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第十七回:個人文書館としてのEvernote

前回、四つの基本ツールを確認した。今回は一つ目のツール、Evernoteの位置づけを紹介しよう。

Evernote

クラウドノートの老舗ツールでもあるEvernoteは、途中大きなUIの変更を経てなお、根強い人気を誇っている。それは、機能性の高低よりも、「気楽に保存できる」という点が影響しているのだろう。

先に構造を作り、その構造に沿って情報を保存しようという場合、どうしても私たちは「整合性」が気になってしまう。どこに保存するのが適切なのか、といった思考が頭を占めるわけだ。その点、Evernoteは〈ノートブック〉という大きな分類と〈タグ〉という多重の属性を組み合わせることによって、ラフに保存してもそれなりに情報を見つけられるようになっている。たくさんの情報を保存していく場合には、こちらの方がやりやすい。

また、EvernoteはWebクリッパーやメールによるノート作成、そしてたくさん存在するサードパーティアプリなど、情報の「入り口」がたくさんある。情報の性質や、自分が置かれた環境に合わせて、使い方をデザインしていけるわけだ。

以上のことからして、Evernoteは情報の最終到着地点と私は位置づけている。情報が静的に佇む場所。すなわち、個人文書館(パーソナル・アーカイブ)である。

個人文書館

「文書館」という発想は、梅棹忠夫の『知的生産の技術』に由来する。少し長くなるが引用しよう。

ヨーロッパには、どの国にも、むかしからアルキーフ(文書館)という施設が発達していて、さまざまな記録を、じつに克明に保存しているということである。日本では、そのような、記録保存のための公共施設の発達がわるいから、記録がのこっていない、というせいもあるけれど、それ以上に、はじめから保存の対象になるような記録がとってない、というのが真相だろう。まえの経験を吟味して、そのうえにたって、あたらしい経験をつぎたしてゆこう、というふうには、なっていないのだ。

『知的生産の技術』

進歩とか発展ということを考えると、これはあきらかに効率がわるい。膨大な記録カードと日記の蓄積は、いわば個人のためのアルキーフである。わたしがいっているのは、知的生産にたずさわろうとするものは、わかいうちから、自家用文書館の建設を心がけるべきである、ということなのである。

『知的生産の技術』

このアルキーフは、英語であればアーカイブが相当するのだろう。さまざまな記録を保存しておくための公共施設。それが文書館である。梅棹は、その「自家用」を持てと説く。つまり、パーソナルなアーカイブ・スペースの確保が必要だというわけだ。

私の情報環境において、Evernoteが担当するのは主にそうした役割である。さまざな記録を保存しておくためのツール。個人的な文書館装置。それがEvernoteだ。

どんな情報を、どのように保存するのか

さて、情報整理とは「情報を適切に配置し、必要に応じて取り出せるようにしておくこと」であった。その視点から見て、個人文書館はどのような働きをするだろうか。

ここで梅棹の発言にもう一度注目しよう。

膨大な記録カードと日記の蓄積は、いわば個人のためのアルキーフである。

『知的生産の技術』

これらは静的な情報である。一度生成されると──誤字の修正などを除いて──書き換えられることはない。そうした記録がアルキーフ/アーカイブとして保存される。頻繁に出し入れし、しょっちゅう書き換えられるものではなく、ある種「完成」したものを置いておくための場所。図書館で言えば、開架ではなく閉架のイメージが近い。

たとえば、Webクリップについて考えてみよう。Webにアップされている記事は、基本的に完成したものだ。書き上げられたものと言っても言い。デジタルなので修正もありえるが、しかし頻繁な更新は意図されていない。こうしたものは個人的文書館に保存するのが向いている。

一方で、WikipediaのページやScrapboxのページは、基本的にいつでも書き換えられる可能性を持つ。それらをWebクリップすることは、スナップショット的価値はあっても、情報利用の観点からすると好ましいとは言えない。常に最新の情報にアクセスしなおすのが賢明だろう。

同様に、自分が書き上げた原稿などは、基本的にその時点で静的な状態になる。つまり、内容に加えてその性質も変わらない。そうした情報は、一度つけたタグの指定などが、そのまま「適性」であり続ける。細かく変更する必要がないのだ。

よって、Evernoteには静的(あるいはその時点で静的になった)情報を保存し、タグづけなどをしておく。基本的にそうした情報は保存だけがされていて、必要に応じて検索され取り出されるが、そうでないときは眠り続けている。アーカイブとはそのようなものだからだ。

こうしたものは頻繁には利用されない。それは、公共施設としての文書館が市民の毎日の生活で利用されるわけではない、ということと同じである。それらはまさに「必要なとき」に呼び出される。いつかはわからないそのタイミングに備えることは、公共的価値を持つのである。

実際例

いくつか実際例をお見せしよう。

まず、以下はWebクリップだ。ごく普通にWebクリッパーを使っている。

英語の記事をクリップして、その下に日本語訳を書き込んでいる場合もある。

「出来事」というタグを付けて、行為の結果を記録したり、

本の書誌情報や読書メモを書き込むこともある。

最近では(画像はお見せできないが)確定申告の際にEvernoteは活躍した。必要なタスクをリストアップし、情報を書き留め、作成したデータを保存しておく。

そうしたデータは来年の確定申告のときに大いに役立つ。実際今年の確定申告では去年のデータが役立った。そんな風にして、データが順繰りに未来に送られていくのである。

保存しておくための場所

総じて言えば、Evernoteの中で知的生産を行うというよりも、さまざまな知的生産・行為の結果を記録し、保存しておくための場所としてEvernoteを利用する、となる。

もちろん、Evernoteをもっとアクティブに使うこともできるあろう。アーカイブではなく、活発な情報をクリエイティブに活用していくこともできるはずだ。ただ、他のツールとのかねあいもあって、今の私はこういう形に落ち着いている。

では、アーカイブではない情報はどのように扱っているのか。それは次回に紹介しよう。

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