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「Muteの魔法 第三章」

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2021/04/26 第550号

○「はじめに」

ポッドキャスト配信されております。

BC010アフタートーク 贈与を受け取ってしまったら語りたくなる - ブックカタリスト

音声029:倉下忠憲さんと「有限性の活かし方」について対談(前編) - シゴタノ!記録部

第六十七回:Tak.さんと「こう書けばいい」と「実際に書く」ことの違いについて by うちあわせCast | A podcast on Anchor

それにしても、いろいろな番組をやっていますが、どれもテイストが異なるのが面白いですね。自分の頭がいい感じにストレッチされているのを感じます。

〜〜〜タイトル案作り〜〜〜

先週、一週間かけて本のタイトルを考えていました。今書いている本のタイトルです。それなりに執筆業を続けていますが、ここまでじっくりタイトル案に取り組んだのは初めてかもしれません。

商業出版では出版社さんにおまかせする形が多く、セルフパブリッシングではいつも出版ギリギリにタイトルを決めるので、じっくり時間をかけて考えることをしてこなかったのです。

もちろん、時間をかけたからといって良いタイトルが付けられる保証はありませんが、それでも「この本は、どんな本なのだろう」とじっくり考えるのは悪いことではない感触があります。

実際、その本もまだ書き上がったわけではなく、これから全体の調整作業を進めていくわけですが、「この本は、どんな本なのだろう」と一度腰を据えて考えておくことは、調整作業にも役立ちそうです。

とりあえず、順調に行けば今年の夏頃には発売できそうです。

〜〜〜数年経たないと見えない価値〜〜〜

ごくごく単純な話ですが、数年経っても評価されるような本を書いたかどうかがわかるのは、本を書いてから数年経ってからです。それくらい時間が経たないと、自分がやった仕事の価値の全体像は見えてきません。

というか、「自分が死んだ後でも評価される本」を書いたかどうかは、自分が死んでみなければわからず、つまりは自分にはわかりません。

物事を進めていくうえでフィードバックを活用することは極めて重要ですが、世の中には決してフィードバックが得られない物事があるのだ、と考えておくことは、きっと有用なのでしょう。

〜〜〜運ありきというフレームワーク〜〜〜

私は若い頃から麻雀に明け暮れていたので、この世界の物事を判断する枠組み(思考のフレームワーク)に麻雀の影響が強くでます。

たとえば、麻雀をやったことがない人には感覚的にわかりにくいと思うのですが、基本的に麻雀は運ゲーであり、運ゲーであるからこそ、細かい気の使い方が統計的に意義を持ちます。

たとえば、形Aに比べて形Bの方が20%ほど「効率的」な場合、一度の勝負の中では、どちらを選んでも大した差はありません。効率な形を選んだ人が失敗し、非効率な形を選んだ人が成功することは珍しくないのです。

しかし、まったく同じようにその選択が続くならば、総合的な結果を残せるのはやはり良い形を選ぶ人です。

瞬間瞬間では結果を残せなくても、トータルで見たときに、ほとんど確実なまでに(統計的に有意に)結果が残ること。

運ゲーにおもえる麻雀に親しんでいると、そういう考え方が身につくようになります。

この手の話も、一度まとめて書いてみたいですね。

〜〜〜最近読んでいる本〜〜〜

今月読みはじめ、まだ読み終えていないので来月しっかり読もうと考えている三冊を紹介します。

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル)

一時期大ブームとなったサンデル教授の新刊です。たいへん興味深いテーマが論じられている様子。

『理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだ (ちくま文庫) 』(吉川浩満)

『人文的、あまりに人文的』が面白かったので、共著者のお一人の単著が文庫化されたとのことで買ってみました。冒頭からすこぶる面白いです。

『問う方法・考える方法 ――「探究型の学習」のために (ちくまプリマー新書)』(河野哲也)

高校の授業として「探究型の学習」を導入するための手引き書です。授業だけでなく、社会人がいかに「探究」を人生に取り戻すのかにおいても参考になりそうです。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、脳のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 自分の考え方に影響を与えたと思えるゲームはありますか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。四月の最終号なので、『Muteの魔法』の最終回をお送りします。

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○「Muteの魔法 第三章」

■声との距離感

現代においてMuteの考え方が重要なのは、ITをベースにした情報環境の発達によって、声との距離感が狂いはじめているからです。

私たちは、自分の内なる声に従って行動していますが、その声は外からの声に影響を受けます。その外からの声が、きわめて大きく、また偏ったものになっているようなのです。

よって、まず外からの声について検討する必要があるでしょう。

■現代的な情報とは

現代的な情報環境の特徴を二つ上げるとすれば、スマートフォンとインターネットになるでしょう。つまり、きわめて身近な端末と、世界中と瞬時につながれるネットワークの二つです。この二つが現代の情報環境を構築しています。

しかしこれは、どちらかと言えばハードウェアサイドの話です。土台、基礎、プラットフォーム。たしかにこうしたものが基礎を構築しているのは間違いありませんが、より注目したいのはその上にどのような情報が、どんな形で流れているかです。

だからこそ、この問題はややこしさを含みます。つまり、同じハードウェア基盤の上に立っていても、人によって摂取している情報の内容や形態が異なっており、統一的・共通的なことが言いにくいのです。

片方では、なんら問題ない形で情報摂取が行われていて、もう片方でひどく偏った形で情報摂取が行われているときに、「平均したら可もなく不可もなく」と結論づけてもなんら意味はありません。それらの全体に目を向けてこそ、何か意味があることが言えるようになります。

とは言え、「なんら問題ない形」で情報摂取が行われているならば、定義から言ってなんら問題はないはずです。つまり、放置していても大丈夫です。となると、考えるべきは「なんら問題ない形」ではない形での情報摂取でしょう。

そこで、その観点でもう考察を進めていきます。

■現代的な情報環境の問題

現代的な問題として、「情報が多すぎる」と指摘されることがありますが、そもそも古代においてすら一人の人間が扱える以上の情報が存在していました。そして、基本的にそれは良いことだと言えます。一人の人間で十分に扱える情報しか人類が持っていないなら、ここまでの文明が生まれることはなかったでしょう。

では、量が問題ないのならば、速度が問題なのでしょうか。その可能性は多分にあります。私たちは、手軽に入手した情報に重きを置きません。軽んじてしまうのです。

これは意識的な決定に先んじる、脳の瞬間的な判断です。つまり、無意識領域における「重みづけ」の話です。インターネットで軽々と情報が手にできるようになればなるほど、私たちはそうして手にした情報をどうでもいいものとして「スルー」するようになります。その処理自体はどうしようもありません。無意識の反応は意識にとっては不随意なものだからです。

一方で、自分で意識的にその情報に注意を向けて、スルーした脳の判断を上書きすることはできます。何が行えることがあるとしたら、きっとそうした注意の再設定だけでしょう。

話が逸れました。手軽に情報が入手できる場合、私たちはその情報を重要視しない、という話はしかし、インターネットよりも以前のテクノロジー「テレビ」によってすでに発生していた問題です。テレビはいくらでもぼけーっと視聴(情報摂取)できますが、そうして得た情報に特別な注意が向けられることはありません。

それはそれで、たしかに問題です。しかしそれはアフターインタネットの、つまり直近の情報環境の問題ではなく、もう少し前から始まっていた問題だと言えます。つまり、現代的な情報環境の一階相当の問題というわけです。

■メッセージの傾向

では、何が問題なのでしょうか。

まず考えられるのは、流通しているメッセージが持つ傾向です。Googleのおかげで、広告的ビジネスモデルの戦場と化したインターネットでは、何かしらの形でそこに流れる情報に広告性が付与されるようになっています。

さて、ここで考えたいのは「広告」とは何か、ということです。

広く告げる行為であることは漢字からも推測できますが、ビジネスの文脈で使われる広告は、「それを摂取した人の、購買判断に働きかけることを目的とした情報」であると、とりあえずは記述できるでしょう。簡単に言えば、「買いたい気持ちにさせる」情報が広告なわけです。

もしその広告の強度が弱いものであれば、「こんなすごい商品があります」という程度のメッセージに留まるでしょう。しかし、強度が強ければ? そしてその強度を抑制する仕組みがなければ?

最終的にその広告は、「その商品がなければ、私の人生には何かが足りていない」のような声を上書きしてくるものになるでしょう。それができれば、必要だと思っていない人にすらその商品を「買いたい気持ちにさせる」ことができるからです。

実際問題として、どれくらいその目標が達成できるかは別にして、それを試みようとしている広告がインターネット上にたくさん存在していることは間違いありません。しかも、ひどく偏った形で存在しています。

(下につづく)

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