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第九回:リストを動かし続ける

デイリータスクリストに、「その日やること」をリストアップし終えたら、あとはそのリストを使いながら作業に取り掛かるだけですが、その前に少しだけやっておきたいことがあります。

それは、リストの項目をできるだけ「実行する順番に沿うように並べ替える」ことです。一番最初に実行するものをトップに、その次に実行するものを二番目に、といった具合に配置していくのです。

この作業は、デジタルツールなら簡単に行えます。コピペ、ドラッグ&ドロップ、ショートカットキーなどが移動をサポートしてくれます。一方、アナログツールは、少々手間がかかります。消しゴムを使うか、あるいは一度項目をリストアップした後、順番を考えながらもう一度書き直すことが必要です。その手間が気になるなら、付箋などのツールを使うのも一手でしょう。

どちらにせよ、「その日やること」を、実行するであろう順番に並べていく作業は、「リストを作る」の最後の作業だとも言えますし、「リストを使う」の最初の作業だとも言えます。むしろ、その二つの境界線に位置するのが「(リスト)項目の移動」です。

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なぜ、項目の移動が、「リストを使う」ことに相当するのかと言えば、実際に作業をスタートしたら、頻繁に項目の移動が発生するからです。

・作業を実行する→別の作業の必要性が明らかになる
・作業が思っていたよりも時間がかかった→別の作業への割り当て時間を減らす
・緊急度の高い作業が割り当てられる→「今日やること」だと思っていたことを別の日に回す

実行を一つ行うたびに、新しいことがわかり、状況も変化します。「現実」に関する情報があらわになるのです。RPGで言えば、真っ暗なダンジョンでたいまつを持って一歩前に進むことに相当するでしょう。一歩進むたびに、これまで見えていなかったものが見えてくるようになるのです。

その新しい「現実」に合わせて、リストは組み換えられていきます。リストをわざわざ作るのは、この組み換えを脳内だけで行わないようにするためです。情報が欠損し、感情によって揺れ動く脳内では、「やること」の管理は適切には行えませんし、行おうとすれば大量の集中力を必要とするでしょう。

もう一度言います。

リストは、組み換えるために作るのです。

デイリータスクリストは、何も考えずに、ただ上から項目をこなしていくためのツールではありません。とても平和な一日はそのように進むでしょうが、よほど注意して周囲の環境をデザインしない限り、そのような一日はSSRくらいのレアリティにすぎません。たいていの日は、自分で作ったリストを、自分で組み換えていくことになります。

だからこそ項目の移動が、「リストを使うこと」に相当するのです。

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では、リストの項目を移動するときには何が行われているでしょうか。そこでは、一日のイメージ、トレース、シミュレーションが働いています。

そのことは、一日の一番最後の「やること」について考えてみるとわかりやすいでしょう。残り15分。その時間でやれることは二つ。やることAは、明日の午前中に提出が必要で、やることBは、明日の夕方までに提出すればいいし、最悪同僚に手伝ってもらうことができる。だったら、やることAだ。

デイリータスクリストの一番最後にどのタスクを置くのか(どのタスクを最後のタスクとして実行するか)を判断するとき、このようなトレース(あるいはシミュレーション)が走っています。逆に、単に目についた作業から取り掛かっているだけだと、このようなトレースはまったく走っていません。

別の言い方をすれば、デイリータスクリストは、上記のような思考(トレース、シミュレーション)を助けるためのツールです。

そしてこの思考は、デイリータスクリストの最後から二番目、三番目、四番目……と走っており、最終的にはその日の一番最初のタスクリストの順番を並び替えるところに行き着きます。つまり、その日の「やること」を順番通りに並べることは、その日をトレースすることなのです。

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リストは現実を支配するための道具ではありません。

どういうことかと言えば、一番最初に「理想的な」リストを作って、それをそのまま現実化させるためのツールではない、ということです。むしろ、そのような硬直的「理想」とは、また違った「理想」を立ち上げるためのツールです。

人間が行動すると、プラトン的なイデア(→第一の理想)は解体されます。イデアが相対化され、脱構築が始まります。「かるあるべし」という理想は崩れ、「こんな一日であったらいいな」という新たな理想(→第二の理想)が立ち上がります。

しかし、そうした理想もまた、現実の出来事によって脱構築され続けていきます。そして、最後に残されるのは、もはや動かしようがない(「こうなるしかなかった」)という結果としての「現実」です。

その現実は、第一の理想とはかけ離れた姿をしているのかもしれません。しかし、折々に現れる第二の理想と向き合ってさえ入れば、そこにはあまたの理想が畳み込まれています。その間、その間において、「今はこれをするのだ」という判断を下している限り、あなたはその現実に確実にコミットしています。十全な満足はできないかもしれませんが、十分な納得は得られるでしょう。
*もし、十分な納得すらも得られないならば、それはデイリータスクリストではなく、それよりも上の階層が問題を抱えています。

ともかく、リストを動かすことです。一日の最初に、そしてリストを使っている間もリストを止めないことです。そこにある現実にうまく対応してくために。

(つづく)

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