Scrapbox知的生産術03 /マンダラートについて / 自分が自分の先生になる
「はじめに」
ポッドキャスト、配信されております。
◇BC037『現代思想入門』 | by 倉下忠憲@rashita2 -| ブックカタリスト
今回は、話題の『現代思想入門』をテーマにして、二人でわいわいと盛り上がりました。この本に興味があったり、すでに読んでいたりしたらぜひお聴きください。
〜〜〜アウトライナーライフ〜〜〜
Tak.さんがnoteで定期購読マガジンをスタートされました。
◇「アウトライナーライフ」始めます|Tak. (Word Piece)|note
おそらく日本で「アウトライナー」をテーマにした配信型コンテンツが読めるのはこのマガジンだけでしょう。月額は500円。
興味ある方は要チェックです。
〜〜〜Textboxの改造でわかったこと〜〜〜
突然の思いつきがあって、Textboxの改造を進めています。
*Textboxについては、以下などに書いています。
◇Textboxについての記事群 - 倉下忠憲の発想工房
改造の内容は改めて書いてみますが、それと並行して上部ボタンの削減を進めました。作り始めたときは五、六個だったボタンが、3列にまたがって、二十個以上も並んでいたのです。
とは言え、少しずつ増やしていったのでそこまで多くなっているとは自分では感じませんでした。むしろそれが「普通」だと思っていたくらいです。増加する体重と同じメカニズムですね。
しかし、改めて削減を進めてみると、「別に、ボタンとして設置しておく必要はないな」と思うものがいくつも見つかりました。
たとえば「search」という自分のTwitterのタイムラインを検索するためのページを表示させるボタンがあります。これは毎週一回土曜日に必ず使うので、ボタンとしておいておくと「便利」ではあります。
しかし、逆に言えば週に一回しか使いません。一年で52回。その頻度のものを上部ボタンに置いておくことにどれだけの費用対効果があるでしょうか。
実際そのボタンを取り去ってみましたが、まったくぜんぜん不便ではありません。Textboxでは複数のアクセスルートがあるので固定表示されていなくても問題ないのです。
つまり、そのボタンは「あったら便利だけども、なくてもぜんぜん不便ではない」という性質の存在だったわけです。で、この性質の前半だけを見れば「あったら便利なのだから、置いておこう」という発想になります。それが問題なわけです。
結果として、「あったら便利だけども、なくてもぜんぜん不便ではない」ものがあふれ返って、全体の利便性を落としてしまう状態になってしまいます。
これは、「動くのが面倒なので、ちょっとでも使うものはすべてコタツの周りに置いておこう」という発想で、どんどん部屋が散らかっていくのとまったく同じ構図だと思います。当人は散らかしているつもりなどまったくないのです。「そうしておいたら、便利だから」という発想なのです。
こういう状況は、よくよく注意していないと発生しがちなのでしょう。目先の便利さから少し離れ、大局的に全体をチェックする視点が必要となります。
〜〜〜読了本〜〜〜
以下の本を読了しました。
『センスハック:生産性をあげる究極の多感覚メソッド』(チャールズ・スペンス)
タイトルからするとノウハウ本のような雰囲気を感じますが、そこまでパリっと「こうすべし!」が明言された本ではありません。科学的にはこういうことが言えるけども、それ以上はちょっとわからないね、という距離感をキープした内容になっています。
で、肝心な点をスババっとまとめると、
・私たちの五感は行動や判断に影響を与える
・私たちの五感は相互作用的である
・現代社会では視覚が最重要視され、せいぜい聴覚が少し付与されるだけで五感全体がうまく使われていない
となります。
よって、いかにその五感を(良い方向に)使っていくのかが現代的な「センスハック」になるというお話です。
〜〜〜Q〜〜〜
さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。
Q. 身の回りに「あったら便利だけども、なくてもぜんぜん不便ではない」はどれくらいあるでしょうか。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、「Scrapbox知的生産術」(仮)の第三回と、二つの原稿をお送りします。
「Scrapbox知的生産術03」
メメックスとは何だろうか。原典(原点)は、ヴァネヴァー・ブッシュが1945年に発表した「As We May Think」なのだが、私はその論文を引用した『ライフログのススメ』(ゴードン・ベルとジム・ゲメル)ではじめてその概念と出会った。
メメックス(Memex)は、仮想的な機械の名前で、そこにはひとりの知識労働者が必要とする情報がすべて収められており、しかもツリー構造を辿るのではなく、関連性によって瞬時に情報を引き出せる機能が備わっている。
データベースでもないし、まっすぐに進むテキストでもない。「つながり」による情報の綱渡りが可能な装置。
この概念が、後年のハイパーテキストのベースになったと言われている。若い人はわからないかもしれないが、ハイパーテキストはハイパーリンクを使った「ジャンプ」が可能な文章のことである。今では、もはや当たり前になってしまい「ハイパー」という形容詞は消えてしまって、ごく普通に「リンク」と呼ばれているあの機能だ。
『ライフログのススメ』では、このメメックスという概念をさらに敷延し、自分の人生に関わるあらゆるデータを集める装置(あるいはそれを表す概念)としてメメックスをシンボリックに援用している。
『知的生産の技術』の梅棹忠夫も、知的生産に関わる着想に限らず、日記や住所録など日常に関する情報についても、カードを使って保存している旨を書いていた。自分専用のパーソナルなライブラリというわけだ。
『ライフログのススメ』で示されたこの「メメックス」を拡張した概念は、まさに梅棹的なカードの使い方であり、Evernoteが当初からキャッチコピーにしていた「Remeber Everything」とも見事に呼応している。
結局、『知的生産の技術』、Evernote、『ライフログのススメ』の三者に影響を受けた私の胸には、一つの壮大な計画が生まれた。
Evernoteをメメックスにし、梅棹が作ったような情報カードによるパーソナルライブラリを作り上げるのだ!
今から考えると、相当に無謀な計画であり、はかない計画でもあった。細部の理解が甘いままに、大風呂敷を広げた格好である。
しかし、その時点の私はそんな甘さなどまったく気がついていなかった。初恋のまっただ中の少年のように、バラ色の未来を夢見ていたのである。
■Evernote一元化計画とその果て
私がやろうとしていた計画は、一言でまとめられる。
「自分の情報は、とにかくなんでもEvernoteに集めること」
非常にわかりやすい。そして、それを可能にしてくれる機能がEvernoteにはあった。Evernoteの本体自身がWebからの情報を集めるのに適していたし、特定のフォルダのファイルを取り込んでくれる機能もあった。これでパソコンはぱっちりだ。iPhoneにはさまざまな情報のフォーマットで記録できるサードパーティーのアプリがわんさかあったし、IFTTTを組み合わせることで、他のツールで記録した「ライフログ」をEvernoteに転送することもできた。
完璧だ。
考えうる限りの手段を使い、私はEvernoteに情報を集約していった。クラウド時代の、新しいメメックス。それが実現されようとしていた。
結果、どうなっただろうか。10年ほどの使用で、私のEvernoteには7万を越えるノートが集まった。情報量でいえばたいしたものである。
では、私が夢見ていたデジタルカード・システムは、実現したのだろうか。そして、そのシステムは私の知的生産を活性化してくれたのだろうか。
否。断じて否だ。
たしかに情報は集まった。それが便利に使えることも少なからずあった。保存しておいた資料が役立ったり、去年のプロジェクトの情報が活用できたり、大量の名刺をスキャンして集めておくことでキーワード検索で目的の情報を見つけ出せたりはした。これは間違いなく、デジタルで情報を保存しておくことの有用性であろう。
一方で、知的生産ではどうだったか。
5000を越える「アイデアノート」は、ほとんど使われることのないまま保存されていた。アナログのツールなら「ほこりを被っている」という表現が使われてもおかしくない。
アイデアは保存はされている。しかも、一つの箱に配列されている。検索すれば目的のものは見つかる。でも、それだけ。それだけなのだ。
梅棹が語り、私がイメージしていたような情報との触れあい方はそこにはなかった。そして、後から気がついたことだが、本家であるヴァネヴァー・ブッシュが提示していたメメックスの利用スタイルも実現できていなかった。
ぜんぜん的外れな方向に向かってしまった船のような結末だけが私の手元に残った。
Evernoteは、イメージとして「象」のアイコンを用いている。「象は忘れない」(An elephant never forgets.)という格言が元になっているらしい。ちなみに、アガサ・クリスティの作品にも同名の作品がある。非常に記憶力のよい動物なのであろう。
しかしながら、私のアイデアノートはまるっきり「死蔵/象」されてしまっていた。悲しい限りだ。
■うまくいかないことだらけ
Evernoteに死蔵されてしまった「アイデアノート」たちをなんとか活用しようと試みた。あるいは、そうしなけばいけない、という焦りにも似た気持ちがあった。なにせ、こんなに時間をかけて、こんなにたくさんの情報を蓄えてきたのだ。それを有効活用しないなんて損だろう。
こういう精神状態は「サンクコストの呪縛」と呼ばれていて、超音速旅客機コンコルドが赤字を垂れ流していた事例で有名である。蓄積したもの、あるいはそれを続けてきた事実があるがゆえに、方向性を変えることができなくなっているのだ。
よって私はEvernote以降に出てきたツールにおいても、「同じこと」をしようと頑張った。今から考えれば、「頑張っている」時点ですでに破綻がうかがえるわけだが、そのときの私はまったく気がついていなかった。
さまざまなノートツール、個人wikiツール、アウトライナー、エトセトラ、エトセトラ。
目についたものは一通り試してみた。こうしたものは、基本的な機能は無料で使えることが多いので、お試しは簡単だった。しかし、結果は二通りしかなかった。
入力が続かないか、あふれ返るか。
この二つだ。
まず、そもそもとして使い続けるのが難しい。なかなか良さそうだなと使い始めても、一週間くらいすると入力が少なくなり、二週間もすれば起動することもなくなる。情報の蓄積としては致命的な状態だ。
一方で、長く使い続けられるものもあったが、結局そこでもEvernoteと同じように情報を溜めるだけになってしまった。項目を自由に動かせるWorkFlowyというツールでは、画面を10スクロール以上の「アイデア」を書き留めたが、だからといって知的生産に役立ったという感覚はなかった。むしろ、あまりにも膨大な量のアイデアが目に入ってきて、「うげげ」という気持ちすら湧いてしまった。本末転倒である。
一体何が悪いのか、私にはぜんぜんわからなかった。原因が特定できないのだから、改善の手を打つこともできない。まさしく行き止まりである。
そうした状況を変えてくれたのが、Scrapboxであった。
■ツールとその使い方
ここからそのScrapboxについて書いていくのだが、先回りして言っておきたいことがある。それは「別のツールでも構わない」ということだ。
私はScrapboxを使っているし、「アイデア」の扱いにおいてScrapboxが非常に優れたツールであることも間違いない。しかし、Scrapboxでなければならない、というほど強固なものではない。
いくつかのポイントを踏まえれば、他のツールでもまったく問題なく運用できるだろう。本書ではそうしたポイントをこれから確認していく。
逆に言えば、そうしたポイントを踏まえないと、Scrapboxや他のツールに乗り換えてもそれだけではうまくいかない、ということだ。
こういう話は、半分はツールの問題で、もう半分はそのツールを使う側の問題である。どちらか一方だけが原因ということはなく、ツールとその使い方がセットになって一つの状況を生み出している。
だから状況を変えたければ両方を変えた方がいい。そして、本書が目指すのは「使い方」や「考え方」を変えることである。
おそらく今現在の私が、10年前に使ってきたツールを使うことになっても(使わざるを得ない状況になっても)、それなりにうまく付き合っていけるだろう。面倒は多いだろうが、それでもアイデアノートをため込みっぱなしで、それを使わないと損してしまう、という焦った精神状態には追いやられないと思う。
大切なのは、そうした精神性であろう。そこに至るためにも、まずはポイントを押さえておくことが肝要である。
(つづく)
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