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「大きな仕事」をする / ノウハウ書の書き方

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2021/01/24 第589号

○「はじめに」

ポッドキャスト、配信されております。

◇BC029『NOISE: 組織はなぜ判断を誤るのか?』 - ブックカタリスト

◇第九十六回:Tak.さんとノウハウ本の書き方について by うちあわせCast

ブックカタリストは、カーネマンの新作を紹介しました。『ファスト&スロー』よりは地味な本かもしれませんが、じわじわと効いてきそうな一冊です。

うちあわせCastは、ノウハウ本の書き方についてお話しました。今回のメルマガでその内容をもう一段掘り下げております。

〜〜〜物書き配信〜〜〜

よく漫画家やイラストレーターの方が「作業配信」なるものをやっておられます。線画作成や色付けの過程をそのまま動画で配信するのです。

では、それを物書きが行ったらどうなるでしょうか。

さすがに原稿の執筆を配信するのは難しさがあります──なぜなら、20分経っても一文字も増えないことがありえるからです──。しかし、たとえば付箋を使ったアイデア出しや、Scrapboxのページ作成&整理などであれば、配信できるかもしれません。

特にScrapboxは、ダイナミックに変化させていくその「プロセス」が醍醐味なので、それを開示してみるのも面白そうです。

〜〜〜マケプレの誤配〜〜〜

私は普段は、本を買うときは地元の書店で購入しています。よほど入手が難しい本でない限り、Amazonで注文することはありません。マーケットプレイス(中古本)ならなおさらです。

しかし、梅棹忠夫さんの『情報論ノート』がどうしても読みたくなり、一念発起して(おおげさ)マーケットプレイスで注文しました。

で、数日経って届いた封筒を開封してみると、中から出てきたのは『小説の方法 「私の二十世紀小説」』というまったく違う本でした。

実に複雑な気分です。なぜなら、その本もなかなか面白そうだからです。

一瞬、「まあいいか、これはこれで買っておこう」と思ったのですが、よく考えたら、そのままにしておくと販売者の方の在庫リストがおかしくなってしまいます。さすがにそれはよろしくなかろうと連絡してみると、全額返金の対応をしていただけました。本の方は、こちらで処分してくれて構わないとのこと。私としては代金を支払ってもよかったのですが、あまりやいやい言ってもややこしくなるだけなので、その指示に従うことにしました。

それにしても、ごく普通に本を買ったり、書店を散歩していただけでは、絶対に『小説の方法 「私の二十世紀小説」』という本が私の本棚に並ぶことはなかったでしょう。まさしく「誤配」が発生したわけです。

これははっきり「ノイズ」なのですが、しかしそうしたノイズも──たまになら──悪くはないものです。

〜〜〜『Re:vision』のその後に〜〜〜

『Re:vision』という本では、タスクリストを使った「仕事術/タスク管理」が提示されています。そして、そのノウハウは、GTDとは違った(それもかなり違った)タイプのものです。

もちろん、『Re:vision』はGTDと同じようには体系化はされていません。その意味ではまだまだ不十分というか「今後の課題」がたくさん残っているノウハウです。

それを考えると、『Re:vision』のネクストステップは、その対象をタスクリストやアウトライン以外にも伸ばしていく方向と、タスクの観点からその手法を体系的にまとめていく方法がありそうです。

どちらも面白そうではあります。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 買い物をして予想外のものが届いたことはありますか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回も私の「仕事」についての考えをお送りします。

○「大きな仕事」をする

40歳になったあたりから、「大きな仕事」をしよう、という気持ちが高まってきました。今後の人生における仕事の指針です。

とは言っても、別にメジャー度が高いものだとか、ベストセラー感が強いもの、という意味ではありません。影響度、インパクトが大きい、というくらいの意味合いです。可能であれば、そうした仕事をしていきたいと考えたのです。

■大きな仕事

私の企画案リストには、山ほどの企画が並んでいます。特に峻別していないので、大小さまざまな企画がそこにはあります。

たとえば、私は物事を教えるのが好きで、しかも麻雀が好きなので、「倉下流麻雀の解説書」みたいな企画案もあります。これはこれで面白そうですが、しかし仕事の大きさとしては小さいでしょう。第一に、私がそこまでその道に詳しくなく、第二に、他にも似たような本がたくさんあるからです。そうした本を世に送り出したときのインパクトはかなり小さいと想像できます。

逆に言えば、そうではないタイプの本が「大きい仕事」になります。第一に、私がその道に精通していて、第二に、あまり他には似たような本がない、という一冊を送り出す仕事。それが私なりの「大きい仕事」の定義です。

基本的にそれを満たせば「大きい仕事」にはなるのですが、もう一つ商業的観点も必要となります。つまり、一定の読者数が見込める本作りをしたい、ということです。一応、すごくニッチな本を作り、50人に対して一冊5000円で販売する、という「ビジネスモデル」も存在はするのですが、ややもするとそれは危ないルートに入りかねないので注意が必要でしょう。カルト的になってしまっては、文章を売っているのか、何か別のものを売っているのかわからなくなってしまいます。

ある程度開かれた内容で、しかもインパクトがある本にすること。

それがここ最近の仕事の指針です。

■それ以外の仕事

とは言えです。そうした「大きな仕事」は当然のように時間がかかります。一冊書けばどれもベストセラーになる、という著名な作家でない限り、スパンが空きすぎると「経営」が成り立ちません。

さらに言えば、「大きな仕事」しかしないとなると、「実験」の余地がきわめて少なくなります。なにせ「大きな仕事」では、あまり無茶なことはできません。そうなると、そのとき自分に使える引き出しだけで勝負することになり、しかもその引き出しの中身が増えていかないことになります。これは中長期的に見て好ましい状況ではないでしょう。

そう考えると、「大きな仕事」以外の仕事も必要になってくることがわかります。むしろ、「大きな仕事」をしていくために、それ以外の仕事が必要と言えるかもしれません。

■村上春樹の「実験」

作家の村上春樹さんは精力的に執筆を続けておられますが、そこにはリズムがあるようです。川上未映子さんとの対談本である『みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子 訊く/村上春樹 語る―』でも語られていますが、短めの長編と長めの長編では「役割」が違うというのです。

たとえば、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『スプートニクの恋人』『アフターダーク』などの作品は短めの長編に分類されますが、これらの作品では「実験」が行われています。つまり、これまで自分の引き出しになかったスタイルを使って作品を書き上げている、ということです。

そういう「実験」をやった後で、より本格的な長編に取り組むことで、文体的変化を経た新しい作品が生み出される、という格好です。

私も本を新しく書くたびに何か新しいことにチャレンジしよう、という気持ちを持っていますが(そして実際にそうしていますが)、そこには上記のような「リズム」の感覚はありませんでした。もっと均一的な感覚だったと思います。

しかし、ランニングにおいてより長い距離を走ろうと思ったら、より入念な準備が必要なように、より「大きな仕事」に取り組もうとするならば、その準備のための「実験」もよりたくさん必要になるのでしょう。

■実験のための場所はあるか

そう考えると、「大きな仕事」をしようと思って、「大きな仕事」に集中するために、「大きな仕事」しかしない、という態度は危ういのかもしれません。

最終的な目標を「大きな仕事」をすることに定めるとして、しかしだからこそ、他の仕事を行って、そこでしっかりと準備を整える(あるいは筋力を鍛える)ことが必要になる。そういうことが言えそうです。

昔を振り返ってみると、毎日のようにブログを更新し、そこで自由に文章を書いていた経験がありました。そこで数々の「実験」が行われていたことは疑いようがありません。

その点、最近の私はあまりブログなどの更新を行っていません。実験のための場所(砂場と言ってもよいでしょう)がほとんどない状況です。

ちょうど今進めている企画案で、「文体的困難」にぶつかっているのですが、まさにそれは実験不足がもたらした結果なのでしょう。これまでに一度も書いたことのない文体で、いきなり「本番」にぶつかっているのですから、うまくいかなくても当然です。

だとすれば、今の自分ができることは、そうした新しい文体でどんなことが書けるのかを一度別の場所で「実験」してみることなのかもしれません。

■さいごに

上記のようなアンビバレントな状態はよくあることです。

たくさん仕事をしたければ、しっかり休むことが必要だったり、効率的に進めるには、一度全体を俯瞰して要素を組み換えるなどの「非生産的」な作業をする必要があったりなど、まっすぐに考えるのではなく、少しのひねり(あるいは遊び)を入れていった方がよいわけです。少しの「不真面目さ」を持ち込む、という言い方もできるでしょう。

なんであれ、対象に躍起になればなるほど、そうしたひねりや遊びや不真面目さは失われていきます。一歩引いた視点で、ゆっくり落ち着いて、ときには視点を変えて考えてみることが大切になります。

○「ノウハウ書の書き方」

うちあわせCastでノウハウ本の書き方をテーマにお話しました。

◇第九十六回:Tak.さんとノウハウ本の書き方について | 知的生産の技術

しかしながら、「これがノウハウ書の書き方のベストテクニックだ」みたいな話は出てきませんでした。二人ともそんなものを持ち合わせていないのだから当然です。

とは言え、二つの大きなコンセプトは掘り下げられました。以下の二つです。

・リアルであること
・そもそも論から入ること

どちらも大切な話だと思います。

■リアルであること

まず、「リアル」であること。これは「ファンタジー」ではないこと、あるいはモデル化されすぎていないことを意味します。

ファンタジーではない、とは「こうであったらいいな」をあたかも「そうである」かのように書くことはしない、ということです。たとえば、アナログのノート帳を一冊書き終わったら、「必ず」そのノートのインデックスを作ることができたら素晴らしいですが、著者自身がそれを100%達成できていないにもかかわらず、「そうしましょう」と述べるのがファンタジーです。

もしそれをリアルに書くならば、「一冊終わるたびにインデックスを作るのが望ましいが、できていないこともある」と明言することになります。

その二つを比較するとわかりますが、ファンタジーの方がいかにも格好良いですし、説得力もあります。しかし、それは現実ではありません。単なる理想の提示です。しかし、理想であるとは示されず、あたかも現実であるかのように書かれてしまっています。その理想と現実のギャップが、ノウハウ実践者を苦しめるのです。

つまり、リアルであることは、「ノウハウを実践することの難しさ」を隠ぺいしない、ということでもあります。大切なことです。

■モデル化しすぎない

もう一つ、リアルであることは、属人性を隠さないことも意味します。

まず、自分がやってうまくいっている方法を、そのまま──つまり何の考察も経ないまま──一般的な方法として提示することはしない、というのが一つで、もう一つは、自分が確立したノウハウの中で、「いかにも属人性がある部分」だけを取り除いて、それを一般的な方法として提示することです。

この二つは、基本的にノウハウを貧弱にします。ハリボテ化すると言ってもよいでしょう。

まず前者ですが、ある方法がうまくいっているとして、「なぜうまくいっているのか」の論理的考察が欠けていると、それ以上話が進みません。もし他の人が真似して同じようにうまくいったらそれでいいのですが、うまくいかない場合は、どこに問題があったのかの探求ができないのです。うまくいく人はうまくいくし、そうでない人はうまくいかない、以上。これでは行き止まりです。

あるノウハウが、なぜ機能するのかの論理的考察があれば、その考察を起点にしてそれぞれの読者がノウハウについて考えられるようになります。ノウハウの応用や発展も可能になるでしょう。

『「超」整理法』や『知的生産の技術』が素晴らしいのは、そうした考察がきちんと為されている点です。そうした考察さえあれば、たとえ紹介されているノウハウがまったく自分において使えなくても、得られるものはずいぶん多くなります。

■個人と共にあるノウハウ

続いて後者ですが、こちらはいかにも「良いこと」をしているように思えます。属人的な部分を取り除くことで、「一般化」できている気がします。しかし、本当にそうでしょうか。

たとえば、私はフリーランスの物書きで、依頼された単発の記事を書くような仕事はほとんどせず、自分で運営するメルマガと出版社さんと共同で進めていく書籍原稿が主な仕事です。私の「ノウハウ」は、そうした環境の上に構築されています。その環境が前提なのです。

そのような前提をまるっと取り去ったらどうなるでしょうか。結果は二通り考えられます。

一つは、前提を抜いただけでノウハウを伝えた場合、情報がねじ曲がって伝わることです。私の環境において機能していることが、あたかもすべての物書きに通用するかのように伝わってしまうのです。これは良くないでしょう。

もう一つの結果は、私の環境に依存する部分を取り除くことで、ノウハウが非常に部分的にしか伝えられなくなってしまうことです。誰にでも言えることを言おうとすると、ほとんど何も言えなくなってしまうのです。

その上に、です。

そもそも私がやっていることで、私の環境にまったく依存しないものを適切に切り分けられるのかも不明瞭です。何が依存的で、何が独立的なのかは、比較対照実験でもしないと見えてこないはずですが、そんな実験は不可能です。つまり、そもそもが不完全なアプローチなのです。

であれば、「自分はこういう環境にあり、こういう目的を持って仕事をしている。その際に、こういうことをやりたいのだが、なかなかうまくいかない。そんな場合に、このノウハウを用いることで、状況が改善できる。ただし、難しい部分もある」と率直に伝えた方が、読者がその内容を吟味し、「これは自分に使える、これは自分には使えない」と腑分けできるようになるでしょう。

それがリアルに伝えることの意義です。

(下につづく)

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