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着るものとしての本
いつの時代も「本が読まれなくなっている」という嘆きはあるものですが、そうした嘆きが強まるほど、反動として読書を崇高な営みとして奉る姿勢も強まるものです。
しかし考えてみてください。そんな風に何かすごいものとすればするほど、私たちの日常からは遠ざかります。それはつまり、本が読まれなくなる、ということです。本末転倒ですね。
実際たくさん本を読んでいる人を観察してみれば、ほとんど食事をするのと同じくらいの気楽さで本を読んでいるのではないでしょうか。そういう気楽さで行うけれども、ときに深みに触れることがある。それが読書という営みの面白さです。
編集者の松岡正剛さんも読書をカジュアルに捉えることを提案されています。
(前略)まず言っておきたいことは、「読書はたいへんな行為だ」とか「崇高な営みだ」などと思いすぎないことです。それよりも、まずは日々の生活でやっていることのように、カジュアルなものだと捉えたほうがいい。たとえばいえば、読書は何かを着ることに似ています。読書はファッションだと言ってもいいくらいだけど、もっとわかりやすくいえば、日々の着るものに近い。
人によっては同じ服をずっと着ているという場合もあるでしょうが、たいていは季節や気分に合わせて着る服を替えます。それに、同じ服をずっと着ている人ですら、シャツとズボンといったように何かしらの組み合わせを作るでしょう。
そんな風に、読書を「日々の着るものに近い」という視点で捉えると、いろいろなことが雰囲気としてわかってきます。単にカジュアルというだけでなく、読書は一冊の本を読んでは終わらず、着替えたり、組み合わせたりしていくもの、つまり、継続的で複合的な営みであるものだという視点が立ち上がってくるのです。
たしかに、ときに読書は神聖とも呼ばれる行為に近接します。でもそれだけが読書ではないでしょう。