見出し画像

倉下のこれからやろうとしていること / 『TAKE NOTES!』を読む その2

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/04/11 第600号

「はじめに」

さて、600号です。キリ番ですね(はたしてこの表現が通じるか)。

600号ということは、600週ということで、52で割ると結構とんでもない数字が出てきますが、あまりそれほどの時間が経った実感はありません。たいして苦労していないせいかもしれませんね。なんだかんだで、こうして毎週メルマガを書くことは楽しいものです。

去年あたりから──具体的には『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』を出版してから──自分の中の「仕事の意識」が変わりつつあるので、このメルマガのコンテンツも今後変わっていくかもしれませんが、こうして毎週メルマガをお届けすることは今後も継続していく所存です。

今後ともよろしくお願いいたします。

〜〜〜ポッドキャスト〜〜〜

ポッドキャストが配信されております。

◇第百一回:Tak.さんと仕事術歴について 作成者:うちあわせCast

前回は「知的生産ツール」の遍歴でしたが、今回は「仕事術(の本)」の遍歴となりました。これはこれでセルフパブリッシング本一冊はかけそうなテーマです。

〜〜〜ゆっくりを取り戻す〜〜〜

最近ちょこちょこ忙しさを感じるようになってきました。タスクが増えてきているのです。

当然のように、焦りにも似た気持ちを覚えます。あれもやらないと、これもやらないと。時間が足りない、という感覚が強まります。

その感覚に身を任せていると、「もっと効率化を」「もっと作業効率を」「もっと作業時間の確保を」という方向に流れてしまうでしょう。しかし、それはあまりよろしくないように感じます。なぜなら、際限がないからです。

どれだけ効率化を進めても、「やること、やりたいこと、やるべきこと」が完全に達成できることはありません。それらはずっと長い待機リストを生成し続けます。シジフォスの試練の始まりです。

だからこそ、逆説的ではありますが、「時間がない」と感じているときほど、物事やその進め方に「ゆっくり」を取り戻すことを意識した方がよいのでしょう。アンビバレントな解法です。

昔から「急がば回れ」とも言われますが、そちらは慎重に取り組んだ方が結果的に使う時間は短くて済む、的なニュアンスだと思いますが、この「ゆっくりを取り戻す」は少し違った意味合いがあります。

具体的には、焦れば焦るほど判断力が鈍ってくるので、そこをケアしておこうぜ、というニュアンスです。

たとえば、やることがたくさんあるときほど、仕事以外のことや睡眠時間を確保することの大切さは増します。それらのプライオリティーが下げられてしまうからです。もし休息や気分転換を無視してしまうと、「一つ上の階層」で大きな問題が生じるでしょう。目の前の仕事どころの話ではない問題が起きてしまうのです。

また、忙しくなればなるほど、「何をすべきで、何をすべきでないのか」という判断も鈍ってきます。するとタスクを抱え込んでしまい、忙しさが増すのです。悪循環です。

こうしたとき、「忙しくても、仕事以外のことや睡眠時間を確保する」という優先目標が設定されていれば、必然的に抱え込んでいるタスクを削減せざるを得なくなります。つまり、改めて「今、自分が取り組むべきなのは何か?」という判断が働き始めるのです。

考えてみると、「もっと効率化を」「もっと作業効率を」「もっと作業時間の確保を」というベクトルで頭が動いているときは、「どれを捨てるか、やめるか」といったベクトルはまったく停止しています。それこそが一番の問題なのでしょう。

「ゆっくりを取り戻す」という姿勢は、そこにカウンターをぶつけてくれるのです。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 日常的に維持されている「気分転換」は何かありますでしょうか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は600号記念というほどでもありませんが、倉下が今抱いている「計画」について書いてみます。

*本号のepub版は以下からダウンロードできます。本号は全文公開です。


「倉下のこれからやろうとしていること」

2022年4月の時点で、倉下がやろうと画策していることを棚卸し的に整理してみます。

何の役に立つかはわかりませんが、インスピレーションのきっかけにでもなれば幸いです。

■知的生産の技術のまとめ

まず、考えているのが「知的生産の技術」のまとめです。

これまでわんさか「知的生産の技術」について書いているので、それをまとめてやろうと考えているわけです。

とは言え、これまでは「大全」的なまとめを考えていました。何せ過去の蓄積がわんさかあるのです。それらを使いながら、「これ一冊で知的生産の技術のすべてがわかる」的なコンセプトの企画を立ち上げるという夢想をしていたのですが、最近はその考えが変わりつつあります。

たしかにそういう本が作れたら、辞書的には非常に重宝されるでしょうが、はたして「入門」の役に立つのかはわかりません。むしろ、「こんなにたくさんの技法を知らなければ実践できないのか」と心の距離を置かれてしまうことも考えられます。

『独学大全』のヒット以来、分厚い本が増えていますが、もちろん分厚くしただけで売れるなら出版事業など児戯に等しいものです。実際は、そんなに簡単にはいきません。むしろ、単に分厚いだけならば拒絶されてしまうことの方が多いでしょう。

もし、「情報は完璧に網羅されているけども、そもそも読まれない」本を作ったとしたら、自分としては不完全な仕事だと判断せざるを得ません。

ここで視点がくるっと入れ替わります。

「どういう本を作ったとしたら、自分にとって満足いく仕事だと言えるのか?」

このように問いかけてみると、自分なりの指針が見えてきます。「知的生産を促せるような本」というのがその答えです。

情報の完全な網羅性や、細かい情報の精度、あるいは哲学的・思想的な面白さを深堀りするといった要素ももちろん大切ではありますが、何よりも優先したいのは、その本を読んだ人が自分でも知的生産を始めてみようと思える本です。

『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』にもそうした性質があったように思いますが(自画自賛)、その方向をさらに探求してみたい、というのが現状の私の気持ちです。

よって、「知的生産の技術」をまとめるにしても、それらを網羅的にまとめるのではなく、エッセンスを抽出して、実践の助けになるような、あるいは読者のエンジンを駆動させるような、そんな本にしようと考えています。

その準備段階として、まずはシゴタノ!で知的生産の技術書100選の連載を進めています。自分自身で、まずこれらの本を振り返りながら、何が「エッセンス」と呼びうるのかを再確認している段階です。

それが終わったら、いよいよ本格的なまとめのスタートとなります。

これまでは、「思いつく→すぐさま企画案に取り掛かる」という刹那的なアプローチで本作りをしていましたが、今回はしっかり準備を整えてから企画案に取り掛かるという、「間」(ま)を持つアプローチである、というのも新しい試みです。

うまくいくかどうかはわかりませんが、当面で一番大きな目標がこのまとめとなります。

■具体的なノウハウ書

上記は、知的生産の技術の総論的な位置づけですが、それとは別に「個別のツールのノウハウ」についても書きたいと考えています。現状は大きく二つ案があります。

まず一つ目が、「アウトライナー」についての本です。

これまでいくつものデジタルツールの本を書いてきましたが、「アウトライナー」について書いた本がほぼありません。『Re:vision』ではアウトライナーにも触れていますが、そうはいっても「アウトライナー」の本とは言えない内容です。

もちろん、書いていないのには理由があって、「他にアウトライナーについて書いている本がちゃんとあるから」なのですが、とは言え私なりの切り口でアウトライナーについて書いてみるのも面白いかなとは思います。おそらく、Tak.さんが書かれる内容とはまた違った本に仕上がることでしょう。

たとえば、WordやExcelであれば山のように解説書があるわけで、だったらアウトライナーも同じ状況になっていてよいのではないか、というかそういう形でしかツールの普及は進まないのではないかとも思います(その意味で、出版業界の類書戦略は一つの分野の話題形成に貢献しているのだとも言えるでしょう)。

とりあえずは、「アウトライナー」×「情報整理」というコンセプトで、その企画案は検討を進めています。おそらくKDPでの発売になるでしょう。

もう一つ、具体的なノウハウで言うと、「Scrapbox」×「知的生産の技術」というコンセプトが頭の中にあります。
*このコンセプトの準備のために、「『TAKE NOTES!』を読む」という連載を進めています。

Scrapboxに関しては『Scrapbox情報整理術』という本が(しかも拙著が)あるのですが、内容としてはやはり「情報整理」に偏っており、いかに知的生産を進めるのか、という話は掘り下げられませんでした。

しかし、本を書いてから4年も経ち、自分の中でScrapboxと他のツールの根本的な差、特に知的生産活動における差が見えてきたので、そろそろそれをまとめてみようと思っている次第です。

このコンセプトについては、前号でも紹介したTwitterのコミュニティによる非同期ブレストで「考えの育て方」という主題が立ち上がっています。連載時はともかくとして、その内容を本としてまとめる場合は、この主題をメインタイトルに据えることになるでしょう。

これまでの私のタイトルづけの傾向から言えば、間違いなく『Scrapbox知的生産術』というあたりさわりのない(そしてインパクトもない)ネーミングになっていたでしょうが、今後はできるだけ、もう一段か二段ひねったタイトルをつけようと考えています。

その意味で、「アウトライナー」×「情報整理」も、また違ったタイトルがつくことになるでしょう。

以上の二つが、具体的なノウハウ書に関してのアイデアです。

■「読む・書く・考える」のトライアングル

もう一つ、大きなテーマとして、〈「読む・書く・考える」のトライアングル〉があります。このメルマガのテーマとしても長らく掲げているので、そろそろまとめたいなという気持ちが立ち上がってきました。

とは言え、それは「知的生産の技術のまとめ」と何が違うのだろうか、という疑問はあります。おそらく、重なる部分は多いでしょう。しかし、まったく同じかと言えばやっぱり違うのだと思います。

たとえば、知的生産活動では、「書く」ことが求められるわけですが、「書く」ことは必ず知的生産に付随するわけではありません。言い換えれば、知的生産とは関係ない「書く」の領域があり、むしろその領域の方が広いくらいだと言えるでしょう。

風呂敷を大きく広げる癖のある私としては、「知的生産の話」と「より広い話」を接合して語ろうとする傾向があるのですが、そうすると「知的生産の話」についても「より広い話」についても中途半端にしかピントが当たらないことになります。不完全燃焼です。

たとえば、「論文の書き方」のノウハウの中に、論文執筆以外の領域でも使える話があるにしても、両方の領域を見据えて話をしてしまうと、やはり内容的に不十分なものになってしまうでしょう。それと同じことです。

よって「知的生産の話」をするときは、アウトプットを(特に他の人に読んでもらうアウトプットを)メインに据え、「より広い話」をするときは、具体性から少しズームアウトして包括的な話をする、という区分けが有効なのではないかと考えています。

「読む・書く・考える」という三つの行為がそれぞれ関係しているということ。「読む」は、聴くや聞くなどの他の「インプット」に敷延できること。「書く」は演じるや歌うなどの他の「アウトプット」に敷延できること。そしてそれぞれにおいてさまざまな「考える」が駆動すること。そういうことを語れたら面白いだろうと思います。

それに加えて、そうしたトライングルの中で、「考えるための道具」はどのように位置づけられ、どんな機能を持ち、どういう使い方をすればいいのかも、合わせて考えていけたらよいでしょう。

そういうコンセプトを見据えて、このメルマガでも今後記事を書いていくことを計画中です。

■ライティングフローの確立

ここまでの話と関係することですが、「じゃあ、そういう企画をどう進めるのか」という抜本的な問題にも取り組んでいきたいところです。ちなみにこの「ライティングフローを確立する」というのは、今年の倉下のテーマでもあります。

◇ライティングフローを確立する一年 - 倉下忠憲の発想工房

ほんとうは今年の一月からこのテーマに取り組む予定だったのですが、私事でいろいろトラブルがあり(さすが厄年です)、落ち着いたのがこの4月になってからだったので、ようやく今年のテーマに取り組めるようになりました。

はっきり言って、これが一番の難題です。企画のアイデアはいくらでも思いつきますし、コンセプトはブレストで鍛えられますが、そういうふわふわしたアイデアをいかに「原稿に落とし込むのか」。これは、工場で言えば、どんな風にラインを設計するのかという問題に相当します。物書きにとって主要な問題と言えるかもしれません。

現状取り組んでいるのは、大きなテーマについてはいきなり取り組むのではなく、連載を使って準備を進めてから書く、という方式です。これはなかなかうまくいきそうです。なんといっても、連載には「締め切り効果」があり、着実に素材やアイデアが蓄積します。

問題はそれ以外です。

・そうした連載に乗らないアイデアをどう原稿化するか
・そもそも断片的なアイデアをどう育てていくか
・書き終えた連載原稿や過去のブログの記事をどう書籍化するか

これまでは、「毎週メルマガを更新する」という短い締切が周期的にやってくる原稿と、「商業出版の原稿を頑張って書き下ろす」というある程度締め切りに融通がきく(しかし無限には先延ばしできない)原稿の二つがメインであり、そればかりを進めてきたのですが、その間に書き散らかした原稿はほとんどまとめられないままになっています。

唯一「月刊くらした」計画という無茶な電子書籍出版計画を実施していたときは、過去原稿からの本作りが進んだのですが、逆に言えばそうした「追いつめられた」状況でもないかぎり、なかなか着手できないのが現状です。

いっそのこと、そういう過去原稿はまるっとうっちゃって、常に新しいものを書き下ろしていけばいいんじゃないか、と判断することもできるでしょう。単にうっちゃるのではなく、noteにでも切り出しておくことで、「日干し」のような効果も期待できるかもしれません。

一方で、過去の原稿をまとめる段階で、その対象についてもう一度考えるようになり、それが思索を深める効果も間違いなくあって、単に放置したままだと──単に生産性の問題以外でも──もったいなさを感じます。

なんにせよ、連載形式で原稿を書き下ろしていくアプローチは原稿作りにおいてきわめて有効なので、それを本作りにうまくブリッジさせられるようになるのは、悪いことではないでしょう。

また、書き終えた原稿だけでなく、日々着々と書き留めているアイデア(断片的なメモ)をどう扱うのかも、「ライティングフロー」の確立には関わってきます。これに関しては、また次号でも現状のやり方を紹介するとしましょう。

とりあえず、「毎日書き下ろし原稿を書く」と「短い締め切りの連載を書く」以外の引き出しを増やしたいというのが、今年の大きな課題の一つです。

■止まっている企画案の進捗

上記のライティングフローの確立がうまくいけば、現状止まっている企画案も再賦活化できるだろうともくろんでもいます。

・かーそる第五号
・ブックカタリストブック
・僕らの生存戦略
・断片からの創造

こうした企画案も、メインの(つまり商業出版の)企画にコミットしていないときは進めやすいのですが、そんなことを言っていたらいつまで経っても完成には至りません。ごく普通にメインの企画案を進めつつ、並行してこれらの企画案を進められるようになりたいところです。

もちろん、単純に時間の絶対量が不足している点もあるのですが、それ以上に「並行して進めるアプローチがまったく見えていない」点が大きく影響しているように思います。

別段超人的な生産性を求めているわけではありません。微速であっても、こうしたサブ企画案を進捗できるようになること。そのシステムやリズムが確立できると、今よりももっと「焦りが少ない状態」で執筆を進められるようになると期待しています。

逆に言えば、現状では思いついた良さそうな企画案を「執筆のプロセス」のどこに位置づけていいのかがわからないので、焦りが出やすいのです。「この企画案は、ここに位置づける。そうしたら時間はかかるけども、どこかでは完成するだろう」と思えるならば、もっとおおらかな気持ちで取り組めるようになりそうな予感があります。

■進んでいる企画案

以上、倉下がこれから進めようと思っている事柄についていろいろ書いてきました。

最後に、倉下が今実際に進めている企画案について紹介しておきます。二つあります。

一つが、「セルフマネジメント」について。こちらでは、「タスク管理」よりも広い領域の話をする予定です。しかも、できるだけ楽しくそれを実践できるように本の内容を工夫しています。

もう一つが、「ノーティング」について。『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』では、ひろく大きな「ノートの話」をしましたが、そのかわり具体的なノートの話は少なくなりました。そこを補うように、「ノートの書き方」にフォーカスした実践的な内容の本を進めています。

両方とも、商業出版の企画案ですので──つまり何かしら締切的なものがあるので──いつかは発売日を紹介できることでしょう(そうなることを願っております)。

というわけで、2022年度も頑張ってまいりましょう。

「『TAKE NOTES!』を読む その2」

前回に引き続き、ズンク・アーレンスの『TAKE NOTES!』を読んでいきます。

・「考える」ためには書くことが必要
・完成品をゼロから作るのは無謀
・日々の材料集めが大切
・では、どうやってそれを行うか

今回は二つ目の項目から。

■完成品をゼロから作るのは無謀

分量の多い文章をゼロベースで書き上げるのはとても大変です。知的生産の技術でも執筆における「メモ」の重要性はさんざん説かれています。

前回確認したように、合理的思考はワーキングメモリを使用するのでした。しかし、そのメモリはたいして大きくありません。人が一度に「考え」られる範囲はとても小さいのです。

一方で、文章には「考え」を書く必要があります。分量の多い文章ならば、書くべき「考え」の量も多くなります。その多さは、とてもワーキングメモリで対応できるものではありません。だからこそ、分量の多い文章をゼロベースで書き上げるのは大変なのです。

よって、大きな文章を書く際は、小さく「考える」ことを積み重ねていくのが有効です。ワーキングメモリの対応できる範囲で小さく考え、それらを利用して、大きな全体を作り上げるわけです。

■トップダウンでもない

しかしながら、『TAKE NOTES!』で提唱されるこの還元的アプローチは、トップダウンではありません。最初に大きなテーマを分割し、小さいテーマに仕立て直してから少しずつ書き進めていく、という形ではないのです。

そのようなトップダウンのアプローチは、うまくいかないか、あるいはいくにしてもアイデアの方向性をゆがめてしまうと、本書では説かれています。執筆のアプローチはそのような直線的なものではなく、行ったり来りを繰り返すマルチな作業だと著者は言います。最終的な成果物が直線的に読まれる文章であるから私たちは勘違いしがちですが、文章はもっとギザギザに書かれていくものなのです。

つまり、こういうことになります。

大きな成果物は、ゼロから一気に作り上げるものではない。かといって、最終形から逆算して小さな工程に分割するのでもない。少しづつ小さなものを作りながら、「考え」て、組み立てていくものである。

■日々の材料集めが大切

上記を前提とすると、知的生産においては「日々の材料集め」が大切になってきます。

つまり、「よし、本を書くぞ」と決めてから大テーマをブレイクダウンして、100個の項目を作り上げるのではなく、一日2〜3個の項目作りを進めていき、それらが一定数(おそらく100よりははるかに大きい数)集まったところで、「よし、本としてまとめるぞ」とプロジェクトを始動させる形です。

逆に言えば、この二つ、つまり一気に100個の項目を作ることと、毎日少しずつ項目を作っていくことには違いがあるわけです。

どのような違いでしょうか。

まず一つは、一気に100個作るのは疲れる、という点です。これは冗談ではありません。短期間で100個も項目をアイデア出しするのは相当に脳に負担がかかるでしょう。一方で、一日に二、三個程度ならそれほど負荷もかかりません。分散することで、作業の知的負荷を下げられるわけです。

もう少し言えば、短期間で100個のアイデア出しをする場合は、どうしても「数合わせ」な項目が出てくるのです。たとえば、トップダウンで細分化された項目だから、中身がなくてもとりあえず作るとか、全部で10個ずつ必要だからなんとかひねり出す、といった形です。こういう作業は、だいたいにしてしんどいものです。嫌気が差すこともあります。

それに比べて、非テーマで思いつくままにアイデアを少しずつ集めていく行為には、上記のような「不自然さ」はありません。気楽に進めていくことができます。

「一気に」ではなく、「日々少しずつ」には、そうした楽さがあるのです。

■時間と共に深まる

もう一点、「日々少しずつ」進めていくことにはメリットがあります。それは時間をかけて考えられることです。

脳という器官は、私たちが意識していないところでも日々情報を処理しています。起きているときもそうでしょうし、寝ているときもそうでしょう。そのような情報処理が積み重なって、ようやく理解できたり、発見できたりすることが少なくありません。

そうすると、一気に短期間で仕上げる方式はそのような「思考の熟成」がうまく活用できない可能性があります。簡単に言えば、「その場の思いつき」で全体の方向性や細部が決定されてしまうのです。

「日々少しずつ」方式は、脳が時間をかけて考えることを反映させられます。難しい課題、大きな課題については、そうした方式が適切でしょう。

■締め切りと目次案

とは言え、「日々少しずつ」方式が完全無欠というわけではありません。弱点はもちろん存在しています。その弱点については、『TAKE NOTES!』では十分掘り下げられていないので、ここでは私の考えを提示しておきます。

まず第一に、「日々少しずつ」方式は締切という概念と相性がよくありません。テーマを限定して一日に二、三個アイデア出しをする、というならばともかく、テーマに制約されず、その日思いついたことをつれづれに書き出していったのでは、いつ原稿が完成するかは予想がつかないでしょう。

同様に、「日々少しずつ」方式は事前の目次案が作れません。どんなことを日々思いつくかによって、最終成果物が決まってくるからです。あらかじめ計画を立て、それに沿って内容を拡充していく、というやり方とは根本的にミスマッチなのです。

■ボトムアップの弊害

第二に、「日々少しずつ」方式では、トップダウンによるコンテンツの見通しの良さが失われがちです。

たとえば、トップダウンでは、まず大きなテーマを見据え、それを適切な中テーマに分解し、それぞれをさらに適切な小テーマへと分解します。こうして作れた構造は、下部が上部を支え、上部が下部を支配する、という強度を持ちます。全体として、「一つのこと」を言い表すようなメッセージの統制がとれているのです。

一方で、「日々少しずつ」方式はボトムアップのアプローチとなります。この場合、上記のような統制がとれません。ある部分はやたら詳しいのに、別の部分は極端に説明が薄い、ということが起こりえます。そうなると、全体としての印象もいびつなものになってしまうでしょう。

ここで思い出したいのが、「一気に仕上げる」方式で出てきたアイデア出しです。そこでは半ば強制的な発想が要請され、それが苦しさの原因ともなるのですが、結果としてボトムアップでは考えなかったような対象について思索が進むことが起こります。それが(本来なら薄かったはずの)コンテンツを厚くし、全体の構造を整えてくれる効果を持つのです。

■楽なだけでは

たしかに、「日々少しずつ」方式は楽ではあります。知的負荷は分散され、無理やりやらされるような作業感はありません。一方で、そうした楽さを同様に持つTwitterのつぶやきを振り返ってみればわかるように、それらは常に「断片的」な存在に留まります。

もちろん、その断片を積み上げることで大きな完成品を作ることは可能ですが、一つの完成形を目指して整えられた構造物とは違ったものになるのは想像に難くありません。少なくとも、ある種の「整い」がそこには欠如しているでしょう。

ボトムアップ方式を採用する場合は、上記の問題を考慮しておく必要がありそうです。

■さいごに

今回は、「完成品をゼロから作るのは無謀」「日々の材料集めが大切」の二点について確認してみました。

著者の問題意識はたしかに正確です。知的生産を実践的に行っている人ならではの視点が感じられます。一方で、本書で提示される問題解決がどこまで実際的なのかは少し考えておきたいところです。

締切が発生する仕事、事前の目次案が必要な仕事においては、本書の考え方では十分に対応できません。また、トップダウンでコンテンツを制御しようとする試みは、常に悪い結果をもたらすわけではない、という点にも注意が必要です。

その点を踏まえながら、著者が紹介する具体的なノウハウについて次回はみていきましょう。

(次回につづく)

「おわりに」

お疲れ様でした。本編は以上です。

とりあえず、最近の課題は「いかにして、平穏に、毎日原稿を書き続けられるのか」です。特に、一つの企画案だけでなく、複数の企画案をどうにかして進捗したいと願っています。それがなかなか難しいわけですが。

それでは、来週またお目にかかれるのを楽しみにしております。

______________________
メールマガジン「Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~」

当メルマガは、読む・書く・考えるについての探求を中心にお送りするメルマガです。

本の読み方、文章の書き方、何かについての考え方。その実際例を、舞台裏を含めてお見せします。皆さんの思考の材料や刺激剤になれば幸いです。

本メルマガの引用は、ご自由にどうぞ。一般的な引用の範囲であればどのようにお使い頂いても構いません。

また、知り合いの方に「こういうメルマガあるよ」ということで転送してもらうのも問題ありません。常識の範囲内で、パブリックなスペースに掲載されてしまう可能性がなければ、回し読みしていただいても著者は文句は言いません。

もし、何かご質問があれば、全力でお答えします。

「こんなこと、書いてください」

というテーマのリクエストもお待ちしております。

こちらのメールに返信していただくか、tadanorik6@gmail.com までお送りください。

また、Twitterでの感想もお待ちしております。#WRM感想 のハッシュタグを付けていただければ、私が発見しやすくなります、

もちろん、@rashita2 へ直接リプライいただいても結構です。

ここから先は

0字

¥ 180

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?