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「水府の三門」 ◆道しるべ◆⑩

茨の道、野の道

いばらは再び山道を急いだ

御岩権現山の峠の茶屋とやらで、茶菓を頂いたりなぞしてしまったからだ

茶屋は峠の坂を登り始めたすぐ脇にあった

坂はなだらかに見えても、高ノ原から下ってくる人々にとっては、まっすぐに進めず爪先が前にのめって難儀らしい
木の肌の杖を突いて下りて来る人を見ていると、大変そうだなあ、と思いながらもいばらは笑いをこらえている

そうはいっても、坂を下るその大変な人々に声をかけられるのは、むしろいばらのほうである

「綺麗なお嬢様、この赤坂をよう越えなさるなあ。いずこから?草鞋はそこの茶屋の脇に湧いてる沢水で足を洗って履き替えなすったので?」

「え?あら。そんなこと知らなかったですわ。峠の茶屋の方、なんにも言ってなかったので。江戸からですのよ」

「茶屋を出たすぐ出たとこで、この先坂はなんぼでもありますからね。江戸からとは驚いた。海街道の宿場じゃなく、裏街道を峠越えなさるとは。権現様の御加護なのやろうか。ちょっと下がって足を濯いで履き替えるといいでよ。ちょうど儂、編み上がったばっかしの草鞋、卸しに来たもんで。草鞋が切れていて茶屋のもんが、声かけなかったんだろって。ちょうどこのずっと先の溜池の堤が決壊しましてね、なかなか麓から上がって来れずに、草鞋も納められなんだわ。草鞋待ちの権現様に申し訳ない限りで。さ、この通りお嬢様には一揃え、先に差し上げますから茶屋に戻りなされ。そして茶屋のもんに儂はちょっくら、権現様の履きなさる草鞋を納めてから寄ると言付けてくださればありがてえことで」

背負った籠を下ろしながら、破れの継ぎだらけのほっかむりをした百姓らしき男は言った
いばらに荒縄に数珠繰りされた真新しい草鞋をくれると、日に焼けた顔で笑った
歯はところどころ抜けているが、溌剌とした笑顔だった

いばらは礼を言うと、持参の医用箱から

「ありがとう、小父さん。新しいお草鞋が履けるなんて足がさっぱりするわ。これはわたくしの宅に伝わる薬なんですの。切り傷、あかぎれ、打ち身、おたんこぶ、いろいろ効きましてよ。お草履のお礼に代えて頂けるかしら」

「そいつあ、珍しいものを。そういえば沢水で打った地蕎麦は食いなさったか?峠の茶屋の脇に小屋がありますべ。じいと孫娘っ子が二人でつましく営んでおるんだが、孫娘っ子はそりゃあ健気で、じじい思いの良い娘なんで。お嬢様よりいくらか小さいかのう。この辺りには若い娘はすぐ嫁に行かされてしまうので、おカヨはつまらんし、最近元気がない。ご縁だと思って、少しばかりお江戸の話をしてやって下さいよ。この先急いても暗くなって溜池の側で野宿も嫌ですやろ。権現様の宿場はこの真下やし。じじいとカヨの小屋でも泊まれますし」

「まあ、そうなんですの。権現山の宿場で早駕籠頼めるかしら?わたくし、どうしても明日こそは急いで友部村の鬢櫛までゆきたいの」

「どうでっしゃろ。どうにも坂ばかり。駕籠も走れるのかの?権現山には担ぎ屋もおるんだけれど、聞いてみるのが良い」

「ではそうしてみますわ。地蕎麦に美味しいお水ね。お爺さんとカヨさんね。ありがとう小父さん」

「なあに。それじゃお気をつけなすってな」

ほっかむりの村人は御岩神社へと下って行った
なるほど、坂が終わり急に平坦になったそこは神社の入り口だからなのだろう
御岩山そのものが御本尊なのか
山岳信仰の極み
太古からあるという巨石や地に刺さる石柱のような岩
八百万の神が一斉におわし
全ての願いや憂いが叶えられ、解かれるという

「中には御岩山さまにしか咲かん、高山に強い草花を持ち去るやからもおりましてなぁ」

蕎麦小屋の主人

カヨの祖父、すそ吉は眉をひそめた

「どうぞご用事が終わったら、また巡って下され」

「でもお参りしたら、また御礼参りに来なければなりませんわね。二度も三度も江戸から来れるかしら。無事に江戸に帰れるかも、この先目的を果たせるかどうかも・・」

いばらは、少し困ったように笑った
差し出された白濁の湯呑みを口元に持ってゆく
蕎麦を茹でた湯である
ほっとする温かみー

農家に預けて来た、初産間もない真那雪が心配である
心付けの金子も百姓にいいように使われ、真那雪親子も売り飛ばされていないとも限らない

そうは思いたくはないのだが、日々年貢に追い立てられる百姓には、ある日突然押し付けられた厄介なよそ者には違いない

「それじゃあ、いばらさま。それまで食べられませんから、もう一枚お蕎麦を召し上がって」

桃の花のような頬をした、溌剌とした娘
カヨは、嬉しくてたまらないと言った感じだ
聞けば齢は十五
箸が転がっても笑う年頃だ
なんでも面白く興味を持つ
かつてのいばらもそうだった
いまだ年頃になってもお転婆は成りを潜めない

「まあ!こんな美味しいお蕎麦ならもうひと椀頂きたいわね!するすると飲んでしまってもったいないわ」

蕎麦の表面が水に光る、みずみずしさである
つなぎは少なく、やや硬いが歯ごたえがありのど越しは良い

「はーい。おじいちゃん、お蕎麦お願いね!」

一気に花が咲いたような明るさ
噂を聞きつけて、この蕎麦屋に人が群がるのも時間の問題だろう
いばらは、美しく聡明で光り輝く天女のようである
出来れば早々に部屋に上がらせてもらいたいのだけど・・

「天照さまって、いばらさまのような方を言うのかもしれないわ。ねぇ、おじいちゃん!」

「そうだなぁ・・なんだか有り難くて手を合わせて拝みたくなるなぁ」

そう言ってすそ吉とカヨは、真顔でいばらに手を合わせている

「まあ、恥ずかしいからおやめになって~。ちょっと頂き過ぎたかしら、帯がきついわぁ」

いばらはポンポンと、ちょっとふざけて腹太鼓を打った

「あら。後で苦~いお薬、にがとうやく(苦湯薬)でも飲んだら、胃の腑がすっきりするわ」

と、カヨ

「にがとうやく?それは何かしら?」

「煎じ薬です。白い可愛い花が咲くけれど、茎と葉は乾燥させると、とても渋くて渋くてにが~いの」

「怖いけど、飲んでみたいわ!何て言う薬草なのかしら!?」

「え~にがとうやく?かなぁ?にがとう?あれ、なんだろう。わかる、おじいちゃん」

「とろかし草じゃろ」

「え~、ちがうわよぅ。でもそれ食べても飲んでも、人は溶けないわよ。お蕎麦は早くこなれるかもだけど」

「頂いてみたいわ!にがとうやく?それ」

「熱いお湯に冷めるまで浸しておくんです。冷たくないと一気に飲めないわ、すごく苦いんだから」

「じゃあ、おカヨさん。それを一杯お願いするわね」

「いいですけど、鼻つまんで我慢してぐいぐい飲むのよ。あと、飲んだらすぐ暑いお湯を差して、何度も飲むんです。四、五回は苦味が出ますから」

「とても強烈そうな薬草だわ!いったいなんなのかしら。ええと、これ。『救民妙薬』と言って、その昔。水戸の大殿様が御作りになったお百姓や庶民のための家庭医学書なの。載っているかしら」

「いばらさま、わたし、これ知ってますー。うちにもあるもの」

「まあ!まあ、まあ、まあ!なんてこと、嬉しい!それからこれは・・わたくしの親類の方の兄上が書かれた医学書なの。この辺りは昔から山犬・・狼も多いそうね。野犬・・病犬に噛まれたらこうなるのだとかの本。『狗傷孝』よ。毒蛇や虫、鼠に噛まれたら、の治療法も書いてあるわ。猿、はないのね。この辺りは猿は神の使いと言うのでしょ?それでも土の中には人に悪さをする菌もあるのよ。獣は媒介もするわ。自然は万物を育むけれど、私たち人間には強大で脅威でもあるわね。いかに共生するかだわ。大量には採らず、またムラなく分布させるには・・やはり人や獣の媒介も必要だわ」

いばらは懐から冊子を取り出して夢中で読み出す始末

「いばらさま、すごいわ。先生さまみたい。それにこれって南陽先生のご本でしょ。又右衛門さまのお兄さまの」

カヨはさらっと冊子の表を見抜く

びっくりしたのはいばらのほうである
まさか、こんな場所で
まさかあの人の名を耳にするなんて!

「え?また?またえもん?さま?」

「雨宮又右衛門さまでしょ?原南陽先生は養子に出される前のお兄さま。雨宮家に入られても親交はあるのだって」

「どーして、そんなことおカヨさん知っているの!まさか、又右衛門様と!?」

「え・・又右衛門様は太田の郡奉行さまでしたもの。又右衛門さまは少し変わっていらして、よく巡察っていうのをしてました。わたしたち村人にも、こうしてお手書きやらの『救民妙薬』を下さいました」

「まあ、知らなかった。わたくし、そんなこと知らないわ。又右衛門様のお仕事なんか、泣き言みたいなお便り下さるから、てっきり・・」

「いばらさま、又右衛門さまのお身内なのですねー。なんとなくわかりますー。おふたりらしさが、合わさって見えますもの・・」

ちょっぴり寂しそうな表情をして見せたカヨは「にがとうやく、持って来ますね。お部屋に置いておくので、いばらさま休んでくださいね」
そう言って、納戸のような部屋に入って行った

又右衛門様・・

言い知れない胸の奥が苦しく、熱くなっていた

そしてそれはすぐさま、胃の腑を焼くように熱くさせた

何これ!
このキーンとする渋みは!?

生まれて初めて口にする苦さである

その後二度程、煎じる間に
いばらは顔をしかめながら『救民妙薬』をめくり続けた
『にがとうやく』の後に飲んだ白湯の、なんと甘いことか
地獄で『甘茶ずる』とはこんな心境だと思った

せんぶりー千振

千回煎じてもまだ苦い
そんな意味の由来のようである

まさかここに来てこんなにも『救民妙薬』を勉強することになるなんて・・
御岩山権現様の御導きだわ
いばら、これからも精進致します

又右衛門様~


次回

いばらは又右衛門と再会なるか





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