自己中心的な欲求とガイダンス

さっき風呂に入っていて、
「誰かにメールで話しかけたり、
何か聞いたり、
悩みを聞いてもらったり、
助けを求めたりしたくなった時、
自己中心的というか、
自分が愛される存在であること、
自分が受け入れてもらえる存在であることを
自分が実感したいから、
つながりとか
幸せとか安心を実感したいから、
その自己中心的な欲求で相手を利用したい
みたいな、
自分のズルさ、
ただ気持ちよくなりたいだけ、
自分がゲットしたいだけ」
のように感じて、
忙しい相手を犠牲にしたり、
そんな感覚が強く出て、
相手に嫌がられるんじゃないか、
相手にとって自分は負担なんじゃないか
みたいな感覚がある、
ことを
見つめてた。
そしたら、
突然、
「そもそも、自己中心的な欲求が全然ないなら、
奇跡もコースも必要ないじゃん!」

ってバーンときた。

聖霊は、自己中心的な欲求を使うんだ。

欲求は、奇跡衝動、愛とつながりを求める欲求が恐怖とか条件づけで
歪曲されたモノだから、
つまり自我が作り出したもので、
聖霊は自我が作り出したものを使うってテキストに書いてあるじゃん。

のりこさんとかデイヴィッドたちが
言ってたのは、
こういうことだったのか。

相手とのコミュニケーションで
安心したいとか、
愛されてるのを実感したいとか、
受け入れられてるのを
実感したいとか、
確かに自己中心的だけど、
その欲求がそもそもないなら、
奇跡は必要ない。

逆に聖霊はその欲求を使って、
好みとか趣味とか、
罪悪感を感じるような
行動をきっかけに使って、
心を癒すために使うのかもしれない。

それがコースがデイヴィッドの言ってた
ことじゃないか。

だから、自己中心的な欲求があっても、
自分ズルい感とか、
自己嫌悪とか自己憎悪が上がりまくるけど、
その行動を使って聖霊が導いてくれるってコト!?
とガーンときた。

メールしちゃダメって感じても、
いい場合もあるかもしれない。
ダメなら、相手は言うだろうし。

なんか、偉そうなこと書いちゃって、
後から恥ずかしくなりそうで怖いけど、
忘れたくないし、
胸が広がる感じがするから書いておく。

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