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自分の発言にけじめをつける / Power of writing その1 / Textboxのリンク作り / 素材はいくらでも

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2021/12/06 第582号

○「はじめに」

ポッドキャスト配信されております。

◇第九十一回:Tak.さんと「仕事ができるとは何か?」 by うちあわせCast

今回はかなり難儀なお話をしました。でも、大切なお話だと思います。

〜〜〜時間のはやさの違い〜〜〜

喫茶店でコーヒーを飲みながら、「もう12月か。一年なんてあっという間だな」と感慨にふけっていたら、近くに座っていたご高齢の男性グループが「ほんま、10年なんてあっという間やな」と盛り上がっておられました。

さすがに私の倍くらい生きておられるだけのことはあります。

〜〜〜アルゴリズム・ドリブン〜〜〜

Textboxに新機能を追加していたときのこと。

あるファイルを読み込み、その内容をページに出力する、という機能を書いていました。複数のファイルを読み込んで、それを「一つのページにまとめて表示する」"ダッシュボード"を作ろう、という試みの一環です。

で、ある程度コードを書いた後で、「ファイルを読み込む→一定の形式に沿う部分だけを抜き出す→ファイルに書き込む」という処理が複数行われていることに気がつきました。そりゃまあ、そうです。

そこで、その機能を抽象化し、「ファイル名を与えたら、その中身を取り出してファイルに書き込む」という関数にまとめたところ、見事にコードがすっきりしました。うん、グッドリファクタリング。

と思っていたのですが、そうやってコードを抽象化すると、当然のようにすべてのファイルは同様の形式で出力されます。見た目がまったく同じになるのです。

さらにいえば、「そうして読み込まれるのだから、ファイルにはそれに合うように情報を保存しておこう」などといった先回りの計算も生まれるようになります。画一化です。

Textboxでは、それぞれのファイルが、自らの特性に合わせてさまざまにデータを保存することが特徴だったのに、すっかりその話が消失し、もっと言えば逆転してしまっています。

なるほど。

と私は思いました。

上記のリファクタリングは、プログラマーの私から見た「最適化」であり「効率化」です。それを行うことによって、コードの保守性が高まることは間違いありません。一方でその視点は、ユーザーの私は基本的には捨象されてしまっています。検討に上がっていないのです。

これはつまり、情報そのものではなく、それを処理するアルゴリズムベースでさまざまな決定がなされていることを意味します。デジタルノートの見た目が「均一的」になってしまうのも、概ねこういう力学が働いているからなのでしょう。

もちろん、上記のようなリファクタリングをした上で、個別のファイルの読み込み方に独自性を持たせることはできるでしょう(オブジェクト指向のオーバーライドはそういう仕組みに思えます)。

一方で、そうしたコードを書くのもまた「私」であり、その「私」が面倒さを感じると、コードはそのままの状態になります。優先順位による取捨選択が働くのです。

でもって、企業によって開発されているソフトウェアにおいても、使える資源には上限があり、何かしらの優先順位による取捨選択が働いているでしょう。個別のノートの「見た目」を変えることに、そこまでの重要性が置かれるとは思えません。

だからまあ、ある程度の部分に関しては「自分で書く」しかないのだと思います。うまく書けるかどうかは別にして。

〜〜〜来年からのタスク管理言説〜〜〜

最近、いろいろな人と話をする中で「タスク管理がどんどん緩くなっているよね」という話題に出くわすことが増えてきました。まったくぜんぜん"管理"しないわけではないけども、そこまで厳密にも緻密にもやらない、という「ほどほどの管理」に落ち着いているというのです。

でもって、ほとんど必然なのかもしれませんが、そうした「ほどほどの管理」は継続性が高いようです。つまり、そのレベルならば無理せずに続けることができる、と。

おそらくですが、2010年くらいから盛り上がってきた仕事術・タスク管理・ライフハックが指向していた「スマート、完璧、高効率」といった方向性が、そろそろ限界を迎えているのでしょう。

タスク管理にせよ、知的生産にせよ、そういう方向性からの舵切りが必要になっていると感じます。そんな話を来年以降していけたら良いなと考えています。

〜〜〜プロジェクト進捗報告〜〜〜

今、倉下が着手しているプロジェクトの進捗について、簡単にご連絡しておきます。

まず、Tak.さんと共同で進めている『Re:visiton』(仮)ですが、かなり原稿が固まってきました。おそらく"大手術"はほとんどもう不要で、あとは細いレベルで文章の精度を上げていく作業です(これはこれで時間がかかるわけですが)。

それと並行して倉下は表紙画像制作にも着手しています。「いついつまでに発売」とまではさすがに断言できませんが、そう遅くないうちにお披露目できるでしょう。

続いて、『ライフハックの道具箱2021』ですが、去年版は私一人で原稿を書きましたが、今年は数名の方に原稿を寄せていただくことができました。嬉しい限りです。

現在は、去年の原稿データに頂いた原稿を乗せた後、細い調整を進めているところです。PDFではなくEPUBを作るので、いくつか細いマークアップの指定が必要ですが、これは機械的に進めていけるので単純に時間の問題です。

あとは、全体の文章を調整するのと、去年版のデータがきちんと最新情報になっているのかを確認したらOKです。

こちらは今年中に発売する予定ですので、お楽しみに。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 最近の「タスク管理」事情はどうなっているでしょうか。

では、メルマガ本編をお送りしましょう。今月はノーテーマで、本号は久々にアラカルト方式でお送りします。

○「自分の発言にけじめをつける」 #知的生産エッセイ

ときどき「下読み」のお手伝いをしています。知人がセルフパブリッシングで出版しようとしている、という話を聞いたら、「もしよかったら、出版前に下読みしましょうか」と申し出ることがあるのです。

さすがに自分の仕事もあるので、すべての本に対して同じことができるわけではありませんが、そのときの作業の状況を見て余裕があれば、積極的に声を掛けるようにしています。

内心、そういう声掛けはおせっかいかなとも思わないではありませんが、ごくフラットに考えて(一応)専業の物書きにそういうオファーを出すのは心理的にハードルが高いでしょうから、私の方から「どうですか?」と言ったほうがいいだろうな、と思っている次第です。

もちろん、私の方から声を掛けているわけですから、その作業は基本的にボランティアです。こちらから金銭を要求することはありません。作業としては「仕事」と同じようなクオリティで望みますが、しかし「仕事」ではないわけです。

考え方をもっと「ビジネス」寄りにすれば、そうした作業を仕事にすることも一応は可能でしょう。なんといっても、私は(一応)プロなわけですから、そのプロが原稿に手を入れてくれるのは、金銭的価値を見出せそうです。

しかし、これまでもこうした作業はボランティアで行ってきましたし、今後も同様でしょう。それはそれ、これはこれ、という切り分けが私の中にはあります。

■全体としての共同作業

第一に思い出したいのが、「論文」と「査読」です。世界中の学術論文は、投稿されるときに査読を受けるようで、その査読は該当分野の学者さんによって行われています。その作業は、ボランティアなわけです。

もちろん、査読を行う学者さんも、自分の論文を他の誰かに査読してもらうわけですから、ある意味で「お互い様」なわけですが、そういう功利主義的視点を越えて、お互いに査読し合う行為がその分野・学会の発展に寄与するから、という大きな目的もあるでしょう。

さすがにそこまで大げさな話ではありませんが、私にも似た気持ちがあります。自分が儲けるかどうか、という話を検討する領域とは別に、「せっかく新しい本が、この世界に誕生するのだから、できるだけクオリティーが高いものであって欲しい」という願いがって、その自分の願いに準じたい気持ちがあるのです。

それだけではありません。第二に、私があちらこちらで個人の執筆・出版活動をプロモート(なんならエンハンス)してまわっている点もあります。

面白い視点を持つ人、面白い文章を書く人を見かけると「本を書いたらいいんじゃないですか」みたいなことを手を換え品を替え発言する癖があるのです。もちろん私が純粋にそう考えているから、その通りに発言しているわけですが、そう発言している人間が、一方で「出版のお手伝いをしますよ。一冊1万円で」みたいなことを言い出したら、これはもうマッチポンプ以外の何もでもないでしょう。さすがにそれはちょっとダサい感じがします。

もちろん、商売においてマッチポンプが顔をのぞかせることはよくあることです。一応補足しておくと、マッチポンプとは、片方でマッチを擦って火をつけておき、もう片方では水をポンプで供給して「火を消す」というニーズを満たそうとする行為を指します。つまり、何かしら売りたいプロダクトがあるときに、その「ニーズ」を自分で演出するのがマッチポンプです。

たとえば、自分が大麦の畑を所有しているとして、他の人の大麦畑に火をつけてまわり、「なんと、食糧不足の危機です!でも安心ください。ここに大麦があります。少しお高いですが、皆様にお譲りします」などと言えば、利益はすごく生まれるでしょうが、もちろん倫理的に許容されるものではありません。

とは言え、上は極端な例であり、すでにあるニーズをやや誇張気味に宣伝する手法はありふれています。あらゆるマッチポンプを否定するのは、さすがに潔癖すぎるでしょう。

しかし、私が「出版のお手伝い」をビジネスにしてしまえば、誰かに向かって言う「本を書いたらいいんじゃないですか」という発言が、ビジネス色に染まってしまうことは間違いありません。それはぜひとも避けたいのです。

その意味で、自分の発言の「けじめ」をとるためにも、自分から積極的に、かつボランティアとしてこういう活動を地道に続けていこうと考えています。

■さまざまな場作り

同じようなことは、最近の他の活動においても言えます。

たとえば「かーそる」という電子雑誌は、"本を書くという活動まではしないけれども面白い文章を書く人たち"の文章を集める場としての役割を持っています。そのスピンオフである「おーぷん・かーそる」の試みも同様です。

あるいは、『ライフハックの道具箱』という書籍企画は、倉下の原稿だけでなく、何かしらのツールや技法について書ける人の原稿を集めて「本」にする試みですが、これも「ツールについて言いたいこと、書きたいことはあるけれども、自分で本を作るほどではない」という人に向けて場を提供する試みです。

もちろん、自分で本を書ける人は自分で本を書けばよく、それを集めるための試みとして今年からCBAという試みもスタートさせました。

◇「CBA 2021」の募集を開始します | R-style

『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』では、「自分のノート」を書くことの延長として「本を書く」ことを位置づけています。一番強力な「勉強」として、「執筆」があるわけです。しかも、本の中で「本を書くことを意識してみましょう」などと私は呼びかけてしまっています。

そうして呼びかけているのですから、やはりその発言のけじめは取りたいところです。文章/本を「出す」場を作ること、あるいはその助けとなる情報を提供すること。そうした目論見の一環が上に挙げたような"プロジェクト"というわけです。

ちなみに、「けじめ」という言葉を使っていますが、別段歯を食いしばってがんばるというイメージはありません。もともと私はそうした類いの活動が嫌いではないのです。ただ、「自分の本を書く」ことはもっと好きであり、さらにいえば仕事でもあります。そうなると、何もしなければ自然に"資源分配"がそちらに偏ってしまうので、上記のような活動の優先順位を意図的に少しだけ上げておく、というのが私の「けじめ」のつけかたです。

本メルマガのテーマも「読む・書く・考える」なわけで、「書く」ことが含まれています。ですので、皆さんも何かしら──本でも記事でも──書いてみてはいかがでしょうか(と、ここでもプロモートしておく)。

○「Power of writing その1」

『TAKE NOTES!――メモで、あなただけのアウトプットが自然にできるようになる』という本があります。ニクラス・ルーマンの「カード法」を紹介した『How to Take Smart Notes』の邦訳です。

ちなみに英語版では、タイトルは『How to Take Smart Notes: One Simple Technique to Boost Writing, Learning and Thinking』となっており、さらに「for Students, Academics and Nonfiction Book Writers」という補足もついています。

二つのタイトルを並べてみると、あまり同じ本のようには思えません。英語版は「賢いノートの取り方:書く、学ぶ、考えるを加速するたった一つのシンプルなテクニック」であり、「あなただけ」も「自然にできるように」も、どちらの含意もありません。ついでに言えば、日本語版では「生徒、学者、ノンフィクションライターのための」という制限/前提もまるっと消え去っています。

別にタイトルにいちゃもんをつけようというのではありません。二つのタイトルづけの差異が面白いなと感じているだけです。

日本語のタイトルに「あなただけ」や「自然にできるように」と付与されているのは、そういう言説が日本市場でウケる(≒ニーズがある)と出版社が考えている証左でしょうし、英語版のタイトルをそのまま翻訳したものではウケないと考えている証左でもあるでしょう。

どちらのタイトルも、ある種の「煽り」を持っているわけですが、その方向性に違いがあるのが興味深いところです。おそらく米国の場合は、「あなただけの」は自明な事柄であり、わざわざ言及する必要がないのでしょう。この辺に「文化」の影響が感じられます。

■二つの内容

冒頭からめちゃくちゃ脱線してしまいましたが、とりあげたいのはタイトルではなくて、その中身です。

(下に続く)

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