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自由になるためのノート──『すべてはノートからはじまる』 #09

なぜ、ノートを書くことが必要なのか。情報が多すぎる現代において、私たちはノート(記録)とどのように付き合えばよいのか。身近でありながらも、現代的な困難を内包するその問題を解き明かす『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』。その一部を公開します。

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第1章 ノートと僕たち 人類を生みだしたテクノロジー(07)

自分の情報環境を作る

自分のノートは、他の誰でもない自分のための情報源です。自分が作り、自分が使うための道具です。そしてそれは、一種の情報環境だと言えます。

手帳を思い浮かべてみればよいでしょう。予定やメモなどを手帳に書き込み、管理していくことは、日々自分が何を目にするかを自分で構築していくことを意味します。

考えてもみてください。毎日毎日自分が行った失敗を手帳に書きつけていたとしたら。その手帳を開くたびにきっとゲンナリしてくるでしょう。逆に、勇気が湧き立つ言葉を並べていれば、気分がアガってくるはずです。

これは手帳に限った話ではありません。自分が使うノートや日記やその他のツールに、どんな情報を書き留めていくのかを決めることは、自分が目にする情報を自分で制御することを意味します。自分の情報環境を、自分で構築すること――それは「自分」を作っていることに等しいと言えるでしょう。

あなたが食べたものによってあなたができているのと同じで、あなたが目にする情報であなたの意識は構成されています。栄養と同じように、情報もまたあなたを構成する素材なのです。

ノートを使いはじめるということは、そうした素材となる情報を他人任せや大手メディア任せにするのではなく、自分で作っていくことを意味します。手作りの、自炊の、手料理の、ハンドメイドの情報メディア作りなのです。

だからこそ、ノートは自由でなければなりません。

人が自由に生きられるように、ノートもまた自由に使えます。逆に言えば、ノートを自由に使うことで、人は精神の自由さを、つまりマスメディア的な情報環境からの離脱を手にできます。

大げさな話に思えるかもしれませんが、ラジオというメディアがいかに大衆操作に利用されたのかを考えれば、あるいはそうしたメディアがむしろ逆に「大衆」を作ってきたことを考えれば、心配しすぎということはないでしょう。

私たちは、私たち自身になるために、私たちのメディアと道具を、つまりはノートを手にするのです。

型にはまったノートの使い方は、義務教育期間中に徹底的に学んだでしょう。あるいはそれを学びすぎて、他のノートの使い方に及び腰になっているかもしれません。しかし、そろそろ離脱のときです。

これまでの日本社会では、既存の方法に自分を合わせることが重視されてきました。合わせる、慣れる、抑える、殺す。そういった姿勢です。寄らば大樹の陰がシンプルな行動原理となっていました。

しかし、現代の日本では頼りになる大樹はどこにも見当たりません。一流企業でも公務員でも安定という印籠を手にするのは難しくなっています。つまり、自分でつくり、育て、決め、責任を引き受ける姿勢が必要となります。それはまた、未曽有の事態に立ち向かう際に役立つ姿勢でもあります。

ノートを使うこと。ノートを不真面目に使うこと。ノートを自由に使うこと。それは自分なりに生きていく、最初の一歩となるはずです。

(第一章終わり)

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目次

はじめに ノートをめぐる冒険
第一章 ノートと僕たち 人類を生みだしたテクノロジー
第二章 はじめるために書く 意志と決断のノート
第三章 進めるために書く 管理のノート
第四章 考えるために書く 思考のノート
第五章 読むために書く 読書のノート
第六章 伝えるために書く 共有のノート
第七章 未来のために書く ビジョンのノート
補 章 今日からノートをはじめるためのアドバイス
おわりに 人生をノートと共に


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