その世界線に自分は居ない

周りが何やら騒いでいます。
でも、私は実際見ても無いし知らないので
現象を認知認識してませんから
外れています。

人それぞれが己の見聞きする
世界に生きています。
なので、無量大数の世界が現時点で
同時に存在していますよね。

この間を行ったり来たりする人もいれば
意識だけで行ける人もいます。
漠然とした未来など、どこにもまだ
現れてはいませんし、どれだけ頑張っても
投影の先は秒コンマ遅れの過去です。

この世の終わりは、私の終わり。
私が観測体験を始めた世界の終わり。

昨日、意識の擦り合わせを行いました。
この世界には自分の、つい(対)
が必ずどこかに存在感する。
そんな気がした1日でした。

AよりBに魅力を感じます。
選ばれなかった側の魅力を深掘りしたいのです。
世界も同じで、消えてしまった
打ち捨てられてしまった
淘汰された存在にこそ価値を感じます。

人とは残酷なもので、自分と違う事を
容易には認めませんし
あいいれません。

残念ですね。

よく言う、『捨てられる皮にこそ栄養がある』
とかと似てる気がします。
細かく言うと、皮と身の間に栄養が…もあります。
話がバラバラで申し訳ないです。
でも、散文なのはいつも通りかと思います。

あわい、ってとても大事です。
グラデーションの真ん中のあたり
色彩の移り変わりの変化。

人も何だか、あわいを生きている
そんな気がします。

わかる人を求めています。
わからなくても、わかろうとしてくれる
姿に心は動きます。

理解したい、この一心で世界を見つめる
視線は幾分か柔らかくなります。

勿論、行動ありきです。
お願いします。
誰かが、いずれ自分の都合のいい様にしてくれるなんて事は、ほぼ無いのが日常です。

思考の現実化
結構たわいない事なのですが、
日頃から漠然と思っていた事が
現象として起きています。
『あー、そう来るか。』
と、ある日突然やって来るお知らせ。

願えば叶うとは少し違うけれど
可能性を信じて口に出していただけで
お膳立てまでされているので
責任持って向き合いたいと思います。

ここは、引き換えですね。
叶えた代わりに…と。
当たり前です。労せず手に入れてますから。
現実はやっぱりシビアなので
細かな差し引きも加えて
その人に相応しいものを差し出す要求を
して来ます。
無理のない範囲で。

踊らされても良いし、自由に波に乗るのもまた
一興という事でしょう。

この手にかかってますよ。

おしまい。

最後まで読んでいただきまして
ありがとうございます😊

noteを上手く書ける世界線に私はいません。

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