奇跡の連続
朝起きて、
感じたのは、
「献身滞在が欲しい」
だった。
俺も行きたい、
そこに行けば、参加すれば、
この欠乏感は満たされる、
という、
砂漠で水を求めて歩いているような、
渇きの感覚。
欠乏感と、
そこに行けばこの渇きは満たされる、
という感覚。
イエスの、
「わたしから水を飲みなさい。
そうすれば、二度と渇くことはない」
という聖書の言葉を思い出す。
勉強会を一旦やめる時、
「勉強会をやめて、献身滞在のオンライン参加もやめたら、
孤独になる。
奇跡を受け取る機会もなくなるし、
ただただ、虚無感とか孤独とか、
漠然とした不安感に浸かった日々に
逆戻りになる、
不安感や孤独感を忘れるために、
Youtubeを見たりゲーム配信を見たりして
しょうもない気晴らしに時間を使って、
貴重な時間を浪費して無駄にしている、置いてきぼりになるという
背中がジリジリと焼かれるような焦りを感じる、
あの不毛感しかない時間を過ごすことになる」
って言う強い恐怖があったけど、
実際には、
そんなことはなかった、
という体験はいくつもあった。
何人もの人を通じて驚くようなシンクロとか、
心を開くような奇跡を通じて、
聖霊のガイダンスやメッセージを受け取らせて
もらったし、
見る映画は全て完璧なガイダンスだったし、
本当に、奇跡の連続だった。
勉強会とか献身滞在で自分の欠乏感とか
不安感、孤独感を満たしてもらえる、
とか、グループの中にいる方が偉いとか、
優れているとか、
自分は負けてるみたいな信念はまだあるけども、
特定のグループの内側に奇跡や幸せがあって、
その外側にはない、という壁のような
信念は、
間違いだったかもしれない、
と思える。
聖霊の意図はこれを体験で学ばせるための、
一旦やめるガイダンスだったのかもしれない。
幸せや満足は、
特定のグループに所属したり、
人間関係を持つことから来るのではなく、
聖霊につながるわずかな意欲を持つことから
やって来る、というレッスンを。
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