セルフマネジメントツールの三要件
○「はじめに」
ポッドキャスト、配信されております。
◇第九十回:Tak.さんとタスク管理にかける手間と時間について by うちあわせCast
◇BC025 『生命はデジタルでできている』『LIFESPAN』『LIFE SCIENCE』ほか by goryugo ブックカタリスト
うちあわせCastは、前半がデジタルツールについて、後半は「最近のタスク管理」についてでした。後者の話は、きっと今後も出てくることになりそうです。
ブックカタリストは、ごりゅごさんの一年間の学びの発表がテーマでした。一年間いろいろ本を読み、最後にそれらをまとめてみる、というのはよい本の読み方だと思います。
〜〜〜フィードの処理〜〜〜
Drummerというツールに、新しい機能が追加されました。
◇Drummer内でRSS feedを取得する - Drummer
RSS feedを取得して、自分のアウトラインとして取りこめる、という機能です。話すと長くなるので割愛しますが、デイブ・ワイナーさんらしい機能だと思います。
で、ちょっとためしに自分のブクログのフィードをDrummerで取り込んでみました。
◇rashitaの本棚 (rashita) - ブクログ
うまくいけば自分の「購入本リスト」が自動的に作れるかな、との意図だったのですが、思いっきり日本語が文字化け。さすがに使えません。なんとかすれば回避する手段はあるとは思うのですが、さすがにそこまでの意欲は出てきません。
で、ふと思い出しました。以下の動画でEmacsを使い、Emacs上でRSSを読む方法があることを。
◇Org My Life 05: Org Mode/Emacs と RSS でWeb情報のインプット管理をする方法 - YouTube
DrummerもEmacsも非常に似た雰囲気を感じるのですが、要点はそこではありません。「RSSリーダーを使わなくても、RSSフィードを読むことはできる」という点が重要です。
とは言え、これもあたり前の話です。私が何らかのツールでRSSを読めているならば、同じことをプログラミングで行うことはできます。だってそのツールもプログラミングで作られているのだから。しかし、これまでの私はその二つが接続していませんでした。でも、今の私は違います。「ちょっとコードを書いて、たとえばTextboxに実装できるんじゃね?」くらいのことは思いつきます。
で、実際にやってみたところ、めちゃくちゃ簡単にフィードを読むことができました。そもそもフィードを構成するxmlは共通規格なので、それを処理するためのライブラリはいくらでも見つかっちゃうのです。
結局、30行くらいのコードで「ブクログのフィードを読み、Textboxで表示できるmdファイルとして保存する」という"ツール"ができました。でもって、それを発展させれば、RSSリーダーみたいなものも自作できるでしょう。
だんたんTextboxも、Emacsじみてきましたね。そういう宿命にあるのかもしれません
〜〜〜理解と時間〜〜〜
とても良い記事を読みました。
◇プログラミングというより物事が出来るようになる思考法|牛尾 剛|note
簡単に言えば、「理解には時間がかかり、その時間をショートカットしようとすると、いつまで経っても理解には至れない」となるでしょうか。
特に以下の部分が印象的です。
頷ける話です。首をブンブンと激しく縦に振りたくなります。
たとえばプログラミングにおいて、コードの実装をG&P(ググり&ペースト)で済ませていると、コードの仕組みの理解が進まないので、別の似たようなことをやる場合でも、結局G&Pを行うことになります。というか、それなしには何もできない状態に居続けることになります。
しかし、一度理解してしまえば、──少なくともその部分については──、二度と検索する必要はありません。また、無益な実装をするために、無益なG&Pをすることも避けられます。全体的に見れば、圧倒的な"効率化"が実現されているのです。
時間をかけて理解をすることで、時間が節約される。アンビバレントな解法です。
もちろん、この忙しい現代において全ての事柄に対してそこまで深い理解を求めるのは厳しいでしょう。しかし、それが仕事であるならば、つまり生涯にわたって長くコミットしていく対象であるならば、適切な理解を、時間をかけて求めることは時間的に十分ペイするでしょうし、記事に書かれているようにそれ以上の効能もあるのだと感じます。
〜〜〜EDLP〜〜〜
標語を思いつきました。
EDLP:Everyday Low Progress
もちろん、Everyday Low Price のもじりです。「毎日少しの進捗を」という感じでしょうか。
一見するとネガティブな標語に思えますが、実際は違います。「毎日少しであっても進捗しよう」とか「少しの進捗を毎日続けられるなら、いつかは完成するよ」くらいのニュアンスです。千里の道も一歩から、が近しいですね。
「大きな」進捗は望まないこと。しかしそれがかえって大きな進捗を生むこと。アンビバレントな解法が、ここにもあります。
〜〜〜技術指南書指南〜〜〜
「CBA」という企画を思いつきました。正確には以前思いついていた企画案のリネームとして思いつきました。
◇旧KDP祭りあらためCBAに向けて | R-style
たいした企画ではありません。年末に「今年出た、個人作成の技術書を集めようぜ」というイベントをやる、というだけの話です。基本的に個人作成の技術書は、それだけでは目立ちづらいものですし、目立とうとすると「余計な文言」が飛び交うようになるので、それとは違う選択肢を作りたくて構想しました。
で、それとは別に考えていることがもう一つあります。そういう技術書(企画ではCraft Bookと呼んでいます)を書く際の「ガイダンス」が作れないかと画策しているのです。
以前のメルマガにも書きましたが、私は知的生産の主体者に対して「こういう風に本を作るべき」などと言うべきではないと考えています。それによって、損なわれるクリエイティビティーがあったら大変だからです。
一方で、引用や参考文献の整備がマズイ本もたしかにあって、そういう本にはアドバイスができたらいいな、という思いもあります。微妙なジレンマを持っているのです。
そこでCBです。「もしCraft Bookと呼べるような本を作るならば、こういう点に注意して書きましょう」という限定的な指針の提示であれば、作り手のクリエイティビティーを包括的に損なうことは避けられるでしょう。あくまでそれは「CB」に関する指針だからです。CB以外の本であれば、作り手はその指針をまったく無視する自由がありますし、逆にCB以外の本作りでも同じような指針を使う自由もあります。
こういう塩梅であれば、自分のジレンマを巧妙にすり抜けられるのではないか。そんなことを考えています。
現時点でどんなガイダンスができるのかはわかりませんし、それをどのような形でパブリッシュするのかのアイデアもありませんが、とりあえず来年はそういうものを模索したいなと考えております。
〜〜〜Q〜〜〜
さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。
Q.自分で本を作ろうとしたときに、どういう指針が提示されていると嬉しいでしょうか。
では、メルマガ本編をはじめましょう。今回も先週に引き続き「セルフマネジメントツール」について考察します。
○「セルフマネジメントツールの三要件」
前回は、Textboxの話題を起点に「セルフマネジメント」ツールについて検討しました。
まず、日本では「手帳」がセルフマネジメントツールの代表として扱われており、しかも当初は「画一性」を要請するものとしてそれは機能していました。しかし、近年では手帳の在り方も多様化していて、さまざまな人の働き方・生き方に対応できるようになっています。
本来ならその多様性をさらに拡大させる存在としてデジタルツールは位置づけられるはずですが、しかしスマートフォンの急速な拡大と、「アプリ」市場の存在によって、その当初はむしろ手帳の頃に逆戻りするかのように「画一性」に満ちていた状況がありました。しかし、将来的にはその状況も変わっていくことが期待でき、もしかしたら「すべての人が、自分で、自分の手帳を作る」ことも可能になるかもしれない。そんなお話でした。
今回もそのお話を続けましょう。
■セルフマネジメントツールの要件
「すべての人が、自分で、自分の手帳を作る」
という状況がもし生まれたとしたら、必要になるのは「セルフマネジメントツールの要件」でしょう。どういう機能を盛り込み、どういう情報を提示すれば、セルフマネジメントツールとしてうまく使っていけるのか。それがなければ、作りようもありません。
しかしながら、この問いはこれまで真剣に検討された形跡がありません。それも当然です。ツールが画一的に与えられる状況においては、「そのツールをどう使うか」しか課題に上がらないからです。いわゆる"ノウハウ"がそれです。
実際の「ノウハウ」が指す範囲はもっと広いのですが、日本の(特にビジネス書界隈の)"ノウハウ"は、「このツールを使いこなしましょう」という話であって、それ以上に昇ることもなければ、それ以下に潜ることもありません。非常に狭い話です。
紙の手帳であれば、ある程度は仕方がないでしょう。シールや付箋を貼るなどのカスタマイズはできますが、その影響は小さいものです。せいぜい、紙の手帳そのものを「どう選ぶか」という話題ができるくらいでしょう。
しかし、書店の手帳売り場で悩んだことがある人ならばご存知でしょうが、紙の手帳を「どう選ぶのか」は簡単ではありません。それは、たくさんの種類があるからではなく、それらの中から決定するための基準がないからです。言い換えれば、自分の中に「セルフマネジメントツールの要件」が存在しないからです。
そんな状況で簡単に決定できるわけがありません。
ツールのことばかりを考えて、自分にとっての「セルフマネジメントツールの要件」について思いを馳せなければ、「自分の手帳」を手に取ることはできないでしょう。
■カレンダーは必要か
たとえば、私は少し前から「カレンダーは本当に必要なのだろうか」と考えるようになりました。
「Googleカレンダーを使っているから、紙の手帳にはカレンダーページは不要だね」という話だけではありません。そもそも、そのGoogleカレンダーなるものは必要なのか、というラディカルな疑いを持っているのです。
たとえば、よくある表組みの形式ではなく、スケジュールが縦一列のリスト形式に並んでいてもぜんぜん問題ないような気がします。で、実際Workflowyでそういう運用をしていたのですが、実際問題はありませんでした。そもそもスケジュールがまったくないに等しい仕事をしているので、ちょっとしたリストがあれば十分なのです。
ただし、リストに書くだけでは、高機能なリピートは使えません。それはそれでまた別に検討する必要があります。
だったら、はじめからGoogleカレンダー使っておけば楽じゃないかという話になるわけですが(実際私もGoogleカレンダーは相変わらず使っていますが)、しかし、何も考えずに「セルフマネジメントツールにはカレンダーが必要」と考えているだけでは、上記のような構造、つまりリスト+リピート機能があれば、カレンダーに求められている要件は満たせる、ということになかなか気がつけません。
でもって、そういう話があちらこちらに散らばっていると感じるのです。
便利なツールがさまざまな機能を与えてくれるがゆえに、私たちは自分の手足を使って「自分に必要な機能や情報とはどのようなものだろうか」と考える隙間がなくなってしまっているのかもしれません。
それはちょっと怖いものです。
■セルフマネジメントということ
ここで「セルフマネジメント」という言葉について考えてみましょう。
素直に解釈すれば「自分で自分をマネジメントすること」「自分が自分のマネージャーになること」となります。問題はその「マネジメント」の含意です。
日本の場合、マネジメントは多様な訳を引き受けますが、一番強いのが「管理」でしょう。しかしながら、日本で使われる「管理」と、たとえばP・F・ドラッカーが言う「マネジメント」は、同じものではありません。まったく違うといっても過言ではないくらいの差異があります。
よって、セルフマネジメントと自己管理は、別の概念として描写できるのですが、その差異が無視されがちな状況が日本にはあります。そしてそれは、初期の手帳が「画一性」を要請していた話と重なります。
ある価値基準に、対象をぴたりと沿わせること。
それが「管理」であり、「画一的な要請」が意味するものです。高効率を実践するためには必要な考え方なのでしょう。しかし、それは「マネジメント」ではありません。
ドラッカーは、働き手の多様さ、特に知識労働者の多様さを認識していました。そして、それらの人々を「同じように扱え」などとは一言も言っていません。むしろ逆です。彼らの動機を理解し、彼らがやりたいことを達成するために組織は貢献すべきだと説いています。それが「マネジメント」の精神です。「管理」の精神とはまったく違っているでしょう。
この二つの違いが、セルフマネジメントと自己管理の違いにも効いてきます。
"何かしらの画一的な基準が与えられ、それにピタリと沿うように自分を動かしていくこと"──これが自己管理です。その際の、基準は、旧来の日本社会のように組織(ないしは家)からトップダウンに与えられるものだけではありません。みんながそうやっているから、マジョリティーはそうなっているから、成功者はみなそうしているから、などといった形で「トップダウン」で引き受けているものも含まれます。
つまり、現実の自分がどうであり、どういうことができて、どういうことをしたいのか、という"内情"をまったく無視して、ただ外側から与えられた基準をそのまま適用しようとすることが自己管理なのです。
セルフマネジメントは、むしろボトムアップからはじまります。まず「自分」の手札(あるいは資源)を確認し、それをいかにすれば"活かせるのか"を検討するのです。そして、必要に応じて、行動や目標を定期的に変えていきます。「自分」という存在が変わったら、指針が変わるのは当然でしょう。自己管理に欠けているのは、そうした柔軟な変化です。
■行ったり、来たり
もちろん、上の話はある種の「純粋理論」に過ぎません。実体はそんなに単純に「トップダウン or ボトムアップ」にはならないでしょう。
トップダウン型でスタートを切ったが、結局挫折してそこからボトムアップ型に切り替えた、ということもあるでしょうし、逆にボトムアップ型でスタートしたが、自分にできることが増えていくうちに新しくやりたい理想が見えてきたので、それにむかって自分の"管理"を始めた、ということもあるでしょう。
でもって、そのような変化は、生きている限り続いていきます。少なくとも、そのような変化の可能性は常に維持されています。
よって、セルフマネジメントツールは、「管理」と「マネジメント」の両方の局面に対応できることが望ましいことが見えてきます。
■管理からマネジメントへ
上記の話は、手帳の多様化とも対応させられるでしょう。
私たちは初期状態では「管理」を必要とします。必要な情報が何なのかもわからないし、どう対応するのかの引き出しも少ないからです。とりあえず、外から与えられたツールと基準に従うしかない。そういうところからスタートするしかない。そんな状況があります。
一方で、「管理」だけでは対応できない局面も出てきます。新しいことにチャレンジするような局面です。そうした局面では「変更できない凝り固まったツール」では対応は難しいでしょう。多様なツールが求められる局面です。
たとえば、子どものころは義務教育に従うしかありません。「自分の好きなことだけを学ぶ」ことは難しく、そもそもすべての子どもが「自分は何が好きか」を自覚できるわけではありません。よって、まず一通り教えてみるという姿勢は有用でしょう。加えて言えば、特に好きではなくても、学んでおいて損はないといった知識もあります。子どもの頃は、どれがそういう知識かの判断もできないわけですから、ある種の強制(あるいは導き)が存在するのはやむを得ません。管理の時代です。
しかし、やがて大人になると、自分で自分の好きなことが学べるようになります。何を学んでもいいし、どう学んでもいい、という状況がやってくるのです。対象も、教材も、ノートの取り方も自由です。自分が一番力を発揮できるやり方を選択して構いません。マネジメントの時代です。
もちろん、そうして大人になっても、何かの学校に通って、そこで子供のように学ぶ(≒管理の時代)ということは起こるでしょう。あるいは、独学を適切に進めていったり、期限に間に合うように成果物を提出したりといった局面で「管理」の手法が効いてくることもあります。
よって、マネジメントの時代になっても、管理そのものが却下されるわけではありません。結局のところ、「与えられた基準に従って自分を動かすこと」はどこかしらの局面で必要になってきます。しかし、その「管理」だけが、自分との付き合い方ではないのです。別の方法もあり、そちらが持つ豊かさは間違いなく存在しています。
(下に続く)
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