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「愚天の雨」4

夏祓えの季節が来ていたなんて

蒼雲の森は夏でも空気が清涼で冷たい

わたしはこの森に似た、鹿ノ神の棲む森を知っていた

それまでそれほどの力が宿る森は知らなかった

ただ少し、私には寒いような気もした

歓迎はされていなかったのか

「湧き水だ、季節良」

「叉霧」

「飲めるってさ」

見ると「地蕎麦にも使っています。名水」

の、小さな看板

手書き・・

「へぎ蕎麦食おうか?帰りに。と言うか、行く前に」

「ん・・」

叉霧が勢い良くはじけ飛ぶ湧き水の土手に足をかけ、岩の裂け目を覗き込んでいる

直接口をつけるには、勢いが激しくて、全身が濡れそうだ

「叉霧、ほら」

私は両の手のひらをくぼませて、湧き水をすくって差し出す

叉霧は照れたように笑って、私の手のひらから、湧き水を飲んだ

今度は叉霧が手のひらですくって「飲め」、と言う

私は側にいる売り子のオバサンたちが見ているような気がして、首を振った

蘇芳の顔が頭の中をよぎった

「いいから飲めよ。飲んでくれ」

叉霧・・

手のひらに口をつけると、私は目を閉じてそれを飲んだ

「冷たくて美味しい」

それなのに、胸のつかえは取れない

へぎ蕎麦は白っぽく、蕎麦の殻を混ぜて挽いているのか、黒い点々が麺にちりばっていた

黒塗りの重箱の中に、結構みっしりと楕円状の蕎麦が並べられている
重箱と言うのか、剥ぎ木や剥ぎ板を組んだ箱が器になっていると、壁にへぎ蕎麦の由来が書かれている

東北の海で生れた蕎麦

やはり海は繋がっているのだ

荒波を越えてこの灘の森にまで

小麦や山芋のつなぎではなく、布海苔という糊にしてつなぎにしているそうだ

食べ応えはかなりある


「元気ないな」

「そんなことないわ」

「いろいろと世間は騒がしいからな」

「巷のことと放ってもおけないわ」

「地鳴りが止んでいるのも、なんだか怖いな」

不穏すぎて

隠しきれない高鳴りは

誰の鼓動?

水中で揺らぐものが視えた

濁りが強い


山から下りて来る風と、灘から噴いて来る風がぶつかる処には『御子神』がいる

別名『いくさがみ』ー『軍神』が目覚める前に

夏祓えと行きましょうか

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