フリクションとMac

※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです。

フリクションボールペン、というのが登場したとき、私はずいぶん懐疑的な目でそのペンを見つめていたに違いない。

「ボールペンは消せないからいいんじゃないか。消したいなら鉛筆を使うよ」

そんな風に考えていたのかもしれない。

人気が出たのも、私との距離感に拍車をかけた。流行り物が好みではないのだ。

結局、大ヒット商品であるフリクションボールペンとまったくお近づきにならない時間が長く過ぎた。

最初に変化のきっかけをつくったのは、ボールペンではない。

カラーペンだ。

マインドマップを描く際に、フリクションカラーペンだと良い感じらしい。

さっそく使ってみた。

うん、なかなかよい。

私の筆箱から無印のカラーペンが姿を消し、代わりにフリクションカラーペンのセットが投入された。

すると不思議なもので、フリクションボールに対する距離感も徐々に縮まってくる。ようは、気になってきたのだ。

売り場を覗いてみると、私好みの青(ブルーブラック)もある。

じゃあ、ちょっと買ってみようか。

そうして、恋に落ちた。

いや、さすがにそれは言いすぎだろう。恋はもっと華やかで切ないものだ。ともかく、私はそのペンが気に入った。ずいぶん気に入った。今では常用のペンの一つになっている。

でもそれは、フリクションボールの「消せる」点を気に入っているわけではない。というか、このペンを使い出してから、実際に消した回数など片手で数えられるぐらいである。

ボールペンを使っている習慣が抜けず、あっ間違えたと思った瞬間には二重線でそれを潰しにかかってしまう。そうして、文字の上に線を引いた後に気がつくのだ。「そういえば、これ消せるんだった」と。

フリクションボールが私の心を捉えたのは、その書き心地である。ペンが紙に乗る感触である。スラスラと書けるジェットストリームも捨てがたいが、じんわりとインクが乗るフリクションボールもいい。

もちろん、これは好みの問題だ。こんな書き心地は気にくわないと言う人もいるだろう。でも、ジェットストリームなどと書き心地が違う点には、同意してくれるだろう。

それを私は気に入ったしまったわけだ。

フリクションの本質的な機能とはまったく別なところで、でも、実際はペンを特徴づけるかなり大きな要素に、惹かれてしまったのだ。

そういえば、私がMacを使い始めたときも、似たようなものだったのかもしれない。

もともとは、Windowsユーザーであり、VAIOユーザーであった。

が、ある日我が家にiPodがやってきた。すると、だんだんMacが気になってくる。ちょうど、中古のMacbookが安く買えそうなので、思い切って買ってみた。

もしかしたら、そこにミーハー的な気分があったのかもしれない(村上春樹さんはMacユーザーなのだ)。ともかく、我が家に少しだけ古びたMacBook(Intelでない)がやってきた。

結局、そこからずっとMacユーザーである。

私を惹きつけているのは、ジョブズへの敬意ではない。ファッションスタイルとしてのAppleでもない。

フォントだ。

美しいフォントなのだ。

もちろん、Evernoteが快適に使えるとか、AppleScriptが便利とか、そういった要素も私がMacを使い続けている理由ではある。あるいはMac以外の何かを選択しない理由ではある。

が、一番最初に私の心を掴んだのは、このフォントなのだ。

一体これまで見てきた「文字」とは何だったのだろうか、と真剣に考え込んでしまう。それぐらいの違いがあった。

それはCPUの速度でも、本体の軽さでも、ボディデザインでも、SSDの早さでもない。スペックではない。

でも、パーソナルなコンピュータを特徴づける、恐ろしいほどに強力な、あるいは根本的な要素なのだ。

そういう要素の存在を、私たちはよく見落としてしまう。特に、新しいものをどん欲に求めてしまう時には。

リメンバー・フォント。

それがこの話の教訓である。

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