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続けたくても続けられないノート──『すべてはノートからはじまる』 #07

なぜ、ノートを書くことが必要なのか。情報が多すぎる現代において、私たちはノート(記録)とどのように付き合えばよいのか。身近でありながらも、現代的な困難を内包するその問題を解き明かす『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』。その一部を公開します。

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第1章 ノートと僕たち 人類を生みだしたテクノロジー(05)

ノートとダイエットの共通点

前述した通り、巷にはノート本が溢れ返っています。その理由は、それらのノート術に効果がないからではなく、提示されたノート術を読み手が継続できなかったことにあるのではないでしょうか。それらのノート術は口を揃えて「継続せよ」と言いますが、それができずに挫折したと感じてしまって、疎遠になってしまうのです。時間が経てば、また新しいノート術が登場し、それを試してみるもののやっぱり続かなくて挫折する。そんなことの繰り返しで、やがてはノートをまったく使わなくなってしまう。そんな風景が多くの場所で見られるのかもしれません。

この現象は、ダイエットでもよく見受けられます。よくよく考えれば、カロリーを抑えた食事をし、適度に運動しているならよほどのことがない限り太り続けていくことはないでしょう。つまりどんな方法であれ、継続していければ一定の効果は見込めるはずなのです。しかし、世の中を見渡している限りでは、どうにもそうはなっていません。つまり、継続できていないのです。

継続するための方法や習慣化の方法を解説した書籍もたくさん書店に並んでいますが、そうした本も繰り返し新しいものが発売されていることを考えると、どうやら根本的な解決には至っていないようです。

もちろん、それはそうでしょう。ここでもやはり問題は脳なのです。

ノートを続けられない僕たちの脳

ノートは脳を補助してくれます。そして、脳はその補助を必要としています。注意は限られており、記憶は不安定で、判断が環境によって揺れてしまい、長期的利益と目先の利益なら、目先の利益の方が大切に感じられてしまうのが人間の脳です。

だからこそ、ダイエットをしていながら、甘いものが目に入るとそれが食べたくなります。いや、ダイエットをしているからこそ、甘いものが食べたくなる気持ちが強まることすらありえるのです。実に困難な道のりです。

習慣化も同様で、習慣化の方法もまた、それ自身を習慣にしなければいけないのですが、それができないのです。これは、自分で自分の行動を監督する分野(セルフマネジメントと言います)において全般に言えることです。

つまり、人間の脳はノートを必要としているにもかかわらず、だからこそノートがうまく使えないという皮肉な構造があるのです。別の言い方をすれば、ノートの価値がうまく認められないのにノートの力は必要なのだ、という出発点の見つからない循環的な構造がここにはあります。

効果が感じられない行為

ある方法を実行すれば効果があると説得されたら、そのときは行動に移せますが、一日経ち、二日経ちとなると、その記憶は薄れ、新しい行動よりもそれまで続けてきた行動の訴えかけが強くなります。言い換えれば、新しい行動に重要度が感じられなくなるのです。結果、スイーツに手を伸ばし、運動が面倒に感じられるのと同じように、ノートも続けられなくなります。

ポイントは、私たちは何かをはじめるときに、本当にまっさらな「自分」としてはじめられることはほぼない、ということです。政府の機関に保護されて証人保護システムで新しい名前と戸籍を手に入れられない限りは、私たちは、昨日までの習慣を引きずって生活することになります。そこで、普段やり慣れた行動と、新しくはじめようとしている行動(価値が薄れつつある行動)の二つが対立し、当たり前のように前者が勝ってしまうのです。

ノート術も同様です。ノートは「続けることで真価が発揮されるもの」ですが、そうであるがゆえにノートを書きはじめたばかりのときはその価値がわかりません。価値がわからないものは、行動の優先順位が低くなるのは当然の結果です。

人間の脳が、そうした価値判断を間違わない存在であれば、つまり記憶は鮮明で、判断が一貫した存在ならば、ノートを続けることは難しくなかったでしょう。しかし、そのような存在であれば、そもそもノートを必要としなかったでしょう。つまり、ノートを必要とする存在であるがゆえに、ノートが続けられないという逆説的な関係がここにあります。

総括すれば、あなたがノートを続けられなくても、それは当然なのです。挫折を感じる必要はどこにもありません。

打開策の模索

では、どうしたらいいのでしょうか。

解決方法の一つは強制です。義務教育の頃は、ノートの価値などわかっていなくても、とにかく「そうしなければならないから」ノートを取っていたでしょう。もちろん、ノートを取らないことで後々不便が生じることはあったでしょうが、「これには確かな価値がある!」という実感を伴ってノートを取っていた人は少数でしょう。「ノートを取ること」が暗黙に(ないしは制度的に)強制されていたから、ノートを取り続けられたのです。

とはいえ、この解決には難点があります。大人の活動に、そうした強制力を発揮させるのは簡単ではありません。さらに、そうするのが望ましいことなのかどうかも不明です。それ以上に、価値の分からないものを強制的に続けさせられることで、その対象が嫌になってしまう恐れがあります。ノートという道具がこれだけ力強いにもかかわらず、あまり積極的に使われていないのは、すり込まれた苦手意識が背景にあるのかもしれません。

であればどうすればいいのでしょうか。打つ手はまったくないのでしょうか。もちろん、そんなことはありません(だからこの本を書いています)。そのような状況もまた、ノートの力によって乗り越えていけるのです。

最大のポイントは、ノートを不真面目に使うことです。

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目次

はじめに ノートをめぐる冒険
第一章 ノートと僕たち 人類を生みだしたテクノロジー
第二章 はじめるために書く 意志と決断のノート
第三章 進めるために書く 管理のノート
第四章 考えるために書く 思考のノート
第五章 読むために書く 読書のノート
第六章 伝えるために書く 共有のノート
第七章 未来のために書く ビジョンのノート
補 章 今日からノートをはじめるためのアドバイス
おわりに 人生をノートと共に


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