ビジョン・リテイク / 雑多なデジタルを取り戻す / 「ファスト教養」にいかに抗うのか その2
はじめに
ニュースレターサービスであるSubstackが新しい機能をリリースしました。チャット機能です。
◇Introducing Substack Chat - On Substack
現状はSubstackのiOSアプリだけで使える機能で、その中身は何の変哲もないチャットです。
もともとSubstackには「Thread」を作れる機能があり、それが掲示板代わりに使われていました。今回のチャット機能はその部分を独立して「あたかもチャットであるかのように」使えるものとしてリリースしたという感じでしょう。
Substackというサービスは、ニュースレター配信を一つの鍵としたコミュニティー育成を目的としていることもあり、このチャット機能はその方向性に合致しているとは言えます。
とは言え、このタイミングで──特に目新しくはない──新機能をリリースしてくるのは、不穏な空気が流れつつあるTwitterの状況を考慮してなのでしょう。
今現在Twitterを使っている人は、Facebookがあまり気に入らないからそうしている可能性は高く、そうなるとTwitterからの逃避先はマストドンなどになりそうですが、それとは別の選択肢を示し、ついでにニュースレターサービスのシェアを獲得しよう、という意図が感じられます(悪いことではありません)。
Twitterが提供しているRevueというニュースレターサービスもどうやら閉鎖される方向で検討されているらしく、今後ますますSubstackの存在感が高まってくることでしょう。
〜〜〜Re-by-b月間、再び〜〜〜
9月、10月と本を買いすぎてしまったので、11月は再びRe-by-b月間とする予定です。
「Read the book you bought」の略でRe-by-b。リバイブと読んでください。
新しい本を買うのを、なるべく > できるだけ > 可能であれば控えて、すでに買ってある本をどんどん読んでいこう、という月間です。
もちろん一ヶ月本を買い控えたところで、積ん読マウンテン(というかもはやチョモランマという感じですが)を崩すことはできません。しかし、すべて崩せないならやる価値はない、と考えるのは早計でしょう。
一ヶ月だけでも「歩く速度を遅くする」価値はあると思います。実際、前回やったときも、なかなか満足度の高い一ヶ月となりました。
とは言え、まったく本を買わないというのも現実的ではないので、「どうしても」という本だけは自分に許可しようと思います。
・『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である 増補新版 (ちくま文庫, よ-31-2)』
・『「社会正義」はいつも正しい: 人種、ジェンダー、アイデンティティにまつわる捏造のすべて』
・『香山哲のプロジェクト発酵記』
あたりがその候補です。
〜〜〜アウトライナー機能の実装〜〜〜
今、Textboxの一部のページにアウトライナーの機能を実装しています。行に対して、何かしら操作する機能です。
たとえば、その行のインデントを一段深くする/浅くする、下位項目を閉じる/開く、一つ上/下の行に移動する、といったもの。ごくごく基本的な機能です。
そうした機能の一つに「エンターキーで新規項目を作る」があります。だいたいどんなアウトライナーでも標準で備えている機能でしょう。
実際、何も機能を付与しなくても、HTMLのUL/LI要素を編集可能にして(contenteditable = "true")、そこで改行すれば、新規要素が勝手に作成されます。非常に便利です。
ただし、その標準状態では「今カーソルがある要素のコピーを兄弟項目として下に作る」ことしかできません。たいていの場合、これで問題ないのですが、たとえばその要素が赤字になっていたら、コピーされる要素も赤字になります。これはあまり嬉しくありません。
また、今いる行が子要素を持っているとややこしいことになります。新しい兄弟項目が作られて、作られたその項目が子要素をすべて持っていくのです。これは望ましい状態ではありません。
そこで結局エンターキーでの新規項目作成も自分で作ることになるのですが、実際に作ってみると既存のツールがうまく作られていることに気がつきます。
ある項目に子要素があり、その子要素が開かれているときは、エンターキーを押すと「直下の子要素」として新規項目を作ります。リストの先頭項目が増える、ということです。
一方で、その子要素が閉じらているときは、自身の子要素ではなく兄弟項目が作成されます。新しいリストが増える、ということです。
実際操作してみると、上記の動作は非常に納得感があります。つまり、下位項目が開いているときに改行キーを押すのは、「(新しいリストではなく)新規の項目を作りたい」心境のときが多いのです。
このような──下位項目の開閉状態によって改行キーでの動作を変えるなどの──話は、実に地味な機能です。しかし、そうした機能たちがツールの「使い心地」を支えているのだなと実感しております。
〜〜〜カードをくる〜〜〜
あるとき、以下のようなメモ(カード)を作りました。
このカードを、「それっぽいボックス」に収納しようとして、もともと入っていたカードが目に留まりました。
この二つのカードは関係していそうです。あるいは、この二つのカードから何か別のことが言えそうです。
これが梅棹忠夫が述べていた「カードをくる」ことの効用なのだと思います。
別々のタイミングに作成したカードたちから、新しい着想を得ること。自分の小さい発見と自分の小さい発見とを組み合わせて、新しい別の小さい発見をすること。
カードをつくる生活とは、そういうことの積み重ねなのでしょう。
〜〜〜Q〜〜〜
さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。
Q. 積ん読の処理はどのようになさっていますか。そもそも積ん読はありますか。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は倉下の仕事術としてビジョン・リテイクのお話と、加えて二つのエッセイをお送りします。
ビジョン・リテイク
今回は「ビジョン」について考えます。ビジョンとは何か。それをどう取り扱うのか。そういったお話です。
■ビジョンとは
まず、「ビジョン」ですが、英語のvisionは、「見通し、展望、構想、素晴らしい光景」といった意味があります。合わせて、「空想、幻」という意味もあります。
実体のある何かを指すのではなく、空想的なイメージであり、しかもポジティブなものがこの言葉の含意でしょう。
ビジネス分野では「ビジョナリー」という言葉もあります。「先見の明のある人。特に、事業の将来を見通した展望を持っている人」の意味合いで、さらに言えば「他の人には見通せないものを見通せている人」という含意もありそうです。
ジム・コリンズによる『ビジョナリー・カンパニー』シリーズでは、大きく成長した企業を「ビジョナリー・カンパニー」と呼び、そこにどんな共通点があったのかを研究しており、この本が大きくヒットしたことからも、ビジネス界の関心が高いことがわかります。
当然その関心はトップダウンでビジネスパーソンにも流れ込み、「ビジョンを持つべし」といった提言が為されることは少なくありません。
しかしながら、『ビジョナリー・カンパニー』シリーズは読み物としては面白いものの、それをそのまま現実の会社の改革案として利用してもうまくいかないでしょう。一つには、「たまたまその時期まではうまくいっていただけ」という帰納的な制約がいつでも付きまとうことですが、それ以上に逆向きの応用がほとんど意味がない点があります。
ある企業がビジョンを持っていて、それに応じた施策を取って、成功した。
これはわかりやすい話です。一方で、今ビジョンを持っておらず、低迷している企業にビジョンを「持たせた」からといってうまくいくでしょうか。
前者ははじめからそれがあり、いわば「天然物」です。一方で後者は後づけで作られたものであり「養殖物」というよりはいっそ「人工物」と呼んだ方がよいでしょう。
そんな人工的な「ビジョン」が、はたしてうまく機能するのでしょうか。
そもそも天然物ものビジョンはそれを抱く人がいて、それが会社全体へと広がったことで「会社のビジョン」として定着したのでしょう。それ自身が有機的な構成物となったわけです。
一方で、後付けのビジョンは基本的にただの看板でしかありません。社員がいくらそれを暗唱しようとも、マインドセットに染みついていないなら、望む結果は得られないでしょう。
それこそ「このビジョンに共感し、それに沿った行動をできない社員はみな解雇する」くらいの荒療治をしない限りは、ビジョンの設置は効果をあげないでしょう。
■個人のビジョン
それと同じことは、個人のビジョンについても言えます。
成功者は皆ビジョンを持っている。だから、私もビジョンを持てば成功者になれる、という図式はだいぶ歪んでいます。そもそも前提が違うのですから、同じようにはいかないでしょう。どうしても同じルートを辿りたければ「誰からも促されることなく、ビジョンを抱くような人間になる」くらいの荒療治が必要です。
その荒療治の痛みを引き受けられるくらいに成功したいのであれば、たしかに「ビジョン」は役立つでしょうが、それはビジョンが役立ったのではなく、自分の価値観をまるっと変えてしまったことが役立っているだけです。
だから、安直な「ビジョンを持て」というアドバイスはほとんど効果がありません。言い換えれば、ビジョンを持っただけで何かが簡単に良くなることはないのです。
■ビジョンの価値
だったらビジョンを持つことは無意味なのかというと、そういうわけでもありません。ビジョンなんて思いつきもしない人間に、形だけビジョンを持たせても意味がない、というだけの話です。
よい仕事をしたい、少しでもよい状態に向かいたい、といった「欲望」を持たない人にお仕着せのビジョンを与えても、何も変わらないでしょう。むしろ苦しみが増えるだけかもしれません。そういう押し付けのアドバイスは無視してOKです。
一方で、それが何かはよくわかっていないけれども、進みたい、あるいは変化したいという気持ちがあるならば話は変わってきます。言い換えれば、自分では明確に意識できていない「欲望」が心に潜んでいるときです。
そうしたときは、「ビジョン」作りはたしかに役に立ちます。自分の中のもやもやしたものに輪郭線を与えられるようになるからです。「ああ、なるほど、自分はこういうことを欲していたんだ」と自分の理解が進みます。セルフ・スタディーズの一環です。
そうした理解が、次に選択する何かに影響を与えることは十分あるでしょう。似た選択肢に直面したときに、それらを(ある程度は)自信を持って選べる指針にもなってくれるはずです。
■ビジョンの曖昧さ
ところがです。
思い出して欲しいのは、それが心の中にあったモヤモヤであったことです。そのモヤモヤを「ビジョン」という形で書き出す行為は、必ずうまくいくとは限りません。
ごく普通に文章を書く場合でもそうでしょう。自分の考えを文章にしてみたけどもどうもしっくりこない。読み返してみたら、何か違う気がする。
そんなことは日常茶飯事です。ビジョンを書き出す場合も同じことが起こります。書き出したビジョンは、自分のモヤモヤした思いを適切に表せているとは限らないのです。
だからこそ、こうしたビジョンは「推敲される」必要があります。書いたものを読み返し、より適切な形へと書き換えるのです。
■時間がかかる
書き直しのタイミングは、書き終えた直後に限りません。一週間後、一ヶ月後、一年後と、定期的にやってきます。
なぜならば、自分のモヤモヤを捉まえる言葉をその時点の自分が持っていない可能性があるからです。時間が経ち、経験を積むことで、はじめて適切な言葉が見つかることがあります。こればかりは、どうあがいても効率化できないでしょう。むしろ、内面を見つめるための時間がどうしても必要となります。
もう一つポイントを挙げるとすると、自分のモヤモヤしたものの形が変わる点があります。簡単に言えば、自分の欲望が変化するのです。
たとえば、若い頃は私は「自分らしい文章を書きたい」という欲望を持っていました。独自性やオリジナリティにこだわっていたのです。
一方で、今の私は「自分らしい文章を書きたい」という欲望はほとんどありません。むしろいかに機能する本を書くのか、ということに欲望の対象が向いています。時間と共に、欲望の形が変わったわけです。
ただしこれは単純な変化ではありません。面白いことに「いかに機能する本を書くのか」を考えると、結果的に「自分らしい文章」ができ上がるのです。そのことを経験的に知ったので、私の欲望の矛先が変わったのでしょう。世界についての理解が変わったから、欲望も変化した。そんな風に言えるかもしれません。
そうした変化は、ごく普通に、誰にでも起こるでしょう。生まれた瞬間にこの世界のすべてを知っている人間もいないですし、そもそもどれだけ生きたところでこの世界のすべてを知れる人間もいません。
私たちは常に不理解・不完全な世界の中で生きています。言い換えれば、その理解はいつでも変化する可能性に満ちているのです。
よってビジョンもまたいつでも変化しえます。それほど頻繁ではないにせよ、自分の欲望がその姿を変えるタイミングがやってくるのです。
だからこそ、ビジョンを推敲(あるいは再考)することは大切です。必要とあれば、一から書き直すことを厭わない姿勢が求められます。
■さいごに
何かを「書き表す」行為は、その対象を固定化します。固定化するからこそ、書き物には独自の価値が宿ります。しかし、それは変化の拒絶でもあります。そうであるがゆえに、書いたものを書き直すのです。
ここでは相反する二つの原理が働いています。何かを固めることと、何かを変化させること。この二つをうまく使うことが、ビジョンと付きあう上では大切でしょう。
でもってそれは、「自分」とうまく付きあう、という話にもつながってきます。
(次回はデイリーインボックスについて)
ここから先は
¥ 180
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?