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「櫻子さんだった」①

桜よりも桃の花が好きだとその人は言った


櫻子さん


優途です

御無沙汰しています

とてもとても御無沙汰していますーーー

🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸

小学校に上がるよりも、もっと前

僕は毎年

そこに行くのが楽しみで楽しみでならなかった


進学したり、思春期を迎えたから疎遠になったーーー
そんな風な、単純な理由でなかったような気がする

どうして今まで忘れていたんだろう

忘れていられることが出来たんだろう


列車に乗せられて、車掌さんに小さな僕は託されて、たんぽぽ畑をカタコト走る列車の窓に食いついて、僕は座席にお座りして
ずっとずっと外の景色を見ていたんだ

初めの年は、駅まで迎えに来てくれた
爺や、って人が自転車で迎えに来てくれた
或る年には何も告げずに一人で歩いて行って、大変驚かれたっけ

三輪車みたいなのに木箱みたいなのが括りつけられていて
僕はひょいっと爺やさんに脇を掴まれて、箱に乗せられた
危ないから大人しくしていなやー、って言われたなぁ

僕はまた、列車の座席と同じように、木箱から景色を眺めていたんだ

爺やさんが、しょっちゅう「ぼんちゃん、だいじょうぶか。もうすぐだからなぁ」
って話しかけてきた

駅を出て、少し坂上がりになると、ずらっと細かい小さなお店が並んでいた
木の道具、杖、玩具
草履、羽織、カーディガン
茶碗、湯呑み、お椀

だんご、うどん、飴玉ののぼり

おっきい神様の家があるんだと
ここはそこの神様の参道で、ここにくれば大概のものが揃う
爺やさんは教えてくれた

途中で赤っぽい木と壁の、扉のある大きな家を過ぎる
ぐるりと一周半くらい回ったら、太い柱が横になった、開け放しの玄関に着いた

全部の木が段になって、家に上がる土間も、すごく高かった
僕の頭より高かったんじゃないかしら

「あらまあ、よく来たねぇ」

水色の薄い丸首から白い襟がついていて、黒に白の斜の入った長いスカート
髪を後ろでまとめて、前髪を垂らしたその人は、前かがみで僕を見て笑っていた

なんだか昔の人の絵から出て来たような、目を細めて笑う優しい顔がとても懐かしい感じがした


「優途ちゃんよね?」

僕は笑ったまま固まって、もじもじしていた

「お揃いの帽子と斜めかけのカバンが可愛いらしいこと」

「おじいちゃんとおばあちゃんが・・」

確か用意してくれたんだった

僕はずっとおじいちゃんとおばあちゃんと暮らしていて、近所にも同じくらいの子はおらず、毎日していることと言えば、おばあちゃんの側で絵を描いていることくらいだった

おじいちゃんはいつもワイシャツに上着と揃いのズボンを履いて、帽子をかぶって午前十時くらいから夕方四時くらいまでは、どこかに出かけていた

僕は父や母というものが他にはあることを、ずっとずっとあとになってから知るのだった


夕飯の時刻

長い座卓に僕は座らされた

例の女性が僕の左側につくのだが、僕のご飯の面倒の他にも家中の面倒を見ているらしく、立ったり座ったりしていた

かぼちゃの甘く煮たの

フキと椎茸の煮たの

ネギがくたくたになったおみおつけ

おばあちゃんのとはどこか色合いも
風味もちがう、いつもとちがうことばかりに口いっぱいに広がる唾液

家の中には人がいないのに、なぜかわらわらと人が行き来する活気があった

それは僕が送られて来た裏玄関の辺りでもあり、その周りの広い庭からでもあるようだった

その日の夜は、薪木で焚いた風呂に入れてもらい、例の女性が僕を寝かしつけるのに、昼の服のまま添い寝をしてくれた

今もって、僕はこの家とどんな関係で、この女性とどんな間柄なのかもわからないでいた

ただ、この女性が「櫻子さん」という名前なのだと教わった

よろしくね、優途ちゃん

その日の布団は心地よく、暖かかった


朝ご飯を食べて

僕は爺やさんを先頭に、櫻子さんにすぐ真後ろの小山に連れられて行く

数回訪れるうちに、僕は爺やさんを爺やー、と遠慮することなく呼ぶようになっていった

小山というより、一種の庭園のようだった

意図的に切り揃えられた切り株や

時代の雨風に削られたかのような石が配置されている

きっと赤い花や白い花が咲く


「これ、珍しいでしょう?見たことある?」

櫻子さんと同じくらいの背丈の木

変な格好の木

人みたいな頭や手をしている

髪の毛なんかワサワサしていて、爆発している

「蘇鉄って言うのよ。庭にはあまり植えてはいけない木だそうなの。暖かい島国の木なのですって。地上の庭には植えずに、この高いところから、生まれた国を見えるようにしたのよ」

櫻子さんは、ずうっと遠くを指さした

爺やさんに自転車で通って来た駅や土産物の店々だろうか
森の向こう、マッチ箱のように見えた
そしてうっすら青いーー海?

僕はまだ、海というのを見たことない

蕗谷虹児の絵本の「人魚姫」の海が僕の知る海だった

櫻子さんは慣れているのか、急斜で乾いた小山にも関わらず、突っ掛け履きだった

「あ、汽車」

長い甲虫みたいなのが、森の中を走っていた

ずっとたんぽぽ畑の、田んぼの中を汽車は走って来たと思ったのに、ここからはまるで森の迷路を突き進んでいるように見えた


「ほんとによく来たねぇ」


櫻子さんは、僕の頭を何度も何度も撫でてくれたのだった


きっとこの手紙は届かないでしょう

それでも僕は、僕の思い出として櫻子さん宛てに日記を書きます

櫻子さん

それではまた明日


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