後の方のMCでは、「とにかく生きていこう」「途中で変わってもいい」というようなことをおっしゃっていました。
「アフリカに行っていろいろ見てきて今私は生命力に溢れているので、私からどんどんそういう免疫力を吸い取っていってね」とも。
なんというか、明るくユーモアを交えつつ話すそういう何気ない一言一言も、落ち込んでいた僕には強く響いて、いちいち涙腺を刺激するのでした。

アンコール前の最後の一曲は、『baby』という短い曲で、「最後にこれはアカペラで唄います」と仰って、矢野さんは椅子から立ち上がりました。
ステージの中央で歌うのかなと思ったら、中央は中央なのですが、さらに前に出てきてくださって、僕の真ん前に立たれました。
僕の席の前の机を挟んでホントにすぐそこです。
手を伸ばせば触れる距離です。

すぐ近くに来られたことで驚いて僕はのけぞってしまって、変に緊張してしまって、かなりドギマギしてしまって、流石にお顔を見つめ続けるのは憚られました。
そしてマイクを通さない、本物の生声で歌ってくださいました。
とても愛に溢れた優しい歌で感激しました。
ずっとこの時間が続けばいいのにと思いました。

気付いたら3500文字も書いてしまっていました。
ちょっと、また続きます。
急ですが今回はここまで。

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