「悪夢殿」終
「はい、ええ、はい・・。なんですって!?はい!ええ、わかりました。すぐ、行きます!はい、じゃあ!ありがとうございました!」
ぺこり、と受話器を耳に当てたまま、電話機に向かって伊丹が頭を下げた
そういうところ、若いくせに神妙でいい、と安積は好ましく思っている
ん、殊勝でいい、か?
「安積さん!」
「なんだ?どうかしたか」
「いま、たった今病院から連絡が。西丸幸二が死にました!」
「なんだと・・!昨日行った時は落ち着いていた」
「急変したんだそうです。つい一時間前に、あっという間だったそうです」
「西丸優一には?」
「連絡はしていたようです。急変した時点で。まだ来てないようですが」
「ちっくしょお!」
安積は握りこぶしで机を叩くと、頭を押さえてうめいた
「せんぱい・・」
ポケットからシガーケースを出すと、乱暴に中のペロペロキャンディーをぶちまけた
緑・・赤・・黄色・・
たいていその三種類がシガーケースのスタメンらしい
鼻息荒く、安積は赤色を咥える
ガリガリ噛み砕いて、今度は机の引き出しをこじ開ける
バンッ
見るとペコちゃんポコちゃんチョコレートである
安積はフィルムをめくると、バキバキ噛み始めた
「あー、それ・・今日はチョコ・・。しかもそれ、元気になったら西丸幸二にくれてやるって、言ってたじゃないですかぁ」
「なんだよ?もう必要ねぇだろ。俺の頭にゃ、必要なんだよ、今だよ今」
「そんなぁ、それなら僕にくださいよぉ・・」
「オメーはバカか!伊丹先行け!車回して来いっ!」
「えー、今どきしごき流行りませんよぉ。それに伏せ字にしないと訴えられたら大変です」
「うるせぇ!あいつは自分が犯人になって死んだんだ!悔しくねぇのか!」
「えっ!そりゃ・・車、回して来ますっ!」
伊丹はコートを掴むと駆け出して行った
安積はひとつ、深いため息をつくと、もう一度だけ目をつぶった
*****
「それで今度はなんですか」
西丸幸二の元寝室兼部屋で、兄の西丸優一は文机にふてくされたように腕を置き、安積と伊丹を見上げた
「とうとう病院に行かなかったそうだな」
「忙しかったんですよ、客はキャンセルだらけ。あちこち頭下げに行って、金策にも行ってましてね。葬儀屋に全部頼みましたし、密葬なんだし、いいでしょ」
「だからってなあ、あんた・・!」
「幸二は家の恥だ。妾の子だし、先祖代々の旅館にも泥を塗った。死んでもこの家の敷居は跨がせない」
「いや、妾の子はあんたのほうだろ。西丸優一さんよ」
「なんだと、警察のくせに、一般市民になんだよ、その言いぐさは」
「すみません、この人不良中年なんです」
「うるさいよ、あんた。関係ないだろ、そんなこと。名誉毀損じゃないか!人んちのプライベートを、これだから警察は!」
「あんた、病院に行かなかったとはな。まあ、普通の病院だったからな、あの状態だから警官もつけなかったが・・てっきり殺しに来ると思っていた。殺さなくても不首尾がないか、確かめに来るかと思っていたんだ。あんたのねちっこい性格見てたらな」
「なんだと!」
「珍しく感情的じゃねぇか。そうじゃなきゃ、面白くねぇよな」
「だから・・!なんだって言うんだよ!」
「西丸幸二はな、お前が犯人だって証拠を爪に残していたんだ。いや、良かったよ。清拭の時に気付かれて、拭き取られていなくてさ」
「な・・何をだよ!証拠って!?」
「西丸幸二の薬指の爪に貼り付けられていたデコシールってやつだ」
「はあ?そんなもん・・いったい」
「裏取ったんだぜ。ガキのオモチャのシールだと思ったんなら、甘いぜ。まあ、ただのガキのオモチャのシールだけどな」
「だからそれがなんなんだよ!」
「レッツ&ゴーのシールだ」
「はあ?」
「それも超極小サイズにプリントアアート・・された精密なシールだ」
「だからそれがなんなんだよ。そんなふざけた証拠出してくんじゃねぇよ、警察が」
「お前ら兄弟の、思い出のアニメじゃないか。なあ、烈&豪。よく走らせてたんだろ、ミニ四駆。外見はプラスチックの車体にシール貼っただけの、ちゃっちいメカだけどよ。今じゃシールじゃねぇみたいで、豪華なマシンになってるみたいだな。お前らの頃・・初期は自分でシール貼るタイプだったってな」
「西丸優一。あんたは烈のマシンだった。西丸幸二の薬指の爪に貼り付けられていたシールは、烈のマシンのシールだ!あっ!いけない、安積さん伏せ字にしなきゃ!訴えられますね!」
と、そこだけは伊丹
「お前さんが猫誘拐魔、そして虐待死の犯人。薫屏楼連続五人殺人事件の真犯人だ。おそらく婆さんも、父親も殺ってるな・・」
西丸優一は爪を立てた両手と両膝をつき、わなわなと震えていたが、やがてゆらり・・と立ちあがり、ニヤリと笑った
安積と伊丹はなぜか見えもしない落日に片側を照らされ、半分は闇と化して、不敵に笑う不気味に壊れた男をそこに見ていた
この男もまた、十代の始めに・・いや、もっと前に時が止まった哀れな子どもだったのか
だが、だからといって許されることではないのだ
被害者だから、自分もしていい、などとは言えないのだ
「西丸優一。薫屏楼連続五人殺人事件のことで詳しく聞きたいことがある。同行願う」
安積が伝えると、伊丹が西丸優一の脇に立ち、彼を支えた
安積も反対側に回る
「母さん・・母さんが・・独りになってしまう!あの人を独りぼっちに出来ないよ!」
安積と伊丹は顔を見合せて、安積は首を振った
「西丸さん。あんたのお母さんはとっくの昔に、自殺して死んだんだ。あんたはこれからそのこともゆっくりでも、受け入れて罪を償わなきゃいけないんだ」
後はもう、安積と伊丹に引きずられて行く、大きな子どもの号泣する声が、どこまでもどこまでも響いていた
*****
「取り調べには?」
「あ、藻汐署長」
伊丹はさっと敬礼をする
藻汐署長も敬礼をする
「西丸優一、素直に自供しています。少し意外でしたが」
「うむ。安積君にもよろしく伝えてくれたまえ」
「はいっ!ありがとうございます!」
昨今は珍しくなった日常の敬礼姿
藻汐署長にはつい敬礼をしたくなる、そんな清冽さがある
伊丹はとてもこの人を尊敬している
父親と言うにはおもはゆい、叔父くらいにとどめて、尊敬しております
安積が叔父くらいが妥当かも知れなかったが、あの人は年の離れた兄のような人でいい
伊丹には殉職した兄がいた
以来父は気力を無くし、伊丹に関心すら持たない
むしろ兄の代わりに厳しく扱われたほうが、どんなに反発出来て楽だったか・・
いや、老いて行く父と母のために、自分は穏やかに生活出来て、とても幸せなはずだ
エリートと呼ばれ、父と母の生活にも困らず、彼女にだって困らない・・
手のかからない、いい彼女やいい両親じゃないか・・
伊丹は自分に言い聞かせるように、目をつぶって首を振る
そして
「安積さん!報告書出して!あと経費落とせませんから!このペコポコちゃんチョコレート!のレシート!」
「ああ~ん?領収書が良かったかあ?」
「だから!そーゆうんじゃないです!安積さん個人の食い物でしょ!ダメなんです!」
「あ~?だって伊丹、おめーに買ってきてやったんじゃねぇかよぉ~」
「えっ!僕に!?安積さんが!?ほんとに!?うわぁ、感激!!ありがとうございます!」
「なんだよ。それでいいんじゃねぇかよ。おい、メシ行くぞ~」
「はいっ!(^o^ゞ!どこまでもついてゆきます、安積先輩!あなたが好きだから!」
「はあ~?おめーやっぱ、バカ?彼女に捨てられるぞ~キモ~いってな」
「大丈夫ですよ!リング買ったんです!彼女に!えへへへへ!」
「へ~ん。リング持ち逃げされんなよな」
「えへへへへ~。大丈夫ですよ~。何食べますかっ?」
「あ~?やっぱカツ丼だろ。なに、おめーまた唐揚げ?心配すんなよ、糖尿なんて気のせいだからよ。あ~若い奴はいいよな、何食っても代謝が早くてよ」
「安積先輩!愛は勝つですね!」
「はあ~?俺たちゃ、刑事だろ。嘘でも正義が勝つんだ。真実に向かってひた走れ。ねじ曲げられた事実なんか知らねぇ。俺たちには真実だけが一つなのよ!」
「はいっ!そうですよね!えへへへへ!」
こうしてカツ丼を食べる行き帰りのために、二人は三駅を往復することになる
その間にも事件は起こっている
だが、こうして昼飯を食いに、椅子に座って飯が食えるということは、平和で幸せだということなのだ
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