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嫌われてる方が都合がいい

あるきっかけで、
またしてもメールで
「自分が見下されている、
この人は俺を見下している、
赦せない」
が発動した。
で、反撃したい、
相手に自分が味わった
屈辱や、苦しみを
味わわせてやりたい、
となり、
攻撃した。
で、
その後、
深刻な罪悪感・恐怖を感じて、
その人に嫌われている、
と自分が思って、
内臓が底に落ちるような恐怖を
感じた。
理由は、
自分がその人に
反撃して言葉で醜く獰猛に攻撃した、
傷つけた、
と深刻に信じたから。

逆の、
「相手が自分を傷つけて、
痛みや恥や屈辱を感じさせた、
それで優越感を感じて、
ニヤニヤしてる」
を信じてたから、
その逆をやり返したい、
と思った。

感情をちゃんと感じると、
パニックみたいな恐怖感・緊張感が、
悲しみに変わった。
ああ、
自分はもう愛されてないんだ。
醜く攻撃する獰猛な本性が
露見したから、
もう愛されないんだ、
って言う悲しみ。

で、
あ、俺、愛されたいんだ、
と思って、
なんだ、愛されないと思って
悲しいってことは、
つまり愛されたいのかって、
ちょっと落ち着いた。

別の人に、
「今俺、
ある人に嫌われてる、
って思ってて、
恐怖がある」
と話すと、
「嫌われてないかもだよね」
と返ってきて、
その言葉に自分は、
「いいや、あなたが間違ってるね!
俺は絶対に嫌われてるね」
と、
思ったんだけど、
その時、
勝ち誇るというか、
「俺の方がわかってる。
どうだ」
みたいな、
ニヤニヤする感じ、
優越感みたいな感覚があった。
それで、
嫌われてる方が都合がいい、
って思ってるのを感じた。

なぜか?目的を問うと、
嫌われた理由、
「俺は相手を獰猛に攻撃して、
自分の獰猛で醜い、
人を傷つけて優越感に浸る
醜い本性を見せたから」
をリアルだ、
現実に、
過去に起こった、
を証明したがっているのが
感じられた。

自分には、
相手を傷つけるだけのパワーがあって、
相手は一方的に傷つけられる弱い脆い存在
ってことにして、
罪悪感を感じたい。

その後、
じゃあ、信念を入れ替えたら、
「俺はまだ愛されてる」
じゃん、
になって、
それが本当にそうだと感じられて、
幸せになった。

「こいつは俺を見下してる」から
始まって、
→屈辱、恥、傷ついた痛み、
→相手に憎悪と嫌悪、怒り、反撃したい、
同じ苦しみを味わわせてやりたい、
自分のいる位置に引きずり降ろしたい
→怒って反撃する、獰猛に攻撃する
→相手は傷ついた、と思って
罪悪感、恐怖を感じて見捨てられる、
と思う、
→やっぱり見捨てられた、嫌われた、
→悲しみ、自己憐憫

だった。

やることはいつも同じで、
相手がコロコロ変わるだけ。

本当に、
「自分は相手を獰猛に攻撃する醜い本性で、
価値がない、
愛されるわけがない」
を証明するのが
「願望・目的」
の、
捏造ゲームだった。

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