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一年の目標を吟じる

興味深い話がいくつも出てきていますが、そのうちの一つ「一年の目標を吟じる」について書いてみます。

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たとえば、通りすがりに現場のことをまったく見ていない社長が「じゃあ、この開発部署の一年の目標はあれね」とかテキトーなことをほざいたらきっと殺意が湧いてくる……かどうかはわかりませんが、その目標に現実性の検討が欠落していることは容易に予想ができそうです。にもかかわらず、強制力だけはあるのだから始末に負えません。

で、新年の目標を一月一日に「決める」ことは、基本的にそれと同じ状況なのです。言うほうは気楽でしょう。なんなら「これこそ自社のために必要なことだ」と酔っていることすらありえます。でも、その高揚感は、提示された目標の達成には何も関与しないのです。だって、それを言った後は社長はさっさと社長室へ消えてしまうのですから。

もし、適切な目標を決めたければ、きちんと現場の声を集めた上で、部署の状態を理解している課長なり部長なりが会社全体の目標とすり合わせるしかないでしょう。個人の目標設定だって同じことです。

まず、去年の自分が一年間で何をなし、何を思ってきたのかを振り返る必要があります。去年の成果が100なのに、今年1000を望むのはあまりにも現実離れしています。去年英語の勉強が嫌で嫌で仕方がなかったのに、今年になって急にそれを好きになることを前提に計画を組むのも妄想が過ぎるでしょう。

でもそういう目標になりがちなのです。だって、一日という限られた時間しかないのですから。そんな時間で、「目標を決める」というゴールだけが決まっていたら、最後の部分から取り掛かるしかありません。ちょうど、日本史の授業で、明治以降はほとんど省略されてしまうのと逆のことが起こるわけです。

単純に考えて、365日に影響を及ぼそうという計画をたった一日で決めてしまうのは無理があります。『「目標」の研究』でも触れましたが、「一年の計は元旦にあり」であって、「元日にあり」ではありません。もっと言えば、これだけやることが多くなっている現代では、元旦ですら十分ではないでしょう。もっと時間をかけたいことろです。

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時間がかかるのは、去年を振り返り、自分の心と向き合う期間が必要だからだけではありません。最初に思いついた計画も、じっくり吟味していきたいからです。

最初に箇条書きで書き出したその文面が、本当に一年の目標にふさわしいものと言えるでしょうか。社長の単なる思いつきと同じレベルになっていないでしょうか。

私たちはこうして文章を書くとき、まず文として書き表し、それを読んで「自分が言いたいことが、言い表せているか」を検討します。その結果、書き直し、さらに読み返すことで、徐々にその「精度」を高めているのです。

自分の思っていることが、そのままストレートに文章化できるような優れたスキルを持っている人は稀でしょう。たいていは、試行錯誤を重ねる中で、文章をより良くしていきます。推敲と呼ばれる行為です。

目標に関しても、つまり目標を表す文(章)に関しても同じことが言えるのではないか、というのがTak.さんの鋭い指摘でした。まったくその通りだと思います。

立てた目標が適切かどうかに加えて、その目標を表す文が適切かも吟味する必要があります。むしろ、そうした文の吟味を通じて、私たちは自分の目標を曖昧なものからより具体的な(というよりもイメージフルな)ものへと変じていくのではないでしょうか。彫刻家が石を削っていくかのように。

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私は2021年の目標を「本を読み、本を作る一年」としました。個人的にキャッチーな文句になったと思っています。

キャッチーな文句は、(その定義からして)頭に残ります。一年を通して、私の頭にこびりついてくれる文面です。わざわざ諳んじるために暗記する努力を必要としません。この言葉を生み出した(あるいは見つけた)瞬間から、私の心に刻まれています。

考えてみると、これまで新年の目標を立てて一ヶ月先までろくに覚えられていた記憶がありません。毎回、新年に作成したEvernoteを見返すことで、「そういえば、そうだった」と思い出してたくらいです。

キャッチーな文句は、頭に宿り、必然的に私の行動や判断の隅々にまで浸透していきます。目標は、ある意味でトップダウンの最上に位置するものですが、しかしこれは最下層にも付随しているのです。正しい「ビジョン」のあり方とはまさにこのような形でしょう。

当然、キャッチーな文句(あるいは力ある言葉)はすぐさまに思いつくものではありません。何かしら輪郭的な言葉を思いついたとしても、そこから言葉の入れ換え作業が待っています(本のタイトルをつけたことがある人はよくおわかりでしょう)。

当然このような作業は時間がかかります。なんなら、その目標に沿う行為や活動を進めながら、並行してその名前を考えることすらあるかもしれません。

でも、それでいいのです。別にはっきり言葉にするまでは取り組み始めてはいけない、なんてルールはどこにもありません。行為を重ねながら、「では、これは一体何をしているのだろうか」と考え続けてもいいのです。とんちんかんな目標を「設定」してしまうことに比べれば、はるかに健全な状態だと言えるでしょう。

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上記の点において、これまでまったく想像していなかった形で「知的生産の技術」と「仕事術」(ないしタスク管理の技術)が結びつくというのが驚嘆すべき事実です。キャッチーに言えば「見出し力がタスク管理を変える」のです。

知的生産の技術に長けた人が、タスク管理も人並み以上にやってのけるのは、そうした認知と言語を扱う能力が長けているからなのかもしれません。それはそれで探究しがいのある分野であります。

ともかく、一年の目標なんて大それたものを一日で決めようなどとやっきにならないでください。かといって、別に慌てて決めなくていい、と投げやりになるのも違います。「時間をかけて、少しずつ作っていく、あるいは見つけていく」という気持ちでいいのです。

そういう気持ちの中で、意欲をかき立てはするけど焦るような気持ちまでは抱かないで済むというちょうどいい目標(ゴルディロックス目標)がfindされるのではないでしょうか。

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