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数日前のこと

誰かから、
責められたり、
批判されたりしているように見える時、
つい、防御的になる。

攻撃や裁きを愛を求める懇請として見るとか、
頭では分かっているけど、
いざとなると、
やっぱり反論したり、
言葉や理論を駆使して防御したくなる。

なぜだろう?と心を見ると、
やっぱり、
自分の中に、
「自分はひどく間違った行動をしている存在で、誰かを犠牲にしていて、
批判されたり責められて当然だ」
という感覚がある。
罪悪感の熾烈な痛みと、恐怖がある。

その罪悪感が無意識化されてるから、
相手の攻撃的な態度によって
自分の中にある罪悪感が共振して
相手の言動のパワーで自分が一方的に傷つけられるように感じて、
自分がひどく弱く無力に感じるから、
自分としては怒って、
臨戦態勢になって、
防御/反論をせざるを得なくなる。
まるで痛みを相手に押し返すように。

自分を責めて、裁いているのは、
自分の無意識のうちにある裁きの信念との
同一化なのか。

何度でも思い出したい。

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