言葉遣いなどは敢えて変えたりしてます。本編はあくまで次の高校生活編です。その時に登場するのが皆さんの知る美兎委員長です。いっちょ前に編に分けたりしてすみません 月にはウサギがいるという。子どもはみんな知っている。しかし僕にはウサギが見えなかった。隕石の衝突によってクレーターができ、そのでこぼこの模様が「餅つきをしているウサギ」に見えると言われても、そうは見えなかった。ウサギのシルエットを薄く被せられたところで、そうはならんやろとしか思えなかった。 人は自分の見たいものをみ
思っていたより暖かい。 また季節が一つ過ぎようとしていて、 毎度それに気づく度にため息が一つ。 君がいない季節はそれなりにたのしくて、 僕の知らない世界はまだまだたくさんあって、 これを埋めていくだけでも生きていく価値はあるんだろうけど。 あの季節みたいに愛おしむことも苦しむこともしなくなった僕はただ、田んぼに立つカカシのように、 でもカカシのように誰かの役に立つでもなく、静かな海に立ってぼんやりと前を見ている。上を向いたら雨が降りそうだ。 冬が過ぎたら春じゃなくて、春が過
僕はやっぱり、カフェで時間を潰すよりは、外で歩くかそうでなくとも公園ですわっていたい。 貧乏なのもある、庶民の生まれなのもあるけど、外にいればこんなに新しいものに出逢える。 初めて見る雲、木々、鳥、池、九分咲きの花、人に人。 季節が変わり太陽の位置が変わると、夕焼けに染められる木も姿を変える。 たとえ見知った場所でも、毎日すべてが新しい。 カルガモに聞く。やぁ、今日はなにをしているんだい? カルガモは応える。今日は先週の大雨でできたあそこの新しい池まで行
ここから乗せてくれれば良いのにと思いながら、家の最寄りの踏切が横切るのを見ていると、その奥に学校の反対方面に歩く男の子のランドセル。足を投げ出すような歩き方と、なかなかの俯き加減の頭。お前どしたんだよと勝手に問いかけ想像を広げる。 なんてことのない通過儀礼だと思ってた卒業式の当日の朝は、小さい頃使っていた電車に乗ったからか思いのほか感傷的な気分になっていた。 その時その時ではそれなりに 真面目に考えているはずの将来の夢は、歳を追うごとに変わっていくもんで、行く川の流れ、
おばんです。 僕はiPhone 6を買った時から、ブルーライトカットの液晶画面保護シールを貼っていました。 iPhoneを新しく変えるんだから当然保護シールも買わにゃならん、そして眼は大切にしたいからブルーライトカットにしよう、さすれば夜眠る時に画面を多少みても安眠できるだろう、と考えていました。 売り場を見ると、当時はブルーライトカット率が、せいぜい39パーセント、1番高くて44パーセントだったんですね、これは昔からブルーライトカットに目がなかった僕が言うのだから間