見出し画像

訂正可能性の自己啓発 / ページをデザインする手応え / ノウハウ本は、誰に読まれるのか / Workflowyにおける自然な整理

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2023/10/16 第679号

はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇第百三十七回:Tak.さんとるうさんとメモやタスク管理とその道具についての四方山話 作成者:うちあわせCast

◇BC074『ロギング仕事術』 | by goryugo and 倉下忠憲@rashita2 | ブックカタリスト

うちあわせCastは、前回に引き続き二人ゲスト回でした。るうさんとお話するのはひさびさだったので多いに盛り上がりましたし、なにより「かーそる」作りのモチベーションも高まりました。そんな風に人のモチベーションというのは外的な要素で変化していきますね。

ブックカタリストでは、著者自らが『ロギング仕事術』の紹介をしました。本の紹介は1/3くらいで、それ以外はこの本に込めた想いを語っております。

よろしければ、お聴きください。

〜〜〜オンライン読書会〜〜〜

10月13日の金曜日に、オンライン読書会を開催しました。ブックカタリストでの臨時読書会です。とりあげたのは、五藤隆介さんの『アトミック・リーディング』。

◇『アトミック・リーディング』読書会のお知らせ | by 倉下忠憲@rashita2 -|ブックカタリスト

本の感想あり、読書の困り事相談会あり、タイトルについての疑義ありと、多いに盛り上がりました。やはり、こうして一冊の本を「肴」にしてわいわい盛り上がるのは楽しいものです。単に集まって話すのも面白いのですが、共通のテーマ(話題)があることで、そこに「場」が立ち上がりやすくなる感触があります。

一応次回は、拙著『ロギング仕事術』を取り上げていただける予定になっております。来月くらいでしょうか。また都合があえばご参加ください。

〜〜〜デジタルノートについて〜〜〜

最近つとに思うのですが、私たちはデジタルノートについてほとんど理解していません。

たとえば、つい最近Evernoteのノートブック体制を大幅リニューアルしたのですが、ここにきてようやくしっくりいく形が見出せたような感覚があります。で、2008年からEvernoteを使い続けていると計算すれば、15年経ってようやくその感覚に至れたわけです。

もちろん、機能については十分に理解しています。得意なこと、不得意なことの知識もあります。でも、「どのようにすれば、自分にとって使いやすい体制になるのか」ということはほとんどわかっていなかったのです。なぜなら、そのことについて書かれた資料や書籍が圧倒的に不足していたからです。

私の「知的生産の技術」の大半は、アナログ道具を前提としたもので構成されています。先達が積み重ねてきた知見があり、それを理解し、応用することでノートやカードについては自分なりに応用することができるようになりました。

でも、同じことをデジタルノートに適用することはできません。「記録する」という共通部分は同じでも、人が使う道具としてみたときに大きな違いがあるからです。

というわけで、今後少しずつそうした話も展開していきたいと思います。できれば「デジタルノート研究会」みたいなものを立ち上げて、いろいろな人の知見を集めたいとも思っています。

〜〜〜本作り〜〜〜

現在次の本が最終追い込み段階に入っています。で、本のページがデザインされ、それについてチェックをしたり、コメントをしたりしています。提示されたデザインについて「この方がいいのではないですか」と提案したりもします。

何か、そういう作業がとても楽しいのです。

ふだん文章を書くときは、徹底的に一人です。書いた文章のジャッジメントも一人で行います。それは自由で気ままに進められるメリットを持ちますが、「どこまでいっても一人」という感覚は残ります。複数人のアイデアを持ち寄って、一つのプロダクトを作っていく作業では、そうした孤独な感覚が薄れ、プロジェクト(あるいは場)に参加している感覚が立ち上がってくるのです。

組織で仕事をしている人ならば、そうした感覚はもはや自明であって注意を向けられるものではないのかもしれません。つまり、当たり前の感覚です。あるいは、うんざりすることも多いのかもしれません。

だとすれば、普段ひとりで仕事をしているからこそ、より鮮明にそうした感覚を良いものと感じられる──隣の芝生は青い──ということはありそうです。

ともあれ、大切なのはリズムなのでしょう。普段はだいたい同じように仕事を進めて、たまにそれとは違った仕事(あるいは作業)を手がけてみる。そうした変化の導入が、部屋の空気を入れ替えてくれるような気がします。

皆さんはいかがでしょうか。普段は一人で仕事をしておられますか。それともグループでしょうか。普段とは違うタイプの仕事をしたとき、どんな感覚を覚えられるでしょうか。よろしければ、倉下にお聞かせください。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、訂正可能性の自己啓発、ページのデザイン、ノウハウ本の読者、Workflowyにおける自然な整理についてお送りします。

訂正可能性の自己啓発

東浩紀さんの『訂正可能性の哲学』を読みました。

◇Amazon.co.jp: 訂正可能性の哲学 ゲンロン叢書 電子書籍: 東浩紀: Kindleストア

ウィトゲンシュタインの言語ゲームとクリプキの共同体論を一つのコアとして、私たちのコミュニケーションや民主主義、あるいはもっと広く「情報との接し方」において訂正可能性が重要であると論じられています。

本の内容についてはまた別に記事を書くとして、ここで注目したいのは本書で提示される「訂正可能性」という概念です。

"あるものが提示される。その後、それは訂正される。しかし、それは「あるもの」のままである"

こうしたことが可能であることが、訂正可能性と呼ばれます。別の言い方をすれば、"何かしらが「あるもの」であり続けるためには、それが訂正される可能性を持たなければならない”、となるかもしれません。

少し込み入った、しかし身近な概念です。

■家族の変容

たとえば、川切家というご家族がいたとしましょう。父、母、息子の三人家族です。あるとき、新しい子どもが産まれて、家族は4人となりました。このとき、概念と定義の関係はどうなるでしょうか。

もし、川切家が「父、母、息子の三人家族である」という言明によって定義されているならば、4人になった時点で定義から外れてしまいます。すると"シン・川切家"のような新しい定義を持ってその新しい形態を名指さなければいけません。

しかし、私たちの日常的な感覚では"川切家"と呼び続けることが普通でしょう。「川切家に新しい一員が加わった」と言ってなんら問題がなさそうです。

ごく当たり前のことを言っていますが、たとえば「三角形」という概念で同じことはできません。新しい辺が増えたら、それはもう三角形ではなく四角形です。構成する要素が変化すれば、名称そのものが変わる。こちらもごく自然なことでしょう。

この二つの名指しに違いを見出し、私たちが扱う概念を「川切家」のような固有名の方で捉えることが大切なのではないか、ということが訂正可能性という概念の中心的な要素の一つです。

■『Re:vision』との共通性

『訂正可能性の哲学』を読みながら感じたのは、『Re:vision』という本でTak.さんと論じたアウトラインとタスクリストの扱い方と強い共通点があるな、ということでした。

ここから先は

9,863字 / 4画像 / 1ファイル

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?